その年の<俺>のお盆 3
おん、おんおんおん!
伝さんが鳴いている。俺の匂いを嗅ぎつけたのかな。
吉井さんから預かっている鍵で裏門を開け、広い庭を横切って、俺は大きな犬舎に向かった。木立の葉陰も涼しげな、伝さんのマイホームだ。
繋がれた長い鎖を限界まで引っ張って、伝さんが一所懸命俺を歓迎してくれている。可愛いやつめ。デカイけど。
「よー、伝さん。朝以来だな。夕方の散歩に行くか?」
おんおん!
ちゃんと言葉が分かるのか、伝さんは行儀よくお座りして、俺が彼を鎖から散歩用のリードに繋ぎ変えるのを待っていた。伝さんの散歩は朝夕二回。大型犬はやっぱり運動させないとな。
普段の伝さんは家庭犬で、家の中で飼われている。しかし今は主人が旅行中。独り(?)残された伝さんが悪戯しては大変と、その間だけ犬舎に繋がれているのだ。
グレートデンの伝さんのからだに合った立派な棲み家だが、寂しがりの伝さんにとっては居心地が良くないのだろう、いつもほどの元気は無い。
「あと二日だ。我慢しような、伝さん?」
そう言って頭を撫でてやると、伝さんは俺の顔をべろべろ舐めて親愛の情を示してくれた。うわ、顔を背けても