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第48話  アンバランスにアンビバレンツ

「どうして魔法があると思う?」


俺は、すがるような色を湛えて見つめてくる子供の瞳をしっかり見つめ、訊ねた。


「わかんない……」


夏樹は目を伏せてしまった。


「魔法っていうのはね、特別なものなんだ。だから魔法っていうんだよ」


「とくべつ……?」


「そう。特別」


目を伏せて、涙を必死に堪えている子供を見ていると抱きしめてやりたくなる。だから俺はそうした。


「今度は<ママ>が、夏樹くんに特別な魔法をかけてあげよう」


目をつぶってごらん、と俺は夏樹に囁いた。それからその小さな頭に片手をのせ、でたらめな呪文を呟いてみせる。ヨダキスガミキナンミ。


……みんな、きみが好きだよ。


「今度から、夢でママに逢えるよ。本当のママに」


「ありがと、<ママ>」


ぱちっと目を開けて夏樹が微笑む。その目尻から、名残の涙がころりと落ちて消えていった。


「いい子だ」


俺も微笑みかけてやると、夏樹は<はんぺん>をぎゅっと抱えて四人掛けのソファの隅っこに走っていった。……きっと子供なりに、自分の心に折り合いをつけているのだろう。


「さて、芙蓉くん」


「何?」


「分かってるだろ? なんだか知らないけど、化粧を落とすやつ!」


急に不機嫌な声になった俺に、芙蓉は目をぱちくりさせている。

ったく、もう大人の、一児の父親にまでなった男に、気遣いを見せてやる必要はないわい!


「ふう。せっかくの芸術作品なのに。化粧直しだったら喜んでやるんだけどな」


わざとらしく、大袈裟に肩をすくめてみせやがる。こいつ~!

ムッとした俺はさらに低音で凄んだ。


「化・粧・を・落・と・す・や・つ!」


それから、ちらりと夏樹の方に目をやる。


「このままじゃ、子供の教育上悪い。──女装がどうとか、そういう問題じゃない。分かるだろ?」


一瞬、芙蓉の美貌に切なげな色が浮かんだ。


「そう、だね。ごめんなさい。あなたの言うとおりだ」


芙蓉が黙って頷いてみせ、た時に。ようやく気づいた。

俺、まだウィッグも被ったままだったよ……! 口紅は赤いし、このままヒゲが伸びてきたらまんまオカマじゃないか。


それは嫌だ……!


俺は今更ながら鬱陶しくなったウィッグを、カパっと外した。はー、すっきり。けっこうムレるものなんだな。ハゲたらどうしよう。


「義兄さん……その格好、視覚の暴力……」


智晴の奴が失礼なことを呟く。汗で多少崩れたかもしれないが、化粧は完璧、なのに髪はザンバラじゃあな。そりゃアンバランスにアンビバレンツだ。


「うるさい。見苦しいなら見るな」


俺は不機嫌に答え、芙蓉から渡されたオイルみたいなものを闇雲に顔に塗りたくる。


「ああ、そういうんじゃなくて……!」


それじゃちゃんと落とせないよ、と芙蓉は俺にソファの背もたれにのけぞるように頭を凭れさせ、繊細な指使いでマッサージするようにオイルを伸ばしていく。それから、目の細かい厚めのコットンのようなもので塗ったものを注意深く拭っていった。


三度同じことを繰り返し、最後は蒸しタオルでそっと顔全体を包んで丁寧に拭いてくれた。口紅を落とすのに唇をマッサージされた時はくすぐったかったが、それ以外は概ね気持ちよかったといえるだろう。エステに行く男の気持ちが、ちょっと分かったような気がする。


ともあれ顔がすっきりして、ちょっとぼーっとしてしまった。


「これだけ塗ってたんですね。ちょっと凄い……」


テーブルの上に臨時に置かれたコットンの山を見て、智晴が引き気味に呟く。俺も確かに凄い量だと思う。仕上げに、何か清涼感のあるものを塗ってくれていた芙蓉がふと笑った。


「女の顔はキャンバスですから。男の顔もね」


「キャンバスですか……」


智晴はじっと俺の顔を見て、何かを納得したかのように感慨深げに頷いていた。俺は、ふ、と息をつく。


そうだよ、智晴。幻の女はもういない。──あの日、俺が見た血まみれの女が幻だったように。


ってゆーか、芙蓉。てめえは絵描きか!


