2015年4月9日の<俺> あきつしま 2
「あ、終わりました?」
俺の言葉に、爺さんは苦虫を噛み潰したような顔で頷いた。
「来るたび検査、検査って、そんなもん、年に一回くらいでいいだろうが。儂は検査で病気になりそうだぞ、本当に!」
「まあまあ、検査は元気の証明だと思えば」
宥めようとすると、爺さんはギン! と音がしそうなくらいの勢いで俺を睨みつけた。
「あんたさえ迎えに来なけりゃ、儂は病院なんかに来んのじゃ! まったく、食って寝て歩くのに何の不足も無いのに、どうして儂ゃこんな消毒薬臭いところに──」
あー、また始まった、と思っていると、爺さんのいつものマシンガン苦情(?)が、唐突に止んだ。何故か待合室のテレビを凝視している。どうしたのかと声を掛けようとした時、その目からぽろりと涙が零れ落ちた。
「ちょ、船平さん、どうしたんです!?」
慌てて訊ねると、滂沱と湧きだす涙を拭おうともせず、爺さんは震える手でテレビの画面を指差した。
「何でも屋さん……あの船の名前、<あきつしま>か……?」
テレビでは昼のニュースをやっていて、天皇陛下のパラオ訪問の様子が映し出されていた。
「え? ああ。パラオには適切な宿泊施設が無いので、海上保安庁の巡視船に宿泊されるということですね。その巡視船の名前が<あきつしま>らしいです。移動に使うヘリコプターが搭載できるからとか──」
「陛下は<あきつしま>に乗ってみんなを迎えに行ってくださったのか……そうか……」
普段、元気に憎まれ口を叩く爺さんしか知らない俺は驚いたが、何事かとこちらをちらちら見て来る視線を遮ろうと、男性の手も借りて待合室から近い診察室の前のベンチに座らせた。
「儂の親父は、南洋庁の警備課にいたんだがなぁ……戦争が終わっても戻っては来なかった。ペリリューで玉砕したんじゃ……」
それだけ言って、爺さんはまた涙を零した。
「<あきつしま>とは、日本の古い呼称のひとつだ。つまり、陛下は<日本>という名前の船に乗って、御霊を迎えに行ってくださったんじゃ……」
親父、親父、良かったなぁ、やっと帰って来れるのか、と爺さんは咽び泣いた。
ひとしきり泣いて、しばし放心している爺さんを、覚束ないような表情で見ていた男性が、ふと口を開いた。
「<とよあしはらのみずほのくに>……、これも日本の名前ですよね」
「ああ……」
爺さんは頷いた。
「<とよあしはらのちいほあきのみずほのくに>、これは豊穣の地、という意味だ。<しきしま>、<おおやしま>、<やまと>……他にも日本を表す名称はある」
「僕は<とよあしはらのみずほのくに>しか知りませんでした。<みずほ>、つまり稲の実る豊かな国という意味だと、子供の頃祖母から教わりました」
「そうか……<あきつしま>の<あきつ>は、とんぼだ。儂はとんぼが沢山棲めるくらい豊かな国、と教わったが、本当は神武天皇が日本の国をとんぼのようだと表現したことが元になっているという」
俺は爺さんの言葉の後半は聞いていなかった。男性と二人、思わず目を見合わせる。<あきつしま>の<あきつ>。その意味。




