2008年9月25日の<俺> 携帯電話の恐怖 5
「え?」
息を呑む野本君。見開いた目に、怯えが滲む。あああ、怖がらせてしまった。そんなつもりじゃないんだけど、でもなぁ。うーん。
「そんなに頻繁なのって、明らかに変だよね。だからそいつら、つまり、電話を掛けて来るやつらは、分かってやってるんじゃないかな、ってふと思ったんだよ」
「分かって、って・・・?」
「君が<オダ>とかいう人間じゃないってこと知ってるのに、知らないふりして、わざと掛けて来てるってこと。──失礼なこと聞くけど、誰かの恨みを買ってるとか、そういう心当たりはないか?」
「恨み・・・」
野本君はしばし考え込んだが、黙って首を振った。
「嫌がらせってことですよね? 思い当たらないなぁ・・・そりゃまあ、僕を嫌いな人間もいるんだろうけど、あんな電話を掛けてきて、何の利益があるんです?」
「精神的に追い詰めて、ノイローゼにするとか・・・?」
「僕がノイローゼになったとしても、誰も得しないと思います」
だから、あなたの説は成り立たないと思いますよ。
そう野本君が言った。
盛大な溜息が聞こえる・・・。
ごめん、野本君。しょーもない思いつきは、オヤジギャグと一緒で、胸の中に秘めておくのが一番だよな。
はぁ。
「これは、俺たち二人で話してても埒が明かないんじゃないかな・・・」
俺の呟きに、野本君はがくりと膝をついた。
「やっぱり、解約しかないのかなぁ・・・」
今の携帯の解約料と、新しい携帯の購入・契約費用。
苦学生、とまではいかないにしても、そう余裕のある方じゃない野本君には手痛い出費だろう。
だいたい、就職活動はお金の掛かるものなのだ。スーツや靴や鞄を揃えるのにも苦労しただろうし、面接や説明会に行くにしても、交通費が必要だ。これが案外バカにならないことを俺は知っている。かつて通って来た道だからな。
「うーん・・・それが無難なのかなぁ」
そう答えつつも、釈然としない思いがこみ上げる。
「悔しいです。僕には何の落ち度も無いはずなのに・・・」
項垂れる野本君。
「理不尽だよな。何とかならないかな」
携帯会社はあてにならないらしいし、こういう場合、どこに相談したらいいんだろう。
「あ」
ぐるぐる考えてた俺は、俺は思わず声を漏らしていた。そうだ、彼に相談してみよう。それがいい。
「どうしたんですか?」
ひとり頷く俺に、野本君が心配そうに訊ねてくる。
「えっと・・・」
俺は、<ウォッチャー>、つまり、ネットの番人ともいえる<風見鶏>に野本君のケースを相談してみようと思いついたんだが、その<風見鶏>の都合によっては相手にしてもらえないかもしれない。
期待をさせておいて、もしダメだった場合、野本君はもっと落ち込むだろう。だから結果が出るまでは彼には黙っておくことにした。
「いや。この後の仕事の段取りについてちょっとね。ところで、野本君。ちゃんと飯食ってるかい? 夏の終わり頃より痩せたんじゃない?」
「え? うーん・・・そうなのかな。この間久しぶりに会ったバンド仲間にもそう言われました。僕、昔から心配事があると食べられなくなっちゃうタイプだから・・・」
情けないですよねぇ、と野本君は苦笑いする。
「よし! 草むしり手伝ってくれたし、お礼に昼飯奢るよ。牛丼だけど。手、洗ったら、一緒に駅前の吉牛行こうぜ。食べないと、腹に力が入らないし、気持ちも後ろ向きになっちゃうからな」
味噌汁もつけてあげるよ、と言うと、野本君は少しだけ笑顔を見せてくれた。
吉牛では大盛りを勧めたのに、野本君は並みで良いといい、しかも、少し残した。まだ二十歳過ぎのいい若者が、あんなんで身体がもつんだろうか。
オヤジな心配をしつつ、俺はノートパソコンを起動させた。
今は夜。深夜と言っていい時間。野本君と別れた後も細切れに入っていた依頼を忙しくこなし、帰って晩飯食って風呂に入って一息入れたところだ。
真っ黒な画面に、謎の白い文字が流れていく。ブートな画面だ。けど、ブートって何だ? 以前、元義弟の智晴にこのパソコンの設定をやってもらった時に聞いたはずだけど、名称以外、何も覚えていない。
つらつらそんなことを考えているのは、起動が遅いせいだ。ま、古い機種なんだからしょうがない。
さて、と。今週のパスワードは何だっけ。
そう。俺は<風見鶏>と連絡を取ろうとしているのだった。ややこしいんだよな、彼に繋ぎを取るのは。パスワードは毎週変わるし、それに、毎回違うパスワードを入れなきゃならない。
えーと。最初のは、<64564JOCHUGI9>だったっけ。
・・・「虫殺し除虫菊」ってどういうセンスだよ、<風見鶏>。しかも、微妙に季節がズレてるし。




