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第37話  命短し、学べよ子らよ。

「誰が、どうして、何のために、どういう目的で……あはは、5W1Hみたいだね」


途方に暮れ、セルフ・ボケツッコミしてる俺。


「何? それ」


芙蓉が不思議そうに訊ねる。


「え? 英語の授業で習わなかった? Who、When、Where、Why、What、How 。新聞記事の基本だって習ったなぁ……」


「ああ。知ってるわ。それがどうかしたの?」


「うーん、だからね。誰が、いつ、どこで、なぜ、俺を、いかにしてガードすることにしたのかって考えてたんだよ」


「……弟さんには、志を同じくする仲間がいたのかもしれないわね。もし自分に何かあったら、兄であるあなたにまで火の粉が及ぶかもしれないと考えて、あらかじめ頼んであったのかも」


弟は、自分の身に危険が迫っていることを知っていたのだろうか。なら、何もかも捨てて、どこかへ逃げてしまえば良かったのに。どこか遠い異国の街にでも。


もう、二度と会えない、この世とは違うところへ行ってしまうくらいなら。


でも、責任感の強いやつだったからな……。

抱えているものを置いて逃げることなんか、考えもしなかっただろう。だけど、俺は弟に生きていて欲しかった。もしかしたら避けられたかもしれない死だったんじゃないかと思うと、やりきれない。


「弟の協力者か。芙蓉くんは誰か思い当たらないか?」


「無理よ。まだ子供だったもの」


申し訳なさそうに小さく首を振る。


「夏子なら何か知っていたかも……いいえ、やっぱり知らなかったかもしれない。知れば危険をもたらす可能性のある情報を、彼が一般人にもらすとは思えないわ。大人と子供。守る者と守られる者。そういうものの区別を、きっちりつけていた人だもの」


「そう……」


「義務と権利。この言葉の意味を教えてくれたのも彼よ。権利を主張するなら義務を果たさなければならないこと、義務を果たして初めて権利を要求することが出来るんだということを」


子供はもっと勉強しなさい、と彼は言ったのよ、と芙蓉は寂しく微笑んだ。──親が子供に教育を受けさせる義務を負う、義務教育期間は終わったかもしれないけど、大人になるまでに、もっと色んなことを学ぶ義務と権利を、君が君自身に負うている。だから勉強はしなさいと。


「だから、勉強はしたわ。夏子も賛成してくれたし。大検も取ったのよ。受験はしなかったけど」


「そっか」


俺は頷きながら、ちょっとうれしかった。死んでしまった弟の言葉を、大切に思ってくれる人がいる。


「お陰で、別に学校でなくても勉強はできるんだって分かったわ。今も勉強は続けているのよ。お店のこともあるし、経済学や法学をメインにしてるんだけど、けっこう面白いものね」


「勉強を面白いって思えるのがうらやましいよ」


俺は微笑んでみせた。


俺は必死で勉強してなんとか成績を保っていたので、それが面白いとか感じている余裕はなかったが、弟は頭が良く、特に勉強しなくてもテストの点数は良かった。そして、とにかく本をよく読んでいた。心理学や文学、自然科学に哲学。それがあいつ自身の勉強だったんだろう。


ある時、バックミンスター・フラーとかいう、俺が聞いたこともないような人の書いた本を読んでいるので、面白いのかと聞いてみたら、ページから目も離さずに弟はひと言「楽しい」と答えた。


兄の俺だけが分かる表情の変化で、あいつが本当に熱中しているのが分かったから、俺は黙ってコーヒーを淹れ、たっぷり砂糖を入れてそっとあいつの机の上に置いてやったんだっけ。


後から、それが「宇宙船地球号」という概念を生み出した人の名前だと知ったけれど、この宇宙船の上では、今日も憎みあいや殺し合いが絶えない。


誰も、ここから降りてどこへ行くことも出来ないのに。


この狭くて広い宇宙船の中で、弟は自分の仲間を見つけたんだろうか。仲間といってもその結びつきは様々だけど。


たとえば、共同の利益。

たとえば、目的の共有。

たとえば、ギブ・アンド・テイク。

たとえば、友情。

たとえば、お金。


たとえば、たとえば……。


何だろう。

分からない。弟のことが、何ひとつ。子供の頃はいつも一緒で、考えていることもお互いすぐに分かったけれど、成長していくにつれて違うことが増えていった。


一卵性の双子だからといって、全く同じものを好きになって、嫌いになるわけじゃない。意識しなくても自然にそうなっていったが、それが個性というものだろうか。無理に引き合うことなく、不自然に反発することなく、俺たちはそれぞれに成長し、大人になった。


