第23話 父との確執
「その幸せに、あのマンボウ・ピアスが関係あるんじゃないか? 違う?」
俺の突然の問いに、葵は一瞬驚いたようだが、すぐ立ち直った。
「いきなりだね。もっと手順を踏んで欲しいな。あなた、そんなんじゃモテないよ?」
「いいんだよ、モテなくても! 俺には可愛い娘がいるんだから!」
「でも、寂しくない?」
からかうような声音に気づかず、俺はムキになって答えていた。
「ぜんっぜん寂しくない。元妻の弟がまるで静電気みたいにしつこく絡んでくるから! そんなにしょっちゅう顔を見せるなっていうのに、へらへらしながら俺にかまいに来るんだ。今度、玄関ドアの前に、特大の静電気除去グッズを吊るしてやろうかと考えてるくらいだ!」
俺の表情を観察していたらしい葵は、また大笑いした。
「あなたの元? 義理のおとうとさんの気持ち、分かるよ。あなたって、なんだか知らないけどからかいたくなるもの」
からかいたくなるって、俺は猫かい! 心密かに俺は毒づいた。自分が猫の耳に息を吹き掛けて、からかって遊んでいるのはひとまず棚に上げる。
「あんなのの気持ちが分からなくていいよ! ったく、話を逸らせようと思ってるだろ?」
「あ、分かっちゃった?」
葵は、芝居がかって自分の頭をコツンと叩いてみせる。キレイな男は何をしても似合うもんだ。綺麗なお兄さんは好きですか? って、違うだろ、俺! 一人ボケツッコミは虚しいっていうのに、どうして何度もやってしまうのか。俺は何でも屋じゃなく、お笑いを目指すべきだったんだろうか。
いや、ダメだ。お笑い芸人は売れるまでは自分一人ですら食べるのが難しいという。俺にはののかがいるんだ。養育費を払わないと会わせてもらえないんだから、コツコツ地道に稼がないと。
そう。お笑い芸人を目指すには、相方探しも難しいし、かといってピン芸人も大変だ。アメリカではスタンダップ・コメディというジャンルが確立されているが、頭もカンも相当良くないと務まらない。レニー・ブルースのような有名毒舌芸人もいるが、彼の最期はたしか寂しいものじゃなかったか?
いやだから、はぐらかしに乗るな、俺。自分で勝手に妄想を膨らませてたんだけど。
「──あのマンボウ・ピアスは、どうして石の色が違うんだ?」
コホン、と咳払いをしてから俺は訊ねた。
「色違いのお揃いか、それとも、石だけ変えたか?」
それには答えず、葵は悪戯っぽく笑んでみせる。
「あの赤い石、なんていう名前だか知ってる?」
「え……? 赤いんだから、ルビーとかガーネットじゃないのか?」
赤い宝石とか貴石とかって、それくらいしかなかったんじゃないのか? 考え込む俺に、葵はゆっくりと首を振った。
「あれはね、サンストーンていうんだよ。ヘリオライト、つまり<太陽石>」
「……<太陽石>?」
無意識に俺は呟いていた。
『太陽の魚は、お日様が好きだと思う?』
彼女、いや、芙蓉の言葉が甦る。お日様、というのはこのサンストーンのことなのか? 混乱しつつ、さらに俺は訊ねた。
「石を、これに入れ換えたのか?」
葵は頷く。
「太陽の魚に、太陽の石をね」
あの色は、赤い芙蓉の花の色にも似てるよね。葵はそう言って微笑んだ。
「芙蓉は父に罵られるがままに黙って家を出て行ったけど、だからといっておとなしく言うことを聞くだけの子供じゃなかったんだよ。むしろ、俺よりずっと聡くて機転が利いた」
「どういうことだ?」
「保険を掛けたんだ。父の会社の、表に出せない裏帳簿やよからぬ関係先資料、違法接待や違法取立ての証拠──他にもあるらしいけど、そういう世間様に知られちゃ困るようなものを、全部コピーしていったんだよ。それを使って特に何をしようというわけでもなかったらしいけど、念のため、後々何かあった時のためにね」
「そのこと、わらいかめ、いや、高山氏は知っているのか?」
俺の言葉に、くくっと葵は肩を揺らせた。
「<笑い仮面>でいいよ。そう言おうとしたんでしょ?」
「う、まあな……」
俺はきまり悪く目を逸らせた。
「<笑い仮面>なあの人は、全然気づかなかったらしいんだ、最初はね。芙蓉はコピーの痕跡を残さなかったし。同じこと、俺だったら出来ないよ」
「だけど、今はそのコピーの存在を知ってるってこと?」
葵はうなずいた。
「なんで知ることになったんだ? 芙蓉くんが何かしたのか?」
俺の問いに、冷ややかな声で葵は言い捨てる。
「何かしたのは、父の方。芙蓉はそれをやめさせるためにコピーの存在を明かして、脅したって言ってた」
「高山氏は一体何を?」
脅す、とは穏やかでない。<笑い仮面>は芙蓉くんを怒らせるような、どんな酷いことをやったんだ?
