2008年7月7日の<俺> 熱中症は恐ろしい 6
「そんな、謙遜しなくても」
「いや。一ミリたりとも謙遜してない。そもそも、謙遜出来るだけの実力が無い」
「そうなんですか?」
納得出来かねる様子の智晴に、俺は大きく頷いてみせた。
「そう。初心者に毛の生えた程度だよ。中級というにもおこがましいくらいだ」
「それじゃあ、どうして・・・」
あの人はそんなに対戦したがるんですか、と智晴は不思議そうだ。
「俺は弱い。本当に弱いんだよ。でもな、たま~に、本当にごくたま~に、勝つことがあるんだ。いつも、何で勝ったのか良く分からないんだけど」
そうなんだよなぁ。何でか分からないんだけど、気がついたら勝ってることがある。「ああ、これは僕の負けだね」と言われて、びっくりするくらい。あいつはそんな俺を見て、いつも面白そうに笑うんだ。「君は本当に飽きないね」と。
「あいつの言葉を借りると、俺の碁は、ユニーク、らしい。予想もつかない手を打ってくる、それが面白いって言うんだけど・・・」
俺、いつも真面目に打ってるのに。どこが面白いんだ、あの<ひまわり荘の変人>め。あんたの方が面白いわい。
「・・・無駄に長引かせるんだよな、いっつも」
はあ。思い出すと溜息が出る。
「あの人が?」
うん、と俺は頷き、ずずっとみかんジュースを啜った。
「うっかり自分の石を置いてみてから、あ、次の手で負ける、って気づく時があるだろ? オセロに例えれば、忘れてた隅を取られて速攻ジ・エンド、みたいな。そういう時、あからさまに明後日なとこに石を置くんだよ、あいつは」
「それは、やっぱりわざと?」
「わざとだよ。いくら俺がヘボでも、それくらいのことは分かるさ」
俺が気づくくらいの手だ。あいつが見逃すわけがない。
「なんかこう、遊んでるみたいなんだよな。あ、別に、弱い俺を嬲って喜んでるっていうんじゃないぞ? そんなんじゃないんだ。うーん・・・そうだなぁ、数学の問題で愉しんでるっていうか、数と戯れてるっていうか──」
どうも上手く説明出来ないけど、そんな感じなんだよなぁ。
「そういう時のあいつって、すっごく楽しそうなんだよ。あんまり表情の変わらないやつなんだけど、目がきらきらしちゃってるっていうかさ」
「へぇ・・・」
智晴は興味深そうだ。
「いつだったか、あいつの知り合いって人と一局やったことあるけど、その人に、あなたの碁は予測がつかなくて面白いって言われたな」
そういえば、その知り合いってのがテレビに出てるの、見たことあるような気がするんだよな。高そうな着物なんか着てたから、うっかり気づかなかったけど。だって、俺と一局やった時はTシャツにジーンズだったし。
あれは、対局(というのも、俺からするとおこがましいが)からひと月くらいしてからだっけか。
風呂上り、至福のビールをちびちびやりつつぼーっとザッピングしてる時、一瞬画面に映った姿がふと記憶に引っかかったんだっけ。で、チャンネルを戻したら、ちょうど番組は終了。
結局内容は分からんかった。まあ、顔の広い<ひまわり荘の変人>のことだ、芸能人の知り合いがいたって不思議じゃないと思う。
──って、何気なく智晴に語ったら。
呆れたような、おかしいような、半笑いみたいになって行くのはなんでだろう。
「僕も是非一度、義兄さんと一戦やってみたくなってきましたよ」
そう言って、目を細める。
おい、何でそんなに楽しそうなんだよ?