それぞれの世界を持つようになっても、俺たちは仲の良い兄弟だった。母の胎内に芽生えた時は全く同じものだったのに、長じてからは別々のところで別々のことをしている。そういう互いのことが好きだったのだ。


だから、仕事のことも互いに詳しく知らない。あいつは警察官だったから、よけいにその内容はしゃべらなかった。今は、少しでも聞き出しておけばよかったと思う。


……たった独りで調べていたという捜査資料、預けてくれれば良かったのに。俺にはどうすることも出来ないかもしれないが、少なくとも、あいつを殺した犯人を探すための手がかりにはなったはずだ。


弟にすれば、そういう事態を避けたかったのかもしれないが。──たしかに抜けてるからな、俺。そんな兄を心配してくれたんだろう。元妻には、昼行灯と言われたものだ……。


ということはつまり、弟と組んでいたのは物凄く有能な人物なんだろう。


どうやってたのかは知らないが、弟が殺されてからの数年間、何者かから俺を守りきったという事実を考えただけでも、その手腕が窺い知れる。しかも、守られている本人はそのことを全く知らなかったのだから。


俺は思う。俺が無事でいられたのは、弟の死に関係があり、且つ、弟の集めた捜査資料だか証拠だかに関心のあるその何者かが、俺の居所を突き止めることが出来なかった、その一点にあるのではないだろうか。


その考えを芙蓉に伝えると、彼も頷いた。


「あたしたちもそう考えてたのよ。ここ数日で突然あなたがつけ狙われるようになったのは、つまりはあなたが見つかってしまったってことなんだわ」


見つかった。


改めてそう言われると、分かっていてもぶるっと震えてしまいそうだ。俺を守ってくれている誰かは、いち早くそれを察知して俺の身辺のガードを固めてくれたんだろう。そうでなければ今頃は……。


──ののか! パパはちゃんと無事でいるからね!


「見つかったのはいつなのか。それを考えると……運が悪かったのか、運命だったのか……」


芙蓉が重く息を吐く。

見つかったのは、間違いなくあの夜だ。高山親子と出会った、あの夏至の前夜。


つまり、高山が俺の顔を見た瞬間、俺は“見つかって”しまったのだろう。俺の、<弟と同じ顔>が。高山自身が直接手を下したとは思わない。だが、彼が弟を殺した何者かと関係があるのは、確かなんだと思う。


ふと笑いたくなった。


「あの夜、俺、本当に偶然あの店に入っただけなんだけどなぁ。美味いビールが飲みたくなったんだよ。何日もかかって探し出した家出猫を、無事飼い主に届けた自分へのご褒美にさ」


「高いご褒美になっちゃったわね?」


芙蓉も言う。俺たちは顔を見合わせ、同時に吹き出した。


「話、終わった?」


葵が訊ねてきた。絵本の途中で、また眠ってしまったらしい夏樹を膝に抱えている。本当に天使のような寝顔だ。ああ、ののかを思い出す。


「だいたいは終わった、かしら?」


芙蓉が俺の顔を見る。俺は頷いた。


「うん、だいたいは。多分ね」


何か考えるように葵はしばらく黙っていたが、すっと俺に頭を下げた。


「高山が……俺たちの父親があなたの弟さんの死と何かしら関係があるのは、間違いないだろう。何て言ったらいいのか分からないけど、……申しわけないと思ってる」


気づくと、俺の向かいで芙蓉も同じように頭を下げている。俺は焦った。


「な、何言ってるんだよ。君たちだってそんなこと知らなかったんだろう? 俺に謝る必要はないよ。弟だってそう言うに違いないさ!」


そうだよ。彼らに罪はない。


「悪いのは高山だ。そして、それは君たちのせいじゃない。君たちにとっても、彼は良い父親とはいえないようだし……」


棄てられた芙蓉。スペア扱いされた葵。


「だから顔を上げてくれ。それから──これからのことを考えよう」


これからのこと。俺にとっての最優先は自分の身の安全。芙蓉と葵にとっては、夏子さんの残した店の存続だろうな。


本当は弟を殺した奴を見つけ出して、警察に突き出したいところだけど……。


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□■□ 逃げる太陽シリーズ □■□
あっちの<俺>もこっちの<俺>も、<俺>はどこでも変わらない。
『俺は名無しの何でも屋! ~日常のちょっとしたご不便、お困りごとを地味に解決します~(旧題:何でも屋の<俺>の四季)』<俺>の平和な日常。長短いろいろ。
『古美術雑貨取扱店 慈恩堂奇譚』古道具屋、慈恩堂がらみの、ちょっと不思議なお話。
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