2008年7月7日の<俺> 熱中症は恐ろしい 5
ドアを開けたら、蒸し焼き窯か火炎地獄か、と覚悟していたのに。
そこには、爽やかな高原の風が吹いていた。
「へ?」
間の抜けた声を上げる俺を尻目に、智晴は着替えなんかの入った荷物をボロソファの隅に置くと、勝手に冷蔵庫を開け、中から缶入りジュースを取り出した。
「はい。こっちも冷えてますよ」
ぼーっと突っ立ったままの俺に差し出す。無意識にそれを受け取りながら、俺は呟いていた。
「みかん・・・」
えーっと。みかんはジュースで。んで、ここは俺の部屋だよな?
「ブリタの水も取り替えておきましたよ。そっちの方がいいですか?」
「ん? みかん。みかん飲む・・・」
俺はどすん、とボロソファに座り込み、缶のプルトップを開けた。
「こぼさないでくださいよ。大丈夫ですか?」
う。缶を傾けるタイミングと口を開けるタイミングが合わなくて、危ないところだった。
「・・・なあ?」
「何です?」
自分もみかんジュースを飲みながら、智晴は応じる。
「あのさ、何で涼しいんだ?」
「ああ、それはもちろんタイマーをかけておいたからですよ。あなたを迎えに行く前に、ちょっとここに寄ったんです」
たいまー? 何でタイマー? ウルトラマンのタイマーは三分間。
・・・えーと?
まだ状況が分からずにぐるぐる考え込んでいると、智晴が思い出したように付け加えた。
「そうそう、この部屋、というか、ビル。管理費が上がるそうですから」
え? 管理費? そんなもんあったっけ? 家賃は払ってるけど。
「ここの持ち主がね、家主権限で新品のエアコンを取り付けたんですよ、あなたの入院中に。店子が熱射病なんかで死んだら夢見が悪いからって、彼言ってましたけど」
夢見って、オイ。
「だからその分、管理費を家賃に上乗せするという話でした」
智晴の声を遠くで聞きながら、俺は顔を上げた。何で気がつかなかったんだろう、室内を満たす涼しい風は、新しく取り付けられたエアコンの噴出し口からやってくるのだ。
稼動音は低い。静かだ。だけど、確かにそこにある。そこにあって、爽やかな風を提供してくれている。なんか、なんか・・・
「・・・なんか、悔しい」
俺、守られてるみたいじゃないか。
無意識に、言葉が洩れる。聞こえていただろうに、智晴はそれについてはコメントせず、先を続けた。
「管理費は、月々千円だそうです。今月分からということですから、忘れないでくださいね」
「え、千円?」
驚きのあまり、微妙な敗北感というか、悔しさというか、そういう感情から意識が逸れたのに俺は気づかなかった。
いいのか、それで? 管理費ってそんなもんか? って、上がったら上がったで困るんだけどさ。
目を丸くする俺に、智晴は大きく頷いてみせる。
「そう、千円です。安いですよね。その代わり、家賃と管理費を持ってくる時、必ず碁の相手をするように、とのことですよ」
今時、手渡しとは珍しいですね、と智晴は感心してみせた。
「義兄さん、そんなに碁が強かったんですか? 知らなかったな」
「いや、弱い」
俺は即答していた。それじゃ一度僕と対戦を、とか言われたらたまらないからな。