「夏子さんの店の入ってるビルの権利書を手に入れようとしたらしいんだ、汚い手で。今は芙蓉が経営してる店って、そのビルのテナントのひとつなんだけど、ビルのオーナーの資金の借り入れ先が、いつの間にか父の金融会社にされてしまっていたらしいんだよ。それで立ち退きを迫られるようになったって」
「まるで893みたいだな……」
俺の呟きに、葵は首を傾げてみせる。
「みたい、と言うか、そのもの、かもね?」
からかうような目で俺を見ている。本当なのか冗談なのかは……今は聞かないでおこう。
「目当てのビルに、芙蓉くんの店が入ってるって、高山氏は知ってたのかな?」
「知らなかったと思うよ。五年も前に家から追い出したもう一人の息子のことなんて、すっかり頭になかったみたい」
俺は葵の横ですやすや眠っている夏樹くんの顔を見て、切なくなった。
「こんな可愛い孫もいるのに……」
高山氏は、この子におじいちゃん、て呼ばれたくないんだろうか。
俺だったら呼ばれたいぞ、孫が出来たら。……ん? 孫が出来るってことは、ののかが嫁に行ってしまうってことか?
くそ、どこのどいつだ、俺の可愛い娘をさらっていく奴は。許せん。ののか! お前の選んだ奴がお父さんの眼鏡に適うような男かどうか、絶対見極めてやるからな!
「どうしたの、怖い顔して?」
「え……?」
まだまだ十一年以上は絶対先のことを考えて、つい険しい表情になっていたらしい。って、いやいやいや、十六で結婚なんてダメだ! せめて大学を出てから、いや、何年かどこかへ勤めてから、それとも外国に留学でも……。
「いや。高山氏は孫の顔を見たくないのかと思って」
俺はにっこり、と笑ってみせた。が、顔は引きつっていたかもしれない。
危ない危ない。現在まだ五歳の娘が、結婚したいと言う時が来たらどうしよう、などと男親バカ全開な心配をしていたなんて知られたら、またからかわれてしまう。
そんな俺の気持ちをよそに、葵はつまらなさそうに首を振った。
「芙蓉にも、芙蓉の子にも、興味は無いと思うよ、あの人は。だって、あの人にとって芙蓉は恥ずべき<欠陥品>なんだから。<欠陥品>の子供を孫と認めることは、絶対にないだろうね」
「そんな……」
俺は絶句した。さっきまでの男親バカな妄想も吹き飛んだ。
「じ、自分の心の方が欠陥品なんじゃないのか?」
あんの<笑い仮面>め~! 許せん。怒りがふつふつと湧き上がってくる。葵はと見ると、既に怒りが燃え尽きて、真っ白な灰にでもなってしまったのか、その顔に表情はなかった。
「父は……元々あまり子供に関心の無い人だったけど、ここまで非情だと思わなかったよ」
声にも抑揚はない。
「つい一ヶ月前まで俺は、芙蓉は何か事件に巻き込まれるかして、不可抗力で行方不明になったんだと思ってた。まさか、まさか実の父親が追い出したなんて、考えもしなかった。いくら無関心だからって、実の息子を追い出すなんてこと、するとは思いもしなかったんだ……」
俺は何も言えなかった。真実を知った時、一番傷ついたのは葵だっただろう。何も知らなかった、いや、知らせてもらえなかったから、余計に。
高山も、女装癖のある息子が気に入らないのはしょうがないとしても、どうして戸籍を抹消するまでのことをしたんだろう。
クソ<笑い仮面>め、あのいつでもどこでも何があってもにこにこ顔は、自分の非情さをカムフラージュするためのものなのか? だとすれば、あの仮面は──
非情のライセンス……?
そういえば、ドラマの中の天地茂は、その後名探偵明智小五郎に扮して、変装に使った仮面を、毎回もったいぶって顔からはがしていたっけ。
高山もはがせばいいのに、<笑い仮面>。……その下は何も無い、のっぺらぼうだったりして。
俺はぞっとした。もし仮面を取ったにしても、何を考えているのか分からないのは、今と同じかもしれないな。ドラマの中の怪人二十面相の方が、目的も美意識もある分、まだ筋が通って分かりやすい気がする。
もしや高山って、分かりやすい怪人二十面相ではなく、複雑怪奇な黒蜥蜴タイプ? 女王様?
……江戸川乱歩先生、変な想像してごめんなさい。
俺は心の中で、耽美な世界をこよなく愛した文豪に謝罪した。
「──自分の子供のことをスペアとか欠陥品とか言うような奴に、親の資格はない!」
俺は吠えた。思わず鼻息が荒くなる。
「君たち双子は、ネグレクトに近い扱いを受けてたんじゃないか? 高山は、何か父親らしいことをしたことがあるか?」
「父親らしいことって、何? 衣食住には困らなかったよ。何しろ、お金はあるんだから」
う、あらためて聞かれると困る。父親らしいことっていうと……。
「えーっと、肩車したり、キャッチボールしたりとか、自転車の乗り方を教えてくれたりとか、あー、逆上がりが出来るようになるまで介助してくれるとか、うーん、それから、」
葵の顔に少し表情が戻った。苦笑い?
「キャッチボールとか、そういうのは全部芙蓉とやった。……そうだね、俺たちもし兄弟のいない一人っ子だったら、もっと歪んでいたかもしれないね」
俺、芙蓉と双子の兄弟で良かった。
そう言って、葵は寂しそうに微笑った。




