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第22話  二重の意味の死人

二人でしばらく夏樹くんの安らかな寝顔を見ていた。


「なあ。なんでここがネクロポリスなんだ?」


今まで聞くタイミングを逃していた質問がするりと出た。


「ネクロポリスは死者の都という意味だ。なぜ死者なんだ? 寝ている子供がいるだけなのに」


「だって、芙蓉は死人だもの」


皮肉な口調で葵は言った。


「この世にいない人間なんだってさ、あいつ」


死人? この世にいない人間? おれはまた混乱してきた。


「え? じゃあ<サンフィッシュ>で俺に声を掛けてきたのは、幽霊じゃなかったら葵くん、君か?」


葵は、呆れたような軽蔑したような目で俺を見た。なんでだよ。

だが、なんでだよ? と思ったのは彼も同じようだった。


「どうして俺が女装なんてしなきゃならないんだよ、面倒な。あのね。男が女の服を着て化粧したからって、簡単に『女』に見えると思わない方がいいよ」


「え? どういうこと?」


「出来映えがいくら美人でもね。歩き方や仕種、そういうものを意識しないと男は男にしか見えない。話し方や飲み食いの仕方も。下品でガサツな女もいるけど、だからって男には見えないだろ? そういうもんだよ」


「そ、そうなのか?」


「そうだよ。たとえばさ、あなたの男友だちや知り合いの誰かを、頭の中で女装させてみてよ。どう? 女の格好をしただけで女に見える?」


「……」


俺はつい智晴を女装させてしまったが……確かに、その格好をしただけで女には見えない。──突然、背中がぞぞっとした。ただの想像とはいえ、自分が女装なんかさせられたと知られたら、どんな皮肉を言われるやら。


「何、その梅干しでも食べたような顔」


楽しそうに葵が訊ねてきた。


「コワイ想像になったんでしょ?」


瞳が悪戯っぽく笑っている。おれは何も言えず、コクコクと頷いた。


「ふふ」


俺をいじめて気が済んだのか、葵はあっさりと答えた。


「あなたが会ったのは、芙蓉本人だよ。俺じゃない」


「でもさっき、死人でもうこの世にいない人間だって……」


「戸籍上は、ってこと。それも父の仕業だよ。最低な人間だ」


吐いて捨てるように言うのへ、俺はびっくりして大声を上げかけたが、耐えた。子供が眠ってるんだ。


「……! あの<笑い仮面>が、そんなことまで?」


囁くように声を落とした俺に、葵が不思議そうに首を傾げた。


「笑い仮面って何が?」


「え? いや、その……高山氏はいつでも何があってもにこにこしてらっしゃるんで、つい、な」


一瞬の間。そして葵はいきなり爆笑した。おい、夏樹くんが起きたらかわいそうだろ。


「たしかに。あの人のあれは仮面だ。<笑い仮面>だ」


人さまの父親に変なあだ名を付けて、申し訳ないなぁと思っていたのに、当の息子本人が大ウケしているものだから、ついまたしょーもないことを言ってしまった。


「ナントカ仮面と言っても、正義の味方っぽくはないけどな」


月光仮面に七色仮面、白獅子仮面に怪傑ハリマオ、ってハリマオは違うか。障子はりまお、って、ああ、俺って何てギャグ体質なんだ……。


葵は、俺の言葉にさらにウケていた。笑い上戸?


「あー、笑ったよ。父が変な衣装を着てマント羽織ってる姿想像しちゃった。そういえば子供の頃、悪の怪人がみんなナントカ仮面、っていう特撮ドラマを懐かしチャンネルで見たことがあるよ。子供ごころにも変だと思ったのは、<木靴仮面>。靴なのに仮面なんだよ」


笑い涙を拭きながら、葵は言う。


「うーん。それなら俺も見たことあるかも。<鏡仮面>と<太陽仮面>て二人組の怪人もいたな。太陽仮面の光を鏡仮面が反射して、正義の味方の五人組を苦しめるんだ。前半の戦いで鏡にヒビが入ったと思ったら、後半出てきた時はそのヒビが、物のない時代の窓ガラスふうに修復されていたから笑えた」


