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第12話  同じ顔の女

2019年4月9日推敲。2290文字→2304文字 内容に変わりはありません。

女の死体は最初から無かったかもしれない。その考えに俺はひとり首を振った。


それじゃあ、俺の見たあれは何だったんだ。あの血の量は……。


「きゃっ」


テーブル席のほうで小さな悲鳴が聞こえたので、俺は反射的にそっちを見た。酒をこぼしたらしく、せっかくの桜色のキャミソールドレスが赤く染まっている。ボーイが影のように動いて、その女性客におしぼりとタオルを渡していた。


「これ、ブラッディマリーでしょ。サイテー!」


頬をふくらませて彼女は怒っているが、基本的におっとりしているようで、ヒステリックではない。


「ゴメン。僕が手を滑らせたから」


おろおろと若い男が自分のハンカチで拭こうとして、彼女の友人に睨まれている。酒がかかったのがちょうど胸の辺りだから、そりゃ無神経に過ぎるだろう。


「注意力が散漫なのよ。グラスくらいしっかり持ちなさい。──だいぶ取れたから大丈夫よ。このジャケット貸してあげる。そのドレスよりちょっと濃い目のピンクだから、変じゃないと思うわ」


「あ、ありがとう。このリボン、かわいい~!」


酒をこぼされた方の女性客は、もう笑っている。


「Wテーラードでそうかっちりしすぎてないから、ちょうどいいかもね」


「センスいいね、君!」


注意力散漫、と叱った男に、彼女の友人はしらっと答えた。


「何言ってるの? ちゃんとこの娘に新しい服買ってあげるのよ」


ひとしきりそのテーブルで笑い声が上がる。やれやれ、若いけど、オトナな娘たちで良かったよ。雰囲気悪くなったらこっちも酒が不味くなってしまう。


「一件落着、したみたいですね?」


汚れたタオル類をバックヤードに持っていくボーイを見ながら、俺はバーテンにこそっと囁いた。


「ご不快になられなくてよかったです」


バーテンもホッとしたようである。今のは店の責任ではないが、客によってはおかしな具合にゴネることもあるのだろう。


「そういえば、俺が三人でここで飲んだ日、後から女性が来たりはしなかったですか?」


俺は訊ねてみた。


「いいえ。後からお見えのお連れ様はいらっしゃいませんでした」


「そうですか……」


溜息が出た。俺は確かにあの日、見知らぬ女と同じベッドで寝ていた。一緒にいたということは、その前に会っているということで。俺はそこをまるで覚えていないが、あんなシチュエーションになるには、何か理由と、そして意味があるはずなんだ。


俺にはそんな理由は無い。意味も分からない。ということは、俺以外の誰かにとっての理由、誰かにとっての意味、ということになる。


「えっと、この写真の男と、双子のように似ている男についてなんですけど。よくこの店に来るんですか?」


なんでこんなややこしい事態になっているのか、考えるにもパーツが必要だ。ジグソー・パズルのように。現実のパズルを前に、嫌いだとか苦手だとかは言っていられない。考えたくはないが、俺自身もそのパーツの一つであるらしいのだ。


「そうですねぇ。写真の方はひと月前と数日前の二回来られたことがあるだけです。そっくりな方はひと月前に一度だけですね」


「そうですか……」


俺はカウンターの隅に飾ってあるガラスの置物を見た。亀と竜の落し子。隣にある花は蓮か? 海のいきものと池の花。ミスマッチだがきれいだ。しかし、俺と女の死体のミスマッチは断じて美しくはないはずだ。


ミスマッチ。あーやだやだ。俺は密かに溜息をつく。


なんでこんな刑事みたいなことをしてるんだろう。それこそミスマッチだ。平和な俺には似合わない。死んだ俺の双子の弟なら似合っただろうか。あいつは実際刑事だったわけだが、いわゆるキャリア組だった弟も、こんな聞き込みみたいなことをやってたんだろうか。


どうすればいいんだ、教えてくれよ。


俺は今はもういない弟に心の中で問いかけた。お前が生きていたら相談したのに、死んじまいやがって……。兄ちゃんグレるぞ、コラ。


なんてな。このトシになってグレるってどうよ? 酒も煙草もとっくの昔に認められた年齢で、何をどうグレるって言うんだ。あー、バカなこと言ってるなぁ。酔ってきたか? カクテル三杯程度で酔うわけない。逃避してるな、俺。


だって依頼主は怪しいし。笑い仮面だし。息子の行方を探して欲しいなんて言ってるけど、居所はちゃんと分かってるんじゃないのか? ってか、息子とグルになってるんじゃないか? 一体俺に何をさせたいんだろう? それと、あの女の死体。こうなってみると、関係が無いというほうがおかしいのかもしれない。


ああ、もう、暗闇を手さぐりで歩いているみたいだ。


うなだれてグラスを弄んでいると、隣のスツールにふわりと誰かが座った。スカートをはいているから女だ。視線を上げていく。ブルーのドレスはこの店の照明に溶けてしまったようで、白い顔がより際立つ。


白い、顔。


俺は椅子から転げ落ちそうになった。

女の、その顔。


「こんばんは」


女は、唇の両端を綺麗に上げる。うつくしい女。あの部屋で、血を流して死んでいたはずの女と同じ顔。入念に化粧を施し、ぽってりと魅惑的な唇はキスを誘っているようだ。


俺が声も出せないうちに、女はバーテンに酒を注文した。ラフロイグ。甘いカクテルが似合いそうなのに。


バーテンは小皿に小さなチョコレートを盛って酒と一緒に彼女の前に置いた。酒とチョコレートを合わせるのが彼のマイブームなのかもしれない。きのこ型のそれを一つ取り、彼女は俺にも皿を勧めた。美味そうだが……この女に勧められたチョコきのこを食べたら、この間見たホラーな映画のようにきのこ人間に変身してしまいそうだ。


得体の知れない不気味さ。俺はぶるっと背中を震わせた。

ここは都会のど真ん中で、怪奇キノコ・マタンゴの棲む無人島ではないのに。


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□■□ 逃げる太陽シリーズ □■□
あっちの<俺>もこっちの<俺>も、<俺>はどこでも変わらない。
『俺は名無しの何でも屋! ~日常のちょっとしたご不便、お困りごとを地味に解決します~(旧題:何でも屋の<俺>の四季)』<俺>の平和な日常。長短いろいろ。
『古美術雑貨取扱店 慈恩堂奇譚』古道具屋、慈恩堂がらみの、ちょっと不思議なお話。
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