第51話 芙蓉の告白
「君が、どうして、僕のもうひとりの義兄さんのことを知ってるんですか?」
カーン!
ゴングの音が聞こえた気がした。智晴、軽くジャブ。
「夜の街で出会ったんだよ。彼、やさしく家まで送ってくれてね」
芙蓉、軽いフットワークで智晴の攻撃を避け、カウンターからパンチを繰り出す。
「ふうん? 夜の街ですか。警察官である彼が、放っておけないようなことでもしてたんでしょうか?」
智晴、カウンターをひょいとよけて右フック。
「まさか。ちょっとお遣いに出ただけ。そこで変なのに絡まれてるところを助けてもらったのさ」
智晴の右フックを、芙蓉は左腕で防御した。足を使って体をかわし、また攻撃を始める。
「彼は俺を送ってくれたよ、俺の保護者のやってた店まで。保護者って、妻だけどね、俺の」
「妻が保護者?」
智晴の足が少し乱れる。
「彼女の方が年上だったから。俺が女だったらすぐ籍が入れられたんだけど」
芙蓉がラッシュをかけようとするのを、智晴がひらりとよける。
「へえ? じゃあ、逆淫行だったのかな?」
「俺の方が彼女に迫ったんだから、そうとは言えないんじゃない?」
笑顔の影で、互いの隙を狙い合う。
──蝶のように舞い、蜂のように刺す!
お前らはカシアス・クレイか、モハメッド・アリか? あれ? クレイが改名してアリになったんだっけか。確か、そうだった。
っていうか。智晴と芙蓉の応酬を見ていると、思わずボクシング実況中継にたとえたくなってしまった。こいつら、やっぱり相性悪い? そろそろゴングを鳴らすべき? それともタオル投入?
俺が悩んでいる間に、夏樹がテテテと走ってきて彼の父親の足に抱きついた。
「ん、どうした、夏樹?」
子供は、何も言わずにぎゅっとしがみついている。
「……険悪なムードが怖かったんじゃない?」
夏樹の叔父が言う。俺も頷いた。
「パパがいじめられてると思ったんじゃないか? 智晴、笑顔が怖い」
元義弟はむっつりと黙り込んだ。姪のののかと同じ年頃(同い年だが、智晴はまだ知らない)の子供に怖がられていると聞いて、複雑な心境になったようだ。
「別にいじめたわけじゃありませんよ。──それに君。君も黙っていじめられてるようなタマじゃないでしょう?」
「確かにね。……夏樹、大丈夫だよ。パパ、このおじさんとお話しているだけだから、心配しなくてもいいよ?」
「のっぽのおじちゃん、パパとお話し?」
夏樹は智晴を見上げる。のっぽのおじちゃん。そういえば、この中では智晴が一番背が高いかもしれない。
智晴はにっこり笑って見せた。
「そう、お話ししてるだけだよ夏樹くん。君は素直でいい子だね」
パパと違って。
声に出さなかった智晴の言葉が聞こえる。双子にも聞こえたんだろう、葵は苦笑しているし、芙蓉は微妙に眉を寄せている。
「まあ、どこで知り合ったかはどうでもいいとしましょう。改めて、僕のもうひとりの義兄が手がけていたという捜査について、お話し願いましょうか?」
智晴、不機嫌。
芙蓉、不愉快。
夏樹が飛び込み両者にタオルを投げて、リングアウトドロー?