「そいつらは笑えるからいいよ。どうせ手下を引き連れて幼稚園バスを襲うくらいだろ? 父はもっと陰湿さ」


「戸籍をどうかしたってことなのか?」


俺の問いに、葵は頷いた。


「俺にも何も言わずに、勝手に芙蓉の籍を抜いて、うやむやにした挙げ句、死んだことにしたんだよ。金貸しで稼いだ金を、そんなところで使ってるんだ」


「……普通、何もしなくても七年たてば失踪人宣告だったっけ? 死んだとして、戸籍を抹消できるんじゃなかったかな」


「俺もそう思ったよ。だけど、父はよほど芙蓉の性癖が許せなかったらしいんだ。追い出して一年くらいで、戸籍を弄った」


「高山氏は、何度も警察に行って捜索願を出したって言ってたけど、じゃあそれはカムフラージュだったのか? 警察は相手にしてくれなかったって、にこにこしながら怒ってたが」


「セコい偽装工作。あの人らしいね」


葵はバカにするように鼻を鳴らした。


「待てよ? 戸籍上死人なら、夏子さんの籍にどうやって入ったんだ」


「そう、それ。俺も疑問に思ったんだ。だけどね」


大きく息をついて、葵は続けた。


「夏子さんも凄いよ。籍を入れに行って、初めて芙蓉の戸籍が抹消されていることが分かったんだけど、すごく怒ったって。まだたった十六歳の息子を、ほとんど身ひとつで追い出したばかりか、戸籍までいじって死人にして、鬼より酷い親だってね」


「それで?」


「あの人は人脈を使った。世間からすれば特殊な店をやってるわけでしょ? 偉い人の中にも特殊な趣味を持ってる人がいて、その人が店の客というか、会員だったんだって。最初は元の戸籍を復活させようと考えたらしんだけど、それだと父にも知れるでしょう? だから、亡くなったばかりの身寄りのない『芙蓉』さんを探し出して、その人の死亡届を握りつぶした。今の芙蓉は、芙蓉は芙蓉でも、別人の『芙蓉』なんだよね」


芙蓉は二重の死人だよ、と葵は呟いた。


「別の名前の死人なら、もっと簡単に見つかったらしいんだけどね。せめて名前くらいは、って夏子さんがその偉い人に頼んでくれたんだって」


「同じ<芙蓉>の名を持つ死人、ってこと?」


「そう。別に名前が変わったって芙蓉は芙蓉なんだけど、<芙蓉>と<葵>、俺たちの母がつけてくれた名前だってこと、大切に思ってくれたらしいんだ。……会ってみたかったよ、夏子さんに」


寂しげに、葵はまた夏樹の髪を撫でた。


「……」


俺も会ってみたかったな。そう思った。強くて優しい女性。芙蓉という一人の人間を、彼女は全力で愛したんだろう。


「その戸籍の本物の<芙蓉さん>の遺体は、ちゃんとその名前で墓を建ててあげたって。その人はほとんど身寄りのない状態だったから、無縁仏として葬られるよりは良かったのかもしれない。毎年、夏子さんが亡くなってからも、<芙蓉さん>の墓にお参りしてるって芙蓉は言ってた」


それを聞いて、俺は感心した。


「利用するだけじゃなくて、ちゃんと礼は尽くしてるのか。それなら<芙蓉さん>も許してくれるんじゃないかな……。俺はそう思うよ」


俺の言葉に、葵は目を伏せた。


「……芙蓉には、もちろん俺という双子の弟がいるわけだけど、会うことは禁じられたし、母は早くに亡くしてる。父には捨てられたわけでしょ? だから身寄りの無い<芙蓉さん>の境遇が、他人事に思えなかったみたい。夏子さんは、やり方は大胆だけど人間としての情にあふれた人だったから、戸籍を借りた人の後のことは、最初からちゃんとするつもりだったらしいんだ」


「そうか……」


「二人でいられたのは短い時間だったけど、芙蓉は夏子さんのお蔭で、本当に救われたと思う。彼女がいなければ、芙蓉はどこかへ堕ちていってしまって、もう二度と会えなかったんじゃないかって、そう思うんだ。だから、俺は彼女の息子である夏樹を幸せにしてやりたい。もちろん、芙蓉もね」


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□■□ 逃げる太陽シリーズ □■□
あっちの<俺>もこっちの<俺>も、<俺>はどこでも変わらない。
『俺は名無しの何でも屋! ~日常のちょっとしたご不便、お困りごとを地味に解決します~(旧題:何でも屋の<俺>の四季)』<俺>の平和な日常。長短いろいろ。
『古美術雑貨取扱店 慈恩堂奇譚』古道具屋、慈恩堂がらみの、ちょっと不思議なお話。
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