2016年9月12日の<俺> 油断は大敵! 前編
少し前までは黒っぽいような濃い緑色だったのに、今は黄緑浅緑。黄色に近くなっているのすらある銀杏並木。
秋だ。
まだまだ蒸し暑いけど、朝夕はそこそこ涼しくなったな。でも蒸し暑いんだけど。
そんなこと考えながら自転車を押す登りの坂道、うっかりトイレットペーパー落としそうで気が気じゃない。他にも猫のトイレ砂、ペットシートも積んでいる。買い物代行も、大物が多いと大変だ。汗で背中にポロシャツが張り付いて気持ち悪い。あー、品物届けたら早く帰って着替えよう。
ようやく頂上に着いて、自転車止めて一息入れる。はー、曇りだけど、なんかこう雲の隙間から滲むみたいな暑さがあるな。気温もまだまだ高いし。黄葉紅葉始める木々は季節の移ろいに敏感に反応してるみたいだけど、人間である俺は、まだまだ夏に囚われているようだ。
ふう、と息をついて、もうひと踏ん張りしようとハンドルを握り直した時、向こうからキャミソールドレスの女の人が歩いて来た。あー、あれ、やっぱりどう見ても下着みたいで、娘のののかがあれ着るって言ったら嫌だなぁ、と思いつつ、正面から凝視するのも何なので、視線をぼんやりずらしながら歩いてたら。
ぼとっ。
すれ違う瞬間、何かが落ちた。ん?
落ちたモノは、肌色の塊。
「うぎゃっ!」
上がった悲鳴、何だか野太い。ん?
「わっ!」
俺も悲鳴を上げてしまった。その肌色の塊の正体。気づきたくないのに気づいてしまった。それは本来、外に出してはいけないものだ。
知らないふりしてそのまま立ち去りたかったけど、落とした本人が呆然と立ち尽くしている。曇りとはいえ暑いし、こんなとこにいつまでも突っ立ってたら、倒れてしまうかもしれない。そうなると、コレの落とし主にとってもっと大変なことになるだろうしな……。
しょうがない。今俺は自転車と積荷から手を離せないから、声を掛けて正気に戻ってもらうことにする。
「早く拾ったほうがいいですよ」
「……」
こういうの、多分、本物の女性のほうが反応早いと思う。俺が何か言う前に拾ってさっさと去って行っただろう。でも、“彼女”はなぁ……。
「早く拾いなさいって。人の趣味をどうこう言うつもり無いし、誰かに言いふらしたりもしないよ。それ、ブラジャーに入れるシリコンのパッドでしょう? 早く仕舞いなさい。今なら他に誰もいないから」
そこまで言って、ようやく“彼女”は動いた。震える手でパッドを拾うと、肩に掛けていた大き目のバッグの中に、ようよう仕舞い込む。
そのまま縮こまるように俯く姿をよく見ると、バッグのストラップを押さえる手も腕もごつい。足も、どこかごつごつしてるように見える……骨っぽい膝のせいか? 髪……多分ウィッグも、一見しただけだと分からないけど、何か、こう……。
ひとつ気づくと、連鎖的に違和感に気づいて、全部がちぐはぐに見えてしまう。パッと見だけならちょっとゴツめの女だなー、で済むのに。
「ああ、もうダメだ……」
“彼女”が呟いた。まあ、完全に男の声だな。
「ダメ? どうして?」
「こんなとこ、見られてしまうなんて……」
この世の終わりみたいな顔で、「あんただって今俺のこと変態だと思っただろ」と捨て鉢に吐き捨てる。だけど、俺は言ってやった。
「変態というより、甘いな、と思う」
「……甘い?」
「きみ、今、女の格好してるんだよね? それなのに、その言葉遣いはどうなんだ。もっとこう、演じたい役割に徹することは出来ないのか?」
気持ちは理解するが、あの咄嗟の悲鳴もいただけない、と俺は指摘する。
「演じたい役割って……」
「きみには、覚悟が足りない。女装するということへの。家の中ならそれでもいいけど、外へ出掛けるなら、もっと気合入れないと」
単純に女物の服を着たいだけで、他人の目は気にしないっていうならそれでもいいけど、と俺は続ける。世の中にはスカート男子だっているし。まだ一人くらいしか見たことないが。
「誰にもバレたくないんだよね? 女装だって。それなら、ちょっとうっかりパッドを落としたくらいで動揺して、素に戻っちゃダメだ。さっと拾って、何もありませんでしたよ、って顔で去って行かないと。本物の女はもっと逞しいぞ」
そこは基本だから、と言うと、彼は目を白黒させる。
「女装は、言葉と仕草からって、俺の知ってるやつが言ってた」
知ってるやつって、例の女装バーのオーナー、芙蓉のことな。あいつの女装は完璧だ。あれを見慣れ、るほどは見てないつもりなんだけど、見てるのかなぁ? 対女装審美眼が我ながら厳し……、って、何だよ、対女装審美眼て。知らん知らん、そんなもの、俺は装備してないからな!




