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第20話  出迎え

「やっと戻ってきたね、ここに」


くすくす笑いながら俺の首から手をのけたのは、例の写真と同じ顔の青年だった。俺は無意識に掴まれたところをさすっていた。さっきの冷たい手の感触がまだ残っているような気がする。


「高山葵、くん?」


ゆっくりと訊ねる。心の中は大パニック。遊泳中にいきなりサメに襲われた乙女の気分だ。


恐ろしげなBGMもなしに現れた人間の形をしたホオジロザメ、いや、高山葵(仮)は、年齢に見合わないような艶っぽい笑みを見せた。


「芙蓉かもしれないよ? 葵でいいかもしれないけど。どっちだと思う?」


俺はこのガキにからかわれているんだろうか? ついムカッとして、俺は反射的に答えていた。


「どっちでもいいよ。どっちでも同じだ」


目の前の青年は一瞬傷ついたような表情をしたが、目を伏せて、ふふっと笑った。


「そうだよね。どっちでも同じだ、俺たちは……まあ、いいさ。一緒に来てくれるよね?」


そう言った時には、もうそんな表情は消えていた。


「ど、どこへ?」


及び腰で訊ねる俺に、青年は答えた。


「ネクロポリス」


不吉な響きに、俺は顔が引きつるのを感じた。死者の都だって? どこにあるんだそんなもの。それともまさか、今からエジプトのルクソール遺跡にでも行くとか?


いや、それはない、とひとりボケツッコミしていると、青年はついて来いというように背中を向けて歩きだす。俺は慌ててその後を追った。


迷いもなくどんどん歩いて、青年は高層階行きのエレベーター・ホールに向かう。まさか、例のスイートルームに行くんだろうか。嫌な記憶がフラッシュバックする。


それにしても、どうして俺が今日このホテルに来ると分かったんだろう? 俺、見張られてる? <サンフィッシュ>に行った時も、見計らったようにこいつにそっくりな謎の女が現れたし。


なんでだ? こんな何の変哲もないしょぼくれた男に、そこまでするようなどんな価値があるっていうんだ? それが智晴の言っていた<動機>なのか……Why done it ? ──それが明らかになるというんだろうか?










浮遊感なのか圧迫感なのか、何とも言えない妙な感覚。

高層階行きのエレベーターは、さすがに早い。いつものように密かに願う。落っこちませんように。


微かな衝撃とともに停止し、ドアが開いた。専用キーを手に、青年は俺に降りるよう指示する。やはり、特別フロア。あのスイートルームのある階なんだろう。出て行くぶんには非常階段もエレベーターもお咎め無しだが、入る時は専用のキーが要る。


あの時は夢中で、このフロアのことは何も覚えていない。エレベーターで降りれば良かったのにわざわざ階段を使うなんて、我ながらよほど動転していたんだなと思う。


普通の客室階と違って、ドアの間隔がやたらと広い。フロア全体で何室なんだろう。そんなことを考えている間に、青年がひとつのドアの前で止まった。ベルを鳴らす。


俺は突然怖くなった。このドアの向こうにいるのは、一体誰なんだ?


青年と同じ顔の、男か、女か──


死んでいた女の顔が浮かぶ。嫌だ。どんなひょっとこでもお多福でもいい。違う顔が見たい。


ドアが開いていく。


この際、ドアを開けたら別の世界だった、ということを希望したい。ナルニア国でもファンタージエンでもいいから、ここではないどこか。別の世界へ。死体とともに目覚めたあの日を思い出さずに済むのなら、それはどこよりも素晴らしい世界だ。


──一瞬のはずなのにスローモーションのように見えたのは、俺の意識が拒否しているせいだろうか。重厚なドアの向こうから現れたのは……。


目のくりくりした可愛い男の子だった。


緊張の反動だろうか。心臓がばくばくして苦しい。青年は男の子の頭を撫でると俺をふり返った。


「どうぞ。入って?」


「あ、ああ……」


俺はぎくしゃくと青年の後に続いた。広い部屋の内装は豪華で、座り心地の良さそうなソファセットに男の子がちょこんと座っている。青年はドアの前に突っ立ったまま固まっている俺を不思議そうに見つめた。


「どうしたの?」


俺の口は無意識に言葉を発していた。


「アポトキシン、何だっけ……」


「は?」


「えっと、子供になっちまう薬。黒い服の男に薬をのまされて……」


「『名探偵コナン』のこと? やれやれ。すごい想像力だな」


呆れたように青年は言うけど、だってしょうがないじゃないか。亡霊に出会うかと思ったのに、出てきたのは子供。これだって充分俺の想像外だよ。


「えっと、この子は?」


俺は訊ねた。なんでこんなところに子供がいるんだ。四、五歳といったところか。ののかと同じくらいに見える。一言もしゃべらないが、知らない小父さん(俺だ)が怖いのかな?


「この子はね、俺の甥っ子。夏樹っていうんだ」


青年は慈しむように子供の髪を撫でる。夏樹というらしい男の子は、気持ち良さそうに目をつぶると小さくあくびをし、青年にもたれて眠ってしまった。部屋の隅に積み木が重ねてある。ひとりでおとなしく遊んでいたんだろうか。


俺の視線を追って、青年は小さく微笑んだ。


「木のおもちゃは子供にいいっていうからね。小さいうちは想像力で遊んで欲しいから、ゲームは与えてない。もう少し大きくなってからだね、ああいうのは。この子にも友だちを作ってやりたいし……」


後半呟くように言った青年を見て、まるで父親みたいだと俺は思った。おれも、ののかが生まれた時はいろいろ考えたさ。つかまり歩きが出来るようになったら、押すとヒヨコが出たり引っ込んだりする手押し車を奮発して買ってきた。


子供が後ろにひっくり返ったりしないように、前進しかしない造りになっている手押し車は、ののかが押して歩くたびにカラフルなヒヨコがカタカタ鳴って、かわいかったものだ。


木のおもちゃは、大人もなんとなく和めるのがいいと思う。そういえば、前の会社の営業成績ナンバー1の後輩は、独り暮らしのマンションにとことこ歩くだけの単純なおもちゃを置いていた。殺伐とした心が、ぼーっとそれを眺めているうちに落ち着いてくるんだと言っていたな。


三歳児がおもちゃで遊ぶのと、疲れた大人が同じおもちゃで和むのとでは意味合いが違ってくる。大人は遊ぶんじゃなくて癒されたいんだ。切ない世の中だよ、まったく。


しかし。「俺の甥っ子」だと青年は言ったが、それなら夏樹はどちらの子供だ? 葵か? 芙蓉か?


「夏樹くんは誰の子供なんだ?」


慎重に俺は訊ねた。この質問のココロは、「君は誰なんだ?」だ。青年は答えてくれるだろうか。俺は内心固唾を飲む思いで待った。


しばらくの沈黙の後、ゆっくりと青年は答えた。


「芙蓉の子だよ。俺は葵」


そして彼はどこか挑むような目で俺を見つめた。


「君が高山葵くん……」


俺は呟いた。


「夏至の前の夜、俺は君と会ったよな?」


高山葵は、ゆっくりと頷いた。


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□■□ 逃げる太陽シリーズ □■□
あっちの<俺>もこっちの<俺>も、<俺>はどこでも変わらない。
『俺は名無しの何でも屋! ~日常のちょっとしたご不便、お困りごとを地味に解決します~(旧題:何でも屋の<俺>の四季)』<俺>の平和な日常。長短いろいろ。
『古美術雑貨取扱店 慈恩堂奇譚』古道具屋、慈恩堂がらみの、ちょっと不思議なお話。
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