2008年7月7日の<俺> 熱中症は恐ろしい 3
「あなたはまだ意識が朦朧としてたから、すごく心配してましたよ、かわいそうに。でも、父親として、今日は安心させてあげたいですよねぇ?」
・・・智晴、飴と鞭の使い分けが上手いな。
「あ、そうだ、先生」
何を思い出したのか、唐突に智晴はドクターに声を掛けた。
何だ、どうしたんだ、智晴。まだ俺をいぢめるつもりか? ちくちくと。・・・一度怒らせると長いからなぁ、こいつは。はぁ。
「どうしました?」
応えて、ドクターも小首を傾げる。うーん、この人はやっぱりわんこ系かも。
「目も覚めたし、異状もないということですし、あれ、いいですか?」
「ああ」
ドクターは微笑んで頷いた。
「そうですね。点滴は打ってましたが、喉は渇いているでしょう」
喉? うーん、そういえば乾いてるかも。智晴にスポーツ飲料買ってきてもらおうかな。ののかが来る前に元気になっておかなくては。
俺がそんなことを考えている間に、智晴は冷蔵庫(うっかりしてたが、ここは個室じゃないか。何てこったい!)から魔法瓶のような水筒を取り出した。
「・・・それは?」
俺の問いに答えてくれたのは、ドクターのほうだった。
「あなたが一度意識を取り戻した時、朦朧としながら『みかんのジュース飲みたい』とおっしゃったんですよ。お好きだそうですね」
へ?
俺が首を傾げていると、智晴が付け加える。
「だから、それを聞いた姉さんが、いったんここを出てみかんを買って帰って、大急ぎで搾ってジュースにして、また持ってきたんですよ」
夏なのに季節外れのはずの蜜柑が手に入るなんて、いい時代になりましたよねぇ。そう言いつつ、智晴はガラスのコップに注いだみかんジュースにストローを添えて手渡してくれた。
元妻も来てくれたのか・・・
オレンジとは違う、みかんのやさしい香り。
・・・俺は、彼女が作ってくれるこのフレッシュみかんジュースが大好きだったんだ。
ありがとう。きみはいつも、やさしい ――
あれから。
ののかに泣かれ、元妻に叱られ。
さんざんだった、けど。
涙が出た。ありがたくて。
こんなに情けない父親なのに。全然頼りにならない、しかも別れた元夫に過ぎないのに。二人とも、真剣に心配して、怒ってくれた。
智晴も。元義兄なんて限りなく他人に近いのに、時間に拘束されない自由業(やつは腕のいいデイトレーダーだ)だからってずっとついてくれてたりして。
俺って、何て幸せなんだろう。
みんなに、心の底から謝った。二度とこんなことにならないよう、きちんと三食食べて眠って、規則正しい生活をすると約束した。けど、蒸し風呂を超えて蒸し焼きオーブンのようなあの部屋に戻ったら、また同じことを繰り返してしまう可能性は大だ。
だから、退院したら即エアコンを買いに行くぜ! と心に誓った。──ふところがアレだが。
その晩は、もう眠れないんじゃないかと思っていたが、病院お決まりの早い夕食を済ませた後、俺はまたスコーンと眠ってしまったようだ。あんなに寝たのに、まだ眠り足りなかったのか。
翌朝、退院前の診察をしながらドクターは言った。
「それだけ身体が疲れてたってことですよ。暑くて食欲ない、眠れない状態が続いていたみたいですから、当然の反応ですね」
そして、「これ、僕からの退院お祝いプレゼント」と冷えピタを三箱もくれた。それから、「早く新しいエアコン買いましょうね」と微笑む。俺は、今日は帰ったらすぐ電気屋に行くことを誓います! と、高校球児のように片手を上げて宣誓した。
ドクターと看護師の兄さんに見送られ、退院した。車で迎えに来てくれた智晴が、少しだけとはいえ荷物まで持ってくれたが、今回、この元義弟には世話になりっぱなしだ。入院費も既に払ってくれてあるらしい。




