その年の<俺>のお盆 9
『じゃあぼく、幽霊に助けられたんですね』
ヨリコ・パパの言葉を思い出し、俺は複雑な気分になった。
幽霊、か。
『その人は、ずっとにこにこして頼子の頭を撫でたり、伝ちゃんを撫でたりしてましたよ。そう、リードを外す時も楽しそうに伝ちゃんに何か話しかけてる様子で、・・・僕を助けに走るように命令してくれたのかなぁ。うん、僕はそう思います』
はあ。俺は溜息をついた。と、伝さんが気遣うように立ち止まり、俺の顔をのぞき込んでくる。
「くぅん」
心配そうに鼻を鳴らす。大丈夫だ、というように、俺は伝さんの背中をぽんと叩き、先を促した。
あれからすぐ、近くの交番から警官が駆けつけてくれた。若い警官はそこだけ震度7くらいの地震に見舞われたかのような光景に驚いていたが、塀が崩れた時の様子を俺たちから詳しく聞いた後、「危険・立ち入り禁止」のテープを張り、同僚に連絡して持ってこさせたコーンを配置した。その家の主人にも連絡を入れてくれるらしい。
先日の長雨で基礎が緩んだんじゃないか、というのが我々全員の見解だ。ま、原因の究明は専門家の仕事だな。
ヨリコ・パパはすっかり伝さんに懐いたようだ。娘と一緒に別れを惜しんでいた彼の姿を思い出すと、ついおかしくて俺はくすりと笑ってしまった。
「おん?」
伝さんが首を傾げる。俺は何でもないよと彼の耳の後ろをぐりぐりと掻いてやった。
「なあ、伝さん」
俺は次第に明るさを失っていく夕空を眺めながら呟いた。
「伝さんには見えたのか? あいつの姿」
「くぅん?」
つぶらな瞳で俺を見つめる伝さん。でっかいけど可愛い。ぴん、と立った耳が凛々しい。でも、可愛い。
「もしかして、今も一緒に歩いてたりするのか?」
伝さんはただ暑そうにハッハッと舌を出しているだけだ。犬は口でしか息出来ないもんな。それ以前にしゃべれないし。それを分かってて訊ねる俺も、莫迦というかバカだ。──俺は独り苦笑いした。
俺がドクター・ドリトルだったら、伝さんに聞けるのかな。死んだ弟は今、本当に俺の近くに居るのかって。
まあ、いいや。いくら考えたって栓の無いことだ。
気を取り直し、俺は伝さんの頭をぽんぽんと軽くたたいた。
「さ、帰ろっか。今日はご褒美に念入りにブラッシングしてやろうな」
「おんっ!」
「よし、久しぶりに家まで走るぞ、伝さん!」
リードを持ち直し、軽く走り出す。伝さんもうれしそうだ。犬だもん、やっぱり走りたいよな。だけど、全速力で走られたら・・・
「俺のペースに合わせてくれよ?」
「おんっ!」
もちろんだぜ、というように伝さんは一声吠える。
俺は走りながらつい笑っていた。きっちり訓練された伝さんが、人間を引っ張って走るなんてことあるはずがない。飼い主の吉井さんから愛情をたっぷり注がれている伝さんは、情緒も安定しているし、本当に人懐こい。
けれど、悪意をもって近づいてくる人間に対しては、容赦なく威嚇する。そういう時の伝さんは、別犬(?)のように獰猛に見えるから物凄くコワイ。
一度だけ、吉井さんちが留守だと思ったか、空き巣に入ろうとした外国人を撃退する伝さんを見たことがあるが、あれぞ、まさしく<地獄の番犬>だった・・・