2016年9月19日の<俺> 鏡合わせ 前編
今日も朝から空が怪しかったけど、ついに降ってきた。
でも、いいんだ。今日は屋内の仕事。
なんと、モデルである。
一応言っておくけど、服は着てる。いくら何でも屋でも、ヌードモデルだったら俺は無理。ってまあ、さすがに普通のオッサンのヌードモデルは無いだろう。──雨に濡れなくていいのはいいけど、じっとしてるの、辛いなぁ……。
……
……
ただ椅子に座ってるだけなんだけど。その、座ってるだけっていうのが辛い。おおお、草むしりしたいぞー! 心の中だけで叫ぶ。
「……そろそろ休憩しますか」
俺の心の叫びが聞こえたんだろうか、というタイミングで宇佐見さんが言った。
「あ、はい」
俺はそろそろと立ち上がった。首とか肩とか背中とか腰とか、固まりまくり。バキバキだ。
「慣れないときついでしょう」
宇佐見さんが苦笑している。出してもらった紅茶が美味い。沁みる。思わず大きな息をついてしまった。
「あ、すみません」
俺は慌てて謝った。人の前で溜息は失礼だよな。
「いいんですよ。強張っていた息が開放されたんでしょう。深呼吸して身体を緩めてください」
「身体を緩める……?」
「楽にするといえばいいのかな? 意識して緊張を解くのは難しいでしょうから、息を深くして……まあ、とにかくリラックスしてください」
長く絵を描いてる先生らしいから、色んな人を描いてきたんだろうな。素人モデルの緊張なんて慣れっこなんだろうなぁ。
「今回はね」
ゆっくり紅茶を楽しみながら、宇佐見さんは言う。
「仕事で身体の出来ている人をデッサンしてみたいと思ったんです。ボディビルとかジムワークでつけた筋肉じゃなくて、働く筋肉のついた男性を。何でも屋さんはそれにぴったりだ」
お隣で草刈りをしているところをスカウトしてみたけど、正解だったなぁ、と笑う。
「いやー、別にそんなに逞しくもないんですが……」
そりゃ、サラリーマン時代よりは筋肉はついてるけどもさ。
「これ見よがしじゃないのがいいんですよ。普通がいいんです。あと、実際に身体を使って働いている人の佇まい」
「はあ……」
なんかよく分からないけど、満足してもらってるならいいや。
「さて、次はそこの窓辺に立ってもらおうかな。雨の降る様子を見るみたいに外を向いて……少しだけ顔をこちらに向けて……もう少し戻して、そう」
言われるまま動いて、またじーっとする時間。宇佐見さんがスケッチブックに鉛筆を走らせる音だけが響く。外は大雨。雨の音と、さらさらしゃらしゃらという鉛筆の音。
……
……
眠い。立ってるのに、そのまま寝てしまいそう。ダメだ! 今日はこうやってじっとポーズを取ってることでお金をもらうんだから。眠気覚ましに何か……そうだ、子供の頃、表情やポージングで弟と鏡ごっこして遊んだことでも思い出そう。一卵性双生児の俺たちは、大人になってもそっくりだったけど、子供の頃はもっとそっくりで、親でもたまに見分けがつかないくらいだった。
弟が口をへの字にしたら、俺もへの字。俺が笑顔を作ったら、弟も笑顔。右手を上げたら左手を上げて、左足を上げたら右足を上げる。にらめっこもした。笑ったほうが負け。今考えたら、子供の頃の俺たち何やってたんだろうと思う。近所に遊び相手が居なかったわけでもないのに、何とも微妙な二人遊び。
そうだ、にらめっこから派生して、鏡ごっこで無表情勝負もしたな。表情を変えずにひと言だけ呟いて相手を笑わせれば勝ち。あの時、右手を上げて左手を頭に乗せて左足を上げて、ぼそっと弟は言ったんだ。
──踊る人形
ちょうど二人して『シャーロック・ホームズの帰還』を読んだ後だったから、それを連想したんだろうけど、あれには参った。弟も自分で言って吹き出してた。その後、「踊る人形」に出てくる暗号の形を真似て遊んだっけな……
さすがに逆さまのやつは無理だったけど、他の形はやったな。俺たち、あんなに真剣に何やってたんだろう。傍から見たら、シュールを通り越してもはや狂気だったかも……見ぃたぁなぁ! なんちゃって、幸い誰にも両親にも見られたことなかったな。いやあ、良かった。あんなん誰かに見られたら、弟と二人して正気を疑われるとこだった……。
「何でも屋さん!」
急に呼ばれて、俺は飛び上がりそうになった。




