2008年7月7日の<俺> 熱中症は恐ろしい 2
「・・・義兄さんは、本当に運がいい」
呟くように智晴が言った。
「倒れたのが出先で良かった」
「智晴・・・」
「もし、あの部屋で独りで意識を失っていたら、義兄さんは多分、助からなかったでしょう」
元義弟の固く握られた手が、膝の上で震えている。声も・・・
いつも冷静でスカしたヤツなのに。
「そうなったら、ののかも、姉さんも、どんなに・・・!」
智晴は言葉を詰まらせた。俺に顔を見せたくないないみたいに、立ち上がって窓の外を見る。その背中が、やけに小さく見えた。
ああ、俺。こんなにも心配させたんだ。
「ごめん」
自然にその言葉が出た。
「ごめん、智晴。俺、独りじゃないのにな」
独りで生きてるんじゃないのに。俺に何かあったら悲しむ人がいるのに。この元義弟に、娘のののか、元妻・・・ みんな、俺のこと大切に思ってくれてるのに。
俺自身が俺のこと、大切にしてなかった。
それからすぐ担当ドクターが来て、診察をしてくれた。その間、智晴は席を外していたが、診察が終わる頃にタイミング良く戻ってきた。
「成人でも、熱中症は怖いもんです。外で身体を動かす仕事をなさってるなら、水分補給はこまめに。あ、帽子は絶対被りましょうね。首筋に直射日光が当たらないよう、タオルでも巻きましょ。タオルの下に冷えピタみたいなの、貼るといいです」
童顔の医者はそうアドバイスしてくれた。
「あと、暑くて食欲が無くてもちゃんと食事すること。あなた、少々栄養失調ぎみです。それで余計に体調を崩したんでしょう」
栄養失調ぎみ、の辺りで、黙って話を聞いていた智晴のこめかみがぴくっとするのが分かった。
・・・ヤバイ。
「診たところ、容態は落ち着いているので、明日には退院していいですよ」
俺の内心の焦りに気づくことなく(そりゃそうだわな)、ドクターはにっこり笑って言う。
って、ええっ?
「明日ですか? 今日は? てか、今何時?」
気づいて、軽くパニックに陥った。
「義兄さんは、丸一日眠ってたんですよ」
智晴の声が答えた。なぬ? 思わず、ドクターの方を見つめる。彼は困ったように首を傾げた。・・・なんか、チワワみたいで可愛い。てなこと考えてる場合か、俺!
「あー、そっか。まだ聞いてなかったんですね。そう、弟さんのおっしゃる通りです。あなたは昨日の今頃ここに運び込まれたんで、ちょうど丸一日経ってますね。でも、もう少しここで安静にしてもらいますよ。あなたの部屋のエアコンは故障してると聞いてます。もう少し元気にならないと、夜中ごろ、またもや緊急入院なんてことになりますからね」
う。それを言われると──
絶句していたら、智晴がわざとらしく頷いていた。な、何だよ?
「昨日、あなたの保険証とか探しに事務所に寄ってみたんですがね、義兄さん。室温、三十七度くらいありましたよ。平熱より高いんじゃないですか?」
「三十七度!」
ドクターが驚いている。
「今の状態では、ますますそんな場所に戻せませんねぇ・・・」
「ですよねぇ。なにしろ、コンクリート打ちっぱなしの外装途中ビルなので、ダイレクトに太陽熱が溜まるみたいです。僕は部屋に入って五分で汗びっしょりになりました」
このトシで汗疹が出るかもと思いましたよ~、なんて言ってやがる。
なんてイヤミだ、智晴・・・
悔しさに、思わず歯噛みしていると、当の智晴がくるりとこちらを向いた。
「だから、先生のおっしゃるとおり、もう少し入院しておきましょうね」
にぃっこりと胡散臭く微笑んでみせる元義弟。怖いよ。目、笑ってないし。
うう・・・
悔しいけど、反論出来ない(それに、怖い)。
「午後になったら、ののかがお見舞いに来ますよ。本当は昨日も来てたんですけどね」
な、何! 俺の最愛の娘が来てくれてたっていうのか?




