2016年8月16日の<俺> 送り火 後編
迂回路で回り道しても、車なら十分もあれば俺の棲家のボロビルに着く。
熱いシャワーでも浴びて、風邪引かないようにしてくださいよ、と言い残して智晴は去って行った。雨はまだ止まない。
銀色の車体を見送って、俺は部屋に戻った。居候の三毛猫が、ボロソファの上から片目だけ開けて俺を見たかと思うと、またすぐ眠ってしまった。──こいつめ。夏場のコンクリート打ちっぱなしボロビル対策、エアコン常時二十八度設定の部屋は居心地がいいらしい。
ひんやりとした空気に涼しさと微妙な冷えを感じながら、道具の手入れは後回しにすることにして、まずはこの汗みずく泥だらけの服を脱いで、熱いシャワーを浴びることにする。
あー、生き返る……ゆっくり湯船に浸かりたいとこだけど、まだ犬の散歩があるし。髪に石鹸を擦りつけてがしがし洗い、ボディタオルで身体をごしごし洗う。出来るだけ小奇麗に、小ざっぱりと。それが地域密着型の何でも屋として顧客の皆さまに可愛がっていただく秘訣。
──営業職って、どんなんであれ清潔感が大事だよな。昔、会社の先輩に言われたことは正しかったと、仕事が変わった今もしみじみ思う。実際の作業に加え、営業も俺一人でやってるんだし。印象は大事。第一でも第二でも、とにかく印象は大事。
洗濯済みのTシャツとコットンパンツに着替えてから、出かける前に水で出してあった麦茶を飲み、智晴にもらった塩バター飴を口に入れた。塩とバターの風味が、沁みる……。今日会ったという友人さんにもらったお土産のひとつらしい。北海道土産かな? いいな、北海道。涼しそう。
そんなことを思いながらぼんやり飴を舐めていて、思い出した。今日は十六日。送り火を焚かなきゃ。もう夕方なのにうっかり忘れるところだった俺、ボケてる。
雨だから、屋上じゃなくて玄関先で焚こう。迎え火も、本当は玄関先で焚くのがいいらしいけど、屋上のほうが高いぶん父さんたちに火が見えやすい気がして、ついいつも屋上でどっちもやってしまうんだよな。
用意をした焙烙を持ってドアを開ける。何故か三毛猫も一緒に出てきた。いきなり通路にころんと横倒しになる。エアコンで冷えたのかな?
何となく、ドアを開けたままオガラに火を点けた。雨に閉じ込められたように静かな空間を、白い煙が真っ直ぐに空へと上って行く。すると、気圧の関係か何か分からないけど、空気が動く気配がした。部屋の奥からかすかに風が吹いてきて、俺の二つある旋毛をするりとかすめて煙を揺らす。
くすぐったい!
俺は思わず両手で旋毛を押さえた。ふと、子供の頃、弟とお互いの旋毛をつつき合う遊びをしたことを思い出す。双子銀河のような二つの旋毛。一卵性双生児である俺と弟は、こんなところもそっくりだった。
近所の遊び友達たちには旋毛がひとつしか無くて、それが不思議だったんだよなぁ。
そんなことを思いながらつい弟の旋毛を突いたら、弟も俺の旋毛を突いてきた。だんだん面白くなってきて、二人で頭をくしゃくしゃにしながら大笑いしたっけ。つまんないことだけど、楽しかったなぁ……。
「にゃん!」
居候の声でハッとする。オガラが燃え尽きようとしていた。最後の煙が立ち上り、儚いもののように消えて行く。雨は少し小降りになっていた。
居候は鳴くだけ鳴くと、また涼しい部屋の中に入って行った。あいつ、見送りに来たのかな? まあ、単なる猫の気まぐれなんだろうけど。
──父さん、母さん、弟。今年も帰ってきてくれてたんだろうか。来年も待ってるから、きっと帰ってきて欲しい。
さて、グレートデンの伝さんを迎えに行くか。その後はやたら体格の良い柴犬のシーバちゃん。もうひと汗もふた汗も掻く勢いで頑張るぞ! そうそう、シーバちゃんの後は塾のお迎えだ。もうすぐ雨は止みそうだけど、傘は念のため持っておくか。
おおっと、出かける前に洗濯機回しておかなきゃ! 汗で湿って栄養たっぷりの汚れた衣類……キノコ怖いカビも怖い。伝さんの後、シーバちゃんを迎えに行く前に干そう。
洗濯機をセットし終え、ドアに鍵を掛けてさあ出掛けようとコンクリートの階段を下りた時、ふと気になった。
──自転車。
階段脇に止めたままにしておいたのを、もう一度良く見てみると、何故かパンクはしていなかった。狐につままれた気分だ。そのことを不思議には思ったけど、同時に不思議じゃないとも思った。
智晴の言った通り、やっぱり俺を法面崩落事故から守ってくれたんだろうか。
……今年もありがとう、弟。
別の年の<俺>のお盆はこちら。
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またしばらくこちらの投稿はお休みです。




