その年の<俺>のお盆 6
何の前触れもなく、ブロック塀が轟音と共に崩れ落ちた。
まだ明るい夏の夕暮れ。長く差し込む西日の中に、砂埃が不吉な影のようにもうもうと湧き上がっている。
そこは確かに、ついさっきまでヨリコ・パパが硬直して立ち尽くしていた場所で──
「ヨリコちゃんのパパさん! 水沢さん!」
俺は必死で呼びかけた。
腕の中のヨリコちゃんは、事情が分からずきょとんとしている。
埋もれてるのか、ヨリコ・パパ? 助け出さなきゃ。ああ、だけど、あちこちに化粧タイルが飛び散っていて、救助の間としても、幼児をひとりにするのは危険だ。
そうだ、伝さん! 伝さんなら子供の番をしてくれる。
「伝さん! どこだ!」
「おんおん!」
意外に近いところから力強い吠え声が聞こえて、ちょっとびっくりした。落ち着きつつある砂埃の向こうに、伝さんのたくましい姿が見える。埃を被ってしまったようだが、彼は無事のようだ。
「そこにいるのか、伝さん」
俺はヨリコちゃんを抱き上げたまま、とりあえず伝さんのいるところに向かった。と。
「おん!」
伝さんのぶっとい足元に、無傷のヨリコ・パパが転がっていた。ポロシャツの後ろ襟が引っ張られ、びろんと伸びている。
「パパ?」
ヨリコちゃんが降りようとするので、そのまま地面に下ろした。
「パパ、おねんね?」
自分の娘の声に反応してか、ヨリコ・パパは薄目を開けた。
「水沢さん? 大丈夫ですか?」
「・・・え? ・・・なに・・・?」
ぼんやりと答えるヨリコ・パパ。着ているポロシャツは、近くで見るとその殆どが脱げかけていた。後ろ襟を強引に引っ張られ、くしゃくしゃになった布地とジーンズの間から、彼の生っ白いトリガラ・ボディが見える。
ぼうっとして、それでも手を伸ばして地面に座り込んだ娘の頭を撫でていたヨリコ・パパが、いきなり悲鳴を上げてガバッと起き上がった。伝さんが、その大きな桃色の舌でべろりと彼の頬っぺたを舐めたのだ。
「わ、わ、犬! でかい犬!」
でかい犬、と指差され、そうだ俺はでかい犬だぜ、というように、伝さんが「おん!」と吠えた。
「でかい犬! ありがとう!」
ヨリコ・パパは、彼の娘とそっくりな仕草で伝さんの首っ玉にしがみついた。それを見ていたヨリコちゃんが、うれしそうにはしゃぐ。
「パパ、でんちゃんとなかよし~!」
親子はうれしそうだが、伝さんが苦しそうだ。いくら細身だとはいえ、大の大人にしがみつかれるのと、幼子に抱きつかれるとのでは負担が違うだろう。案の定、助けを求めるように、情けない目で俺を見上げている。
「いや、危機一髪でしたね。何でいきなり伝さんが走り出したのかと思ったら、あなたを助けるためだったんですね。驚きました」
そんなふうに話しかけつつ、俺はヨリコ・パパの抱擁(拘束か?)からゆっくりと伝さんを助け出した。首を解放されてほっとしたのか、伝さんは人間くさい溜息をついた。鼻息だけど。
「いきなりでかい犬が僕を目がけて突進してきたんで、正直、ちびりそうになりましたが・・・ 僕の服をくわえて、ぐいっと引っ張ってその場から移動させてくれたと同時に、塀が崩れて来たんです。このでかい犬は命の恩人です!」
しかも、倒れる時はクッションになってくれたんです!
ヨリコ・パパは感涙に咽んでいるようだった。
「パパ! でかいいぬ、じゃなくて、でんちゃんなの!」
「そうか。そうだよね。伝ちゃん、ありがとう!」