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第44話  くどかれる俺 すれ違いの笑い仮面

うらみ・ます。


つい、中島みゆきの暗~い歌を思い出してしまった。確か、アルバムタイトルも暗かったなぁ……。


だけど今、マジで『生きていてもいいですか』という気分だ。死んだ弟にだってこんな姿は見せたくない。穴があったら入りたい。外人客らしき人間の「Beautiful!」という嘆声は、まさかこちらを見て言ってるんじゃあるまいな。


いや、ビューティフルってのは芙蓉のことを言ってるんだよ、きっと。夏樹だって美幼女(?)だし。他人のふりしてその辺に立ってるはずの葵だって、そこはかとない艶を醸し出す知的美男だし。……でも、「Beautiful Lady」って聞こえたような……。


こんな化粧化けのゴツイ大女、美しくないから! それなのに、夫(?)がそばにいるのが分かっていても寄ってくる外人の男って、どういう感覚してるんだ? なーにがMay I help you? だ、そんな俺でも分かる英語で口説こうとすんな!


ああ、自分でも何を言っているのか分からない。


声を出せない出してはいけない状態で、心だけがおしゃべりだわ。……そういえば、そんな歌もあったな。


誰も知らない、知られちゃいけない。


これだけの恥をかいたんだ。<怖いおじさんたち>という名の追っ手も、絶対撒ける、ハズ……。


ぺらぺ~ら、ぺらぺ~ら。


誰か知らないが、男の声が何か言っている。英語なのはわかるけど、もしかして、俺に話しかけているのか? 


俺は外国語なんか分からないししゃべれない。下を向いたまま冷や汗を垂らしていると、芙蓉がその男に向かってペラペ~ラ、ペラペ~ラ、ペラペラと何か答えている。凄い、芙蓉。お前英語がしゃべれたのか。 


ふと気づくと、俺のスカートの裾をにぎっていた夏樹が、きっ、とそいつを睨んでいるようだ。何だ何だ、どうしたんだ?


「な、何て言ってるんだ?」


俺は芙蓉の耳に顔を寄せ、囁いた。周囲の人間に声を聞かれるわけにはいかない。こんな高級ホテルのレストランフロアで、俺が女装した男だなんてバレたくはない。好き好んでこんな格好しているわけじゃないんだからな!


だけど、芙蓉によりかかる俺のその様子が、周囲にどう見えるかなんて考えもしなかった。


さっきの男がまた何かぺらぺ~らと言い、離れていった後、芙蓉がくすり、と笑った。


「だから、何がどうしたんだよ?」


俺は息だけで必死にたずねる。くすぐったいよ、と芙蓉は夢のような笑顔をみせて、俺の腰を抱えなおした。だから、それ、ヤメロ。


「魅力的な妻を持つと、苦労が耐えないよ、ハニー。彼は君を口説いていたのさ」


わざとだろう、芙蓉は普通の声で答える。


げ。俺、男に口説かれてたの? ……想像できない。したくもない。


「大丈夫だよ。君が僕に頼りきっているのを見て、彼は諦めて去っていった。もう怖がることはないよ。僕がついてるんだから。ね、ハニー?」


甘い甘い声。周囲から感嘆の溜息が聞こえるような気がするのは、俺の考えすぎなんでしょうか。


「ママ! 変なおじちゃんについていっちゃダメだよ?」


夏樹までそんなことを言う。好意的なくすくす笑いが周囲から聞こえるのはなぜだろう。子供の心配が微笑ましかったから、なんていう理由は考えたくない。


あのな、夏樹。俺は男だからそんな心配はいらないんだよ? 変なおじちゃんになんかついていかないから!


俺が心の中でシャウトしていると、ふと元義弟智晴の声が聞こえたような気がした。『そんなこと言いながら、警戒心なしに知らない人間についていくのは誰ですか?』……智晴、五月蝿い。


誰が外国人についていくか!……俺は英語がしゃべれないんだ!


しかし、(一見)夫婦ものに見えるはずなのに、妻(?)を夫(?)の目の前で口説くとは──さてはさっきの男はイタリア人だったんだな! などと俺は偏見に満ちたことを考えていた


てゆーか、夏樹。お前も英語が分かるのか? 

