2008年7月7日の<俺> 熱中症は恐ろしい 8
俺は感心した。そういえば、この義弟も謎(?)の情報屋こと<風見鶏>と知り合いだったんだよな。ネットの海を自由気ままに泳ぎまくるこの手の人種にとっては、パスワードなんてタコの枕ほども役に立たないのかもしれない。
「ああ、パスワードね」
智晴は苦笑いした。
「だって、義兄さんの設定したのって、姉さんの名前と生年月日だったでしょう? いくらなんでも簡単すぎますよ」
う。恥ずかしい。
俺は下を向いた。耳が真っ赤になってるような気がする。
「わ、分かった。次はののかの名前と誕生日にするよ」
うん。大切な顧客情報が入ってるんだもんな。大したプロテクトにならなくても、掛けないよりマシだし。
「義兄さん・・」
智晴が、額に手を当てて疲れたように言った。
「それじゃあ何も変わらないでしょう」
え? 変わるだろ? 妻の名前+誕生日から、娘のののかの名前+誕生日に。
「そういう意味じゃないです・・・」
元義弟は頭を抱えてしまった。どうした? 今頃暑気あたりか? お前も人間だったんだなぁ、智晴。
「あのね、義兄さん」
言いかけて、智晴ははぁっと息をついた。らしくない仕草で髪の毛をくしゃくしゃと掻き乱す。
「あなたは、・・・そう、彼は<風見鶏>と名乗ってましたね、あなたには。その<風見鶏>のパスワードセンスを参考にすればいいと思います」
何? レベルを俺に合わせてる、というアレか?
「『3dabird15』とか『sirokuma30551』とか?」
「そうです」
智晴は重々しく頷く。
「どーしても、ののかに因んだものにしたいなら、せめて『n0n0car』くらいにしてください」
どこからか取り出したペンで、チラシの余白にそう書いてみせる。なんだこれ。えっと・・・『0』はアルファベットの『オー』ではなく、数字の『ゼロ』か。へー。最後は『車』で『かー』と伸ばす。ふーん。すごい。暗号のように見える。
「さすがだな、智晴!」
思わず尊敬の眼差しを向けると、元義兄はさらに大きな溜息をついたのだった。
何で?
明けて翌日。今日はもう九日だ。タナバタの日に倒れて、バタバタしたなぁ、なんておやじギャグのひとつも出てしまう。
昨夜の夕飯は、具沢山の味噌煮込みにゅうめんだった。固めに茹でた素麺を、元妻が作ってくれたというだし汁に入れて出来上がり。だし汁はシャトルシェフとかいう特殊な鍋に入っていたので、少し温め直すだけですぐに熱々になった。
姉のパシリと化した智晴には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。あのトシになっても、弟というものは姉に頭が上がらないものなんだろうか。
「ま、姉さん特製のこの出汁、僕も好きだからいいんですけどね」
手際良く素麺を茹でてくれた智晴は、子供の頃からよく姉の命令で料理の手伝いをしていたという。そのせいで、実は簡単なケーキくらいなら朝飯前で作れるのだそうだ。・・・人は見かけによらないもんだな。
涼しい部屋で、あったかいにゅう麺を食べる贅沢。身体があたたまって、昨夜はよく眠れた。
おんおん!
生垣の向こうから、グレートデンの吠える力強い声が聞こえてくる。ああ、俺が来たのが分かるんだな。
「何で?」で終わるとキリがいいのですが、あんまり短いので退院翌日の朝の場面まで入れました。この話は明日で完結です。




