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第32話  カクテル・ドラッグ

「あたしが<ヘカテ>というドラッグをの存在を意識したのは、父……高山が、夏子の店の入っているビルに手出ししてきてからのことよ。──それまでも、話題としては知っていたのよ。夜の店だし、そういう情報はどこからでも入ってくるから。でも当時は、エクスタシーとかスピードみたいに、またファッション性の高いのが出てきたのね、っていう程度の認識だった」


だから、興味もなかった。芙蓉はそう言った。


「他のドラッグに比べて流通量が少なくて、幻の月、なんて呼ばれてるらしいって聞いても、ふーん、ていう感じ」


「……高山氏とその幻の月に、何か関係があったのか?」


俺の問いに、芙蓉は苦い笑みを見せた。


「高山が裏で汚いことをしているらしいのは薄々知ってたけれど、どうだって良かったわ。あたしは戸籍も抹消されて、棄てられ存在だったし。ただ、保険だけは掛けたけれど」


「ああ、葵くんに聞いた。表に出ちゃ困るような帳簿やなんかを、コピーして持ち出したんだって?」


「ええ。あたしを棄てたように、もし葵にも何かしようとするなら、それで脅して止めてやろうと思ったのよ」


「一番は葵くんのためだったのか……」


芙蓉は頷いた。同じ顔をした彼の弟は、おやつを食べ終えた彼の息子を積み木で遊ばせてやっている。幼い夏樹に何かを話しかけながら積み木を渡してやる葵の横顔を見ながら、芙蓉は呟くように言葉を続けた。


「ヘンタイのあたしを追い出した後、一人残った葵に高山がどんな理不尽なことを強要するか、分からないと思ったの。まさか、あたしの戸籍まで弄るとはその時は考えもしなかったけれど、……それくらいやるのよ、高山は」


本当にアイツの弱みを握っておいて良かったわ。芙蓉は自嘲するように言った。


「高山が葵やあたしに変な手出しをして来ないかぎり、それを知らせるつもりなんて無かったわ。だって、あたしが高山にとって命取りになるようなものを持っていることを知られたら、こっちの命が危ないもの」


「一緒に暮らしていた頃から、そんなふうに思ってたの?」


俺は半ば信じられずに訊ねた。親子なのに? それとも、親子だから?


「ええ」


芙蓉はきっぱりと頷く。


「残念ながら、ね。そう思わざるを得ないようなことを、見たり聞いたりしてたのよ。葵も高山のやってることの後ろ暗さくらいは気づいてたと思うけど、闇の部分がどれだけ深いかということまでは、知らなかったはずだわ」


「君はその、闇の部分を知っていたってこと?」


俺の問いに、芙蓉は少しのあいだ黙っていた。


「あたしの……趣味の方の友だちの家が、高山の経営する金融会社からお金を借りて……結果、一家離散の憂き目に遭ったってことを聞いたのよ。こっそり調べてみたら、本当に汚いやり口で……」


「うん」


辛そうに語る芙蓉が痛々しい。俺は相槌を打つくらいしか出来なかった。


「結局、その友だちのお母さんが自殺して、高山の会社はその保険金を毟り取ったらしいの。……惨いやり口はそれだけじゃなかったわ。相手が楯突いたり、抵抗したりした時のやり方ときたら──」


そんなの、とても葵には教えられなかった。と芙蓉は言った。


「だからね、追い出されるという形で高山の家から出るにしても、後々のことを考えざるを得なかったのよ。そして、それは正しかったってわけ」


溜息のように吐き出されたその言葉は、とても苦かった。


「当時持ち出した高山の裏側の資料と、今回のことがあってから探り出した事実。そこから、さらにとんでもないものが浮かび上がってきたわ」


芙蓉は俺の目をまっすぐに見つめた。


「ヘカテという、ドラッグがね」


「それは、どういう……」


俺は言葉を詰まらせた。この先を聞くのが怖いような気がしたのだ。


「ヘカテの製造か輸入か、そのどちらかに高山の資金が流れてたってことよ」


ヘカテ。夜の女神。暗黒の月……。


「若者が移り気ってことは知ってるでしょう?」


芙蓉が言う。


「聞こえの良い言葉でいうと、若者は流行に敏感、かしら」


「まあ、たしかに」


俺は一応頷いた。確かにそういう傾向はあるが、大人でも流行に踊らされるやつは、歌謡時代劇『大当たり狸御殿』なみに踊り狂っているぞ。一時、微笑みの貴公子などとオバさま方にもてはやされた外国俳優のナントカ様とか、あんな嘘臭い笑顔のどこがいいんだ。俺にはさっぱり分からん。