聞きたかったが、声を出せない。


「ん? どうしたの?」


俺が目で訴えると、ああ、と芙蓉は夏樹に微笑んで見せた。


「言葉なんか知らなくても、ああいうのは分かるものだよ。ね、ツキ?」


ツキって誰だよ? と思ったが、夏樹の「な」だけ取った即席の偽名か。いつの間にそんな打ち合わせしてたんだ。


「だって、さっきのおじちゃん、ママのことやらしい目で見てた」


桜色のほっぺをぷくっとふくらまし、夏樹が訴える。おいおいおい……。


「お前のママは、自分の魅力に気づいてないんだよ」


くすっと芙蓉が言い、その揶揄に俺が怒りと羞恥で肩を震わせた時、このフロアにエレベーターが到着する音が聞こえた。降りてくる人を避けるために脇に寄る。ほんの少しだけ、芙蓉の俺を支える手が強張ったような気がして、俺はふと顔を上げた。


高級ホテルのレストランの客らしく、それぞれ身なりの良い男女のあいだに混じっているのは……。


<笑い仮面>こと、高山父。


高山父は、あいかわらずにこにこ、にこにこ、にこにこにっこり微笑んでいる。……にこにこ海苔でも食べたんだろうか。


裏の顔を知ったら、よけいに怖いぞ、その微笑。これからは<笑い仮面>じゃなくて<ヤヌス>と呼んでやろうか。ホントすごいわ、その二面性。


高山は、その貼りついた笑顔で同行者らしい男と談笑している。俺が会った時とも寸分違わぬその笑顔。……やっぱり仮面だ。<笑い仮面>だ。


なんて、暢気に考えている場合じゃないだよ。


今日の芙蓉は男装(?)しているし、葵だっている。いくら父親失格な人間とはいえ、自分の息子の顔くらいは分かるんじゃないのか?


ヤバイ。


焦った俺は芙蓉を見た。だが、芙蓉の唇は不適な笑みを浮かべている。

は、早くエレベーターに乗ろうぜ、芙蓉!


俺は焦った。自分たちの化けっぷりに自信満々な芙蓉は、このまま放っておいたら自分を棄てた父親にわざわざ話しかけかねない。


「……!」


俺は恥を忍んで芙蓉の首に抱きつき、その顔をエレベーターの方に向けた。扉の横の表示は既に下を指している。早くしないと俺たちだけこのフロアに取り残されてしまうじゃないか。


「どうしたの、ハニー? ああ、そうだね。下に降りなきゃね」


誰がハニーだバカ野郎!


そう怒鳴りたいのはやまやまだが、ここは穏やかに穏便に。そうしなければ高山父に俺たちの正体がバレてしまう。


俺の心の裡など全く斟酌するつもりのない芙蓉は、またとろりとした蜂蜜のような笑みを見せて、片手で俺の腰を支え、もう片方で夏樹の手を引きながら、ようやくエレベーターに乗り込んだ。葵も後に続く。こちらは全く他人の顔をして、俺たち三人から少し離れて隅の方に立っている。


ドアが静かに閉まり始め、俺はようやく息をついた。


が。


ドアが閉まりきる瞬間、高山父がこちらに顔を向けたのは偶然だろうか。

心臓の鼓動が飛び跳ね、胃がきゅっと痛む。俺はかすかに呻いた。


「ママ、だいじょうぶ?」


俯いている俺の顔を、夏樹が下から覗き込む。

つぶらな瞳に、ピンクのくちびる。ばら色の頬。どこからどう見てもかわいい女の子だ。……最近変な人間が多いから、夏樹も気をつけてやらないと。


ののかもかわいい。とてもかわいい。元妻はちゃんと気をつけてやってくれてるんだろうな? 子供が子供らしく外遊びが出来ないなんて、嫌な世の中になったもんだ。


小首をかしげ、夏樹は心配そうに俺の顔を見つめてくる。安心させるために、俺はそのつやつやした髪を撫でてやった。芙蓉にもたれかかったままの状態は不本意だったが、仕方がない。ワンピースと同色のさくら色のカチューシャをつけた夏樹は、うれしそうに俺に笑いかけた。かわいいなぁ。


エレベーターが下降するときの奇妙な感覚をやり過ごしながら、ののかと夏樹を会わせてやったら、子供どうし、いいともだちになれるんじゃないか、などと俺は考えていた。


その頭の隅に、さっき扉の閉まり際に見た高山父の一瞬の表情が浮かんでは消える。彼はなぜこのホテルに現れたのだろう。


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□■□ 逃げる太陽シリーズ □■□
あっちの<俺>もこっちの<俺>も、<俺>はどこでも変わらない。
『俺は名無しの何でも屋! ~日常のちょっとしたご不便、お困りごとを地味に解決します~(旧題:何でも屋の<俺>の四季)』<俺>の平和な日常。長短いろいろ。
『古美術雑貨取扱店 慈恩堂奇譚』古道具屋、慈恩堂がらみの、ちょっと不思議なお話。
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