「別に整形なんかしなくても、化粧の仕方次第できれいになれるもんだよ」


芙蓉が言う。


「だけど、アートですね。ここまで来ると」


智晴が感心している。


「ある意味、ボディ・ペインティング?」


なんじゃ、そりゃ。俺の顔は腹踊りの「へのへのもへじ」と同じレベルか? それはそれで……なんかムカつく。


そういえば、遠山の金さんの桜吹雪も、ボディ・ペインティングでなんちゃって刺青みたいに仕上げることが出来ると聞いたことがある。うーん、奥が深いかもしれない。


有名な「昇り竜」とか「唐獅子牡丹」とか……それにしても、なんで唐獅子には牡丹と決まってるんだろう。「唐獅子チューリップ」とか「唐獅子ひまわり」「唐獅子パンジー」では迫力が足りないのだろうか。


「ボディ・ペインティングってことはないけど、まず、その顔の欠点を探して長所にすることが大切かな」


俺がつまらないことを考えている間にも、芙蓉は真面目に答えている。


「でもね、一番大切なのは心だよ」


「心?」


「心根の卑しい人間は、どう化粧してもそれを隠せないってこと。上辺を取り繕っても、そういうのは隠せないんだ。腹黒さや、したたかさもね」


芙蓉は智晴を真っ直ぐに見て、続けた。


「あなたは卑しい人間じゃないけど、かなりしたたかな人だね?」


黙って芙蓉の顔を見ていた智晴が、ふっと笑う気配がした。


「君もね、芙蓉くん。葵くんより君の方が、多分もっとしたたかだ」


「お褒めの言葉と受け取っておきましょう」


フェロモン系の色男がふたり、笑顔のまま腹の探りあいをしている。怖いよ、ドラえもん。俺は背中がぞぞっとした。もしかしてこいつら、似た者同士? 近親憎悪? なら、葵は?


双子の片割れはと見ると、今日が初対面の男と兄の陰険漫才に加わることなく、豪華なカーペットの上に腰を下ろしてソファの上の子供と同じ目線になり、その髪をやさしく撫でてやっている。


そんなふうに一見無関心に見えるが、そうでないことはちらりと二人を見る気遣わしげな視線で分かった。ねじれの度合いが芙蓉より幾分マシなんだろうな。


そんなことを考えながら見ている俺の視線に気づいたのか、葵がこちらを向き、ふと首をかしげてみせた。


「実は気に入ってた? 女装」


な、何を言うんだ! あんなに嫌がってただろ、コラ! 


「き、気に入るわけないだろ!」


「んー、スカート脱がないから、気に入ったのかなと思って。その格好」


にっこりと笑う。そ、そういえばウィッグと化粧を取ってホッとしたが、服はまだ着替えていなかった。ああっ、爪! 爪も色がついたままだ。


葵の奴め、俺が嫌がると分かってて言いやがったな。

やっぱりこいつも、兄同様ねじれまくってたんだな……。


俺は脱力した。


用意してくれてあったらしいシャツとチノクロス・パンツに着替え、ようやくホッとする。足の裏がアレなので立って着替えるわけにいかず、ちょっとイライラしてしまったが。


だってさ、チノパンをはくのにソファの上でもぞもぞしていたら、芋虫になったような気分になってしまったのだ。……これでうっかり気がかりな夢から覚めてしまったらどうしてくれるんだ。


「マニキュアを取るやつ、くれ」


もう不機嫌を隠すことなく、ぶっきらぼうに訴える。はいはい、と頷いて、芙蓉は何かの液をコットンにしみこませたものを持ち、俺の手を取った。


自分でやるというのに、「(ムラ)になるよ? 取り残しのマニキュアのついた男の爪って、もろに仕事明けのオカマに見えると思うけどなぁ」とにっこり脅され、抵抗するのも面倒になった。無理やり塗っておきながら、人の爪を斑入りの葉っぱみたいに言うな! 


ケッ。


ああ、だんだんやさぐれていく俺。ダメじゃないか。智晴に聞かないといけないこととかあるだろ。


「なあ、智晴」


俺は芙蓉に指先を預けたまま訊ねた。


「もしかして、お前が<風見鶏>なのか?」


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□■□ 逃げる太陽シリーズ □■□
あっちの<俺>もこっちの<俺>も、<俺>はどこでも変わらない。
『俺は名無しの何でも屋! ~日常のちょっとしたご不便、お困りごとを地味に解決します~(旧題:何でも屋の<俺>の四季)』<俺>の平和な日常。長短いろいろ。
『古美術雑貨取扱店 慈恩堂奇譚』古道具屋、慈恩堂がらみの、ちょっと不思議なお話。
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