「……あなたが何をどこまで知っているのか分からないから、最初から説明するよ」
自分を落ち着かせるように大きく息をついてから、芙蓉が話し始めた。
智晴の睨んだとおり、<白いドレスの女の死体>は、自分たち双子の自作自演だったということ。けれど、実はその前夜から俺と葵とその父、高山と三人で飲んでいたということ。
「父といっても、俺とはもうとっくに縁が切れてるんだけどね。それこそ、五年前に。葵だってあいつの敵に回ったわけだから、これからどんな目に遭わされるか分からない。だから、高山のことは俺たちの父親だとは思わないで欲しいんだ。遺伝子上の父親。ただそれだけ」
あれじゃ、精子バンクと変わらないよねぇ、と芙蓉は自嘲気味に笑う。
「ま、衣装倒錯趣味を持った俺のことを“欠陥品”だって切り捨てたくらいだから、精子を提供して創造主を気取りたかったのかもしれない。でもさ、バカだと思わない? 神様にだって人間は思い通りにならないのに」
俺たちはロボットでも愛玩動物でもないんだよと呟き、芙蓉は大きく息をついた。
「つまりさ、この人を付け狙う相手と俺たちは無関係だっていうこと。これが大前提。OK? ……インチキの死体の件では、すごく嫌な思いはさせたと思うけど、さ」
それから、芙蓉は淡々と語り始めた。
“欠陥品”として家を追い出される前に、高山と高山の会社にとって都合の悪い資料を密かに持ち出したこと。
亡き妻の遺した店の入っているビルの権利が、高山の会社に渡ってしまったこと。それが不正な手段によること。
店を守るため、かつて持ち出した資料を武器に、高山と戦う決心をしたこと。そのために、さらに高山のダークサイドを調べたこと。その過程で偶然弟の葵と再会したこと。
高山がドラッグ<ヘカテ>に関わっていると知ったこと。
<ヘカテ>について調べていくうちに、俺の弟が殺されたのはヤクザの抗争のせいなどではなく、このドラッグを扱う組織に疎まれたせいであると、確信するに至ったということ。
「事件当時、俺はまだ未成年だったから、そういったアブナイものに関しては詳しく知る機会がなかった。だから警察の発表をそのまま信じていたんだけど、ね」
あの人は、たった独りで麻薬組織についての捜査をしていたんだよ。
そう言って、芙蓉は俺の弟を思い出すようにしばし目を閉じた。
「あの人、子供好きだったのかなぁ……」
呟くように、芙蓉は言う。
「街でさ、何となくたむろってる子供を見ると、必ず声掛けてた。たいてい返事は返ってこないんだけど、それでもめげなかったというか……。ああしろこうしろみたいなことは言わなかったな。あ、ヤバイことしてたら別だけど」
ゲーセンのベンチで、安全ピンで刺青しようとしてた無茶な中学生を止めた時は面白かったと芙蓉は笑う。
「あいつらも無茶だけどね。マ〇ロンで消毒しただけの針を使って、わけの分からない安物のインクで色を入れようとしてたんだもの。感染症の危険性を熱く説いていたよ。普通に入れても免疫抵抗力が落ちるのに、手も洗わずに何やってるんだ、って」
それでシラけたか、勢いで始めたけど実は怖かったのか、悪態だけついて中学生たちが逃げて行ったのが何か微笑ましかった、と目を細める。
「素直にタトゥー・シールでも貼っておけばいいのにね。あの人もそう言って笑ってた。シールだったら痛くもないし、好きな絵が貼れるし。元々ファッション感覚なんだから、シールでいくらでも楽しめばいいって」
身体に墨を入れるってことの意味を、子供は分かってない。踏み入れていい場所とそうでない場所があるように、やっていいことと悪いことがある。それが、ただのファッションであるなら、尚更。
「ドラッグもそうだと、あの人は言ってた。軽い気持ちで、遊びで、ファッションで。踏み入れたが最後、抜けられなくなる。自分だけは大丈夫なんてことは、絶対無いって。だから、子供の無知に付け込んでドラッグを売りつけるような売人を、彼は絶対許さなかった」
大人が自分の意思でドラッグに手を染めるのと、判断力の甘い、まだ自分に責任を取る能力の無い子供が唆されてそれに手を出すのとでは、意味が違うのだと。
「当時、俺も子供だったけど、あの人の言葉の意味は分かったよ。つまり、子供を食い物にして、平気で潰す大人は最低だってことさ」
子供は、育てるものであって潰すものじゃない。子供はいつか大人になって、そしてまた次の子供を育てていく。誰もが最初は子供で、そうやって育ってきたんだからと。
「自分の子供ってことじゃなくって、全体的な命の連鎖ってことを言いたかったんだろうね。続いていくことの意味っていうのかな。ドラッグはそれを腐らせ、断ち切ってしまう。後に残るのは、絶望でしかない──そう言った時の彼の顔、なんでだか忘れられない」
どこかが痛むようにかすかに唇を歪め、芙蓉は遠い目をした。
弟はドラッグを憎んでいた。俺もだ。
憎むには、理由がある──。




