2016年4月1日の<俺> 四月馬鹿 3 終
「お義姉さん、これ、桜餅です」
「あら。ありがとう。まあ、二種類あるの?」
「ええ。関東風と関西風。全然違うでしょう?」
「ホント! 桜の葉っぱが無ければ同じお菓子と思えないわ、面白い。気が利くわねえ。うちの弟ときたら」
「酷いな、姉さん。僕は美味しいお茶とお煎餅を担当したんだよ。昨日、弟同士で相談して決めたんだから。ね?」
弟が苦笑している。
「智晴君からいきなり電話が掛かってきてびっくりしたよ」
「だって、同じ日に遊びに行くんだし。弟同盟としては、お土産がダブらないようにしたいじゃないか」
「何なの、その同盟?」
訊ねながら俺にののかを渡して、妻は智晴の持ってきた高級そうな緑茶を淹れるためにキッチンに立った。
俺も聞きたいよ、それ。弟同盟って何だ?
「智晴ったら、どうせまたよからぬことを考えたんでしょ」
茶を入れた急須に電気ポットの湯を注ぎながら、妻は言う。
「姉さん、いいお茶なんだから熱湯を注ぐのは止めてくれない? それと、よからぬことなんか考えてないから」
「お湯は適温よ。うちの人は緑茶が好きだから。それと、よからぬことじゃないなら何なの?」
智晴が、むっと口を閉じた。姉弟の軽い言葉争いは完全に姉の勝ち。こんなところに力関係が垣間見えて、俺と弟は顔を見合わせて笑った。
「お義姉さん、そう言わないでください。弟同盟っていうのは、お互いの姉と兄を盛り立てて行こうっていうものなんですから」
「へ?」
思いもよらないことを聞かされて、俺は力の抜けた声を出してしまった。
「まあ!」
妻も、意外なことを聞いたように驚いている。
「智晴君、兄が出来たのがうれしいらしくて……」
「あら、姉では不足だったのかしら?」
照れたのを咳払いで隠して、妻は憎まれ口を叩く。智晴は智晴でちょっと頬を赤くしてそっぽを向く。そんな二人に、弟はさらっと言ってみせた。
「俺は、姉が出来てうれしいですよ。智晴君は弟みたいだし」
その言葉に、妻は「まあ……」と頬を両手で包み込み、智晴はさらに赤くなった。
──すごいぞ、弟よ。そんな恥ずかしい言葉をさらっと。まるでホストみたいだ。
「俺だけ弟が増えて、姉さんがいないのか……」
話に乗って、そんなことを言ってみる。
「あなたには愛する妻がいるでしょ。弟たちにはいないじゃない」
「つまり、兄さんは幸せ者ってことだね」
きれいにまとめてくれた。やっぱり、弟はすごい。
「ほ、ほら姉さん。早くお茶持ってきてよ。こっちで桜餅皿に出すから」
「分かってるわよ。お煎餅も出してよ」
一瞬の間の後、似たもの姉弟はぎくしゃくと動き出した。妻は自分で言った「愛する妻」発言が今頃恥ずかしくなったらしい。
「弟同盟か……」
するり、と言葉が漏れた。弟と義弟が仲良くそんな風なことを考えてくれてるのが、うれしい。
「うん。言い出したのは智晴君だけど。兄さんが結婚するまで、俺には兄さんしかいなかったからね」
弟が、俺だけに聞こえるように呟く。──そうだな。あの事件で父さんと母さんを亡くして以来、俺たちは二人っきりの兄弟で、この世にたった二人っきりの家族だったもんな。
「今、俺は幸せだよ、兄さん。俺に姉と弟をつくってくれてありがとう。姪をつくってくれてありがとう」
そう言って微笑む弟の目の中に、弟と同じ俺の顔が見える。俺の目の中にも、俺と同じ弟の顔が映ってるんだろう。
俺たちは一卵性の双子だ。そっくりだけど、同じ人間じゃない。全く別々の存在だ。それでも、理屈でなく通じるものがある。俺が幸せなら弟も幸せだし、弟が幸せなら俺も幸せだ。このあたりのことを、他の誰かに分かってもらうのは難しい。
「ほら、こっち! 義兄さんも──さんも何顔を見合わせてぼーっとしてるの。用意が出来たからお茶にしようよ!」
智晴の声で、俺たちは我に帰った。お互い、目だけで言葉を交わす。この何気ない幸せを楽しもうと。
俺の抱っこしていたののかが、弟に短い手を差し伸べる。叔父さんにかまってほしいらしい。楽しそうに笑って姪に高い高いをする弟の姿が、窓からの明るい日差しを受け、金色の光の中に溶けるように見えた。
真夏の夜の夢ならぬ、エイプリル・フールの夜に<俺>が見た幸せな過去の夢。
この後、<俺>の弟は違法なドラッグを扱う組織に惨殺され、<俺>は会社をリストラされ、色々あって妻と離婚。何でも屋を始めることになります。
<俺>の過去話につき合ってくださり、ありがとうございました。