元妻は、DVDで見た山口百恵の「赤いシリーズ」の方がずっと面白いって言ってたが。


「常に新しいものを追いかけていくのが若者の本能よ。覚醒剤やヘロインはもう古くてダサいと思ってる。でもエクスタシーやスピードとなると、新しくて洒落ててカッコいいように見えるわけよ」


「洒落ててカッコいい、か? 依存したら一緒じゃないか。覚醒剤もエクスタシーも」


「そう、一緒なのよ。末期の悲惨さは変わらないわ。それを分からずに、新しげな名前のついたドラッグに飛びつく……」


「薔薇の名前……」


俺は呟いた。唐突な言葉に、芙蓉は不思議そうな顔をしている。


「薔薇の名前?」


「ああ。『薔薇はどんな名前で呼んでも薔薇である』っていうような言葉があるんだ。本質は変わらないって意味だと思うけど。だから、どんな名前で呼ばれようとドラッグはドラッグってことなんだよなぁって思ってさ」


静脈注射で摂取しようと、経口やスニッフィング、粘膜吸収で摂取しようと、麻薬は麻薬だ。健康な身体には全く必要の無いものだ。


芙蓉は頷いた。


「あなたの言うとおりだわ。白い粉だろうがブルーのタブレットだろうが、ドラッグはドラッグにすぎない。みんな同じ……」


みんな同じ。乗る電車が各駅停車かノンストップ特急列車かの違いはあるかもしれない。だが、終着駅の名前は「地獄」だ。それは変わらない。


「でもね、同じだってことが分からずに、ちょっと目先が変わったらすぐにそっちに飛びつくの。ヘカテもそう。カクテルって知ってる?」


「え? ジンライムとかなら好きだけど?」


「お酒のカクテルじゃないの。ドラッグのカクテル。ヘカテは最初、そういう<カクテルバー>で生まれたのよ」


カクテルバーって。


俺は呆然とした。カクテルって酒だけじゃないのか? ドラッグもカクテルするものなのか? シェイカー振るのか?


頭がぐるぐるしてきた。いや、だから。カクテルバーは○ントリーでいいって。缶入りのやつがたまに九十八円とかで売ってるんだ。これのジンライムは飲まないけど、ソルティードッグはたまに飲む。やっぱり甘いけど。


カクテルバーで生まれたドラッグ? どれだけ怪しいんだ。身体によろしくなさそうだし、まだ赤色天然着色料の方が、カイガラムシ科エンジムシが原料だって分かってるだけマシだ。


「そんな店があるのか? ドラッグのカクテルバーだなんて」


俺の頭の中に、学校の理科室のような店が浮かんだ。ビーカーや三角フラスコ、メスシリンダーに色とりどりの粉や液体が入っていて、白衣のバーテンダーが試験管を三本くらい指に挟んで器用にシェイクしている。


バーテンダーの背後の薬品棚には、純度○パーセントの××とか書かれた茶色の試薬瓶が納まっていて、補助のボーイが乳鉢で大麻やマジックマッシュルームを乾燥させたやつをゴリゴリ擂っている……。


怪しい。怪しすぎる。

……ドラッグ自体がすでに怪しいか。


「すごく戸惑った顔してるわね」


芙蓉は苦笑した。


「そういう店があるっていう、噂みたいなのは聞いたことがあったけど、あたしも実在するなんて考えもしなかったわ」


「本当にそんな店が? どうして摘発されないんだ。店でそんなことやってたら、麻薬取締りの人に見つかるだろう?」


……麻薬取締りの人、はないだろう俺。麻薬取締官、略して麻取マトリっていうくらいは知ってるはずだろう俺。ああ、焦ると言葉が出てこない。


「会員制なのよ。凄く厳しい審査があるらしいわ。だから滅多に情報は出てこない。密かに人気が出ているにもかかわらず、ヘカテの流通量が少なかったのはそのせいなの」


「ヘカテは……最初は一部の金持ちのものだったってこと?」


「ええ、そうね。その会員制のクラブも、元は一部セレブのちょっとしたアンダーグラウンドなお楽しみのために作られたらしいから」


ちょっと(・・・)アンダーグラウンドなお楽しみって、おい。

ちょっと、で、ドラッグをカクテルするな~!


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□■□ 逃げる太陽シリーズ □■□
あっちの<俺>もこっちの<俺>も、<俺>はどこでも変わらない。
『俺は名無しの何でも屋! ~日常のちょっとしたご不便、お困りごとを地味に解決します~(旧題:何でも屋の<俺>の四季)』<俺>の平和な日常。長短いろいろ。
『古美術雑貨取扱店 慈恩堂奇譚』古道具屋、慈恩堂がらみの、ちょっと不思議なお話。
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