2008年7月7日の<俺> 熱中症は恐ろしい 7
「お、俺は嫌だからな」
ヘボ碁(って言葉、あるのかな? ヘボ将棋ってのは聞いたことあるけど)で義弟に馬鹿にされたくない俺は、ぶんぶんと首を振った。・・・う、ちょっとくらっときた。振り過ぎたか?
涙目になって頭を抱える俺を見て、そんなに大きく首を振るからですよ、と智晴はくすくすと笑っている。
「まあ、焦らずに機会を待つことにします。若手の名人と謳われるあの人に面白いと言わせるなんて、義兄さんは凄い。尊敬しますよ」
智晴が口にしたのは、俺でも聞いたことのある棋士の名前だった。
げ。マジ? 俺、そんな人と一戦交えたの? てか、あんたも何で教えてくれなかったんだ、友人よ。プロ棋士相手に、俺、とんだ恥をかいたじゃないか。知ってたら、畏れ多くてその人と同じ碁盤の向かいに座れないよ。
そういえば。
「また一局やりましょう」「約束ですからね」とか何度も言ってたよ、あの人。何が楽しくてこんな素人と・・・。あれくらいのレベルの人からすれば、俺なんか片目つぶってたって瞬殺出来るだろうに。
・・・そうか。分かった。類は友を呼ぶってこのことか。<ひまわり荘の変人>の友達は、やっぱり変人なんだ。
智晴だって変人の部類だし、俺の周りは何でこんなやつばっかりなんだ。
不幸だ。
「さて、と」
智晴はテーブルに置いてあった車のキーを掴んだ。良く見ると、似合わないキーホルダーがついている。
・・・キティちゃんてことは、多分ののかのプレゼントだな。
「僕はこれで。冷蔵庫には、姉さん特製のみかんゼリーも入ってますから。僕からはアボカドとトマト、二種類のスープと、特別に柔らかいパンで作ったささみとハーブのサンドイッチを。まだあまり食欲はないでしょう? だから栄養があって食べやすいものを選んでみました。お粥ってほどもう弱ってはいないでしょうしね。だから昼はしっかり食べてください」
「あ、ああ・・・」
「夜、また様子を見に来ますからね。夕食はその時の体調で決めましょうか」
とにかく、今日は一日寝転がるなり、テレビを見るなりして、ゆっくり養生してください。あ、うっかり転寝しちゃった時のために、タオルケットは被っておいてくださいよ。
心配性の母親のように、くどくどと注意をする智晴。
・・・前言撤回。俺、やっぱり幸せだ。
俺は心の中で深く感謝した。智晴に、元妻に、娘のののかに、家主の友人、それに、俺にかかわる全ての人々に。
と、出て行きかけた智晴が、思い出したように振り返った。
「そうそう。午後からの広田さんちの庭の草むしり、それと椿井さんちのチワワ三兄弟の散歩はキャンセルしておきましたから。皆さん、事情を話したら、快く応じてくださいました。またお礼を言っておいてくださいね」
へ?
何で智晴、俺の仕事の予定を知ってるんだ?
「何でって、あ・・・」
そこで、智晴は改めて俺に向き直り、頭を下げた。
「すみません」
「え・・・?」
予想外の事態に、俺はぽかんと義弟の顔を見つめるだけだった。
智晴は言う。
「緊急事態だったので、PCで管理してる義兄さんの仕事予定、見せてもらったんです。だってこの商売、信用が命でしょう? 今回のことで、仕事ドタキャン連絡なしの何でも屋だなんて広まってしまったら、依頼が減ってしまうかもしれないと思って・・・僕の独断です。勝手なことして、すみませんでした」
智晴の言う通りだ。今まで依頼のことを忘れてた俺は、我ながら相当ボケてると思う。
「いや。助かったよ、智晴。的確な判断、さすがだな。ありがとう」
うーん、毎日ふらふらしてるように見えるけど、凄腕のデイトレーダーはやっぱり違うな。瞬時の状況判断とそれに基づく迅速な行動はダテじゃない。
「それにしても、よくパスワードが分かったな」




