2016年9月19日の<俺> 鏡合わせ 完結編
サブタイトルをミスっていたので、訂正しました。
「これは……?」
知らず、問いがこぼれ落ちる。
「あなたを描いていると、何故かそれと向かい合うもう一人のあなたを描かねばならない気になるんです。きっと、このもう一人はあなたの弟さんなんでしょう。──あなたを描きながら、どうやら私の心も一緒にあなたの過去に飛んでいたようだ」
その言葉を聞きながら、俺は、ただ呆然と“俺たち”の絵を見つめていた。今はもういないはずの弟が、俺と向かい合ってる。
現実ではない過去。過去ではない現実。
「何でも屋さん?」
どうしました? と聞かれて、俺は目を伏せた。
「弟は──もうこの世にいないんです。数年前、殉職して……。その弟の姿を、こんな形で見られるとは思いませんでした」
ありがとうございます。自然にそう言っていた。
「大人になってから“鏡ごっこ”をしたことは無かったですが、もしやっていたらこんな感じだったんでしょうね」
明るい声でそう続けると、宇佐見さんは考えるような顔つきで呟いた。
「──私も長いこと画業をやってきたせいでしょうか、不思議は時に起こるものと知っています。今日のこともそのうちのひとつでしょう……」
ゆっくりと頷いている。じっと見ながら描いていると、「このモデルさん、近いうちに結婚するな」とか、「先が長くないかもしれない」とか、本人の背景を知らなくても分かることがあるらしい。実際に、先の一人は結婚し、もう一人は事故で亡くなったそうだ。
「たまに、オカルトだと言われることもあります。たとえば、今回のような場合だと、あなたについている霊が見えたのだとか、そんなことを──」
でも、私はそうは思いません、と宇佐見さんは器用に肩をすくめてみせる。その仕草に、洋行帰り、そういう言葉を思い出した。
「過去に心を飛ばしたあなたと、感覚を共有したのだと考えています。私自身の集中力と、培ってきた観察力の賜物です。──こんな魂レベルの集中力を発揮することは、滅多にありませんがね」
好きなときにそれが出来ればいいんですがね……と苦笑する宇佐見さんは、芸術家の顔をしている。
「──どうやら、今日の私は調子が良さそうだ。さあ、もっと召し上がってください。まだまだあるんですから」
ずいっと皿を押しやられて、俺はありがたく奥様特製の美味いラップロールサンドを堪能した。──シークレットで、あんこパターがあったのには驚いた。見た目から全然分からなかったからびっくりしたけど、あれはあれで有りだと思った。
雨の音を聞きながら少し休憩した後は、宇佐見さん宅の猫、ススキくんと遊んだ。
ただじっと立ったり座ったりするのから一転して、次のテーマは“猫と遊ぶ男”。動く対象を描くのを、クロッキーというらしい。なんかお菓子の名前みたいだよな。──仕事で猫と遊ぶなんて、考えたことも無かった。餌とトイレの世話は良くするけどさ。
薄が穂を出す頃に拾ったというススキくんは、遠くから見ると尻尾なんか本当にススキみたいに見える銀色がかったグレーのシマシマで、毛が長い。遊びたい盛りの若猫だ。初対面の俺にもよく懐いてくれて、猫じゃらしが大好き。抱っこしたり、膝に乗せたり。勝手に肩の上に登ってくるのは、猫なんだからしょうがない。
興奮して、跳んだり跳ねたり大暴れ。相手する俺も大変だった。汗掻いちゃったよ、エアコン入ってるのに。
後で描いたのを見せてもらったら、ススキくんを間に、同じポーズで前向きと後ろ向きの俺がいくつも描かれていた。粗いタッチなのに正確無比。すごい。弟が本当に俺と一緒にススキくんと遊んでるみたいだ。実際は俺が一人いるだけなのに、その逆向きの姿を即座に描いてみせるのは、どういう技量だろう。絵のことは分からないけど、ただただ感動した。
これが、画家の見た世界。現実と繋がってはいるけど、それとは全く異なる世界。実在するものの、見慣れぬ側面。
その世界の俺たちは、どっちが俺でどっちが弟なのか分からなかった。宇佐見さんが《こちら側》から見たその世界では、俺と弟は、きっと同時にそこに存在するんだろう。
──合わせ鏡の鏡合わせ
そんな言葉が浮かぶ。ちょっとしんみりしていると、ススキくんがまた背中から肩に駆け上ってきた。不意を衝かれて驚いてると、太い尻尾をべしっと俺の顔にヒットさせて飛び降り、上半身を伏せて尻をふりふりする攻撃ポーズを取っている。
もっと遊んで欲しいってか。置いていた猫じゃらしを持つと、飛びついてくる。それを見越してバッと手を上げてやったから、届かない。それが悔しかったのか、興奮したススキくんはまた人の身体に駆け上って頭まで征服しようとする。あいたたた、爪が。
「こら、そこは登るとこじゃないから、ちょ、も、やめ──」
苦労して頭からススキくんを外すと、いつの間にか宇佐見さんはまたスケッチブックに向かっていた。こんな滑稽な様子を、真剣な目で見ながら鉛筆を動かしてる。
俺と一緒にそこに描かれるだろう弟も、ススキくんにちょいと引っ掛かれたり、頭に乗られたりしてるんだろうか。髪もくしゃくしゃになって。
そう考えると、何だかとても楽しくなってきた。
よし、ススキくん、もっと遊ぼうか。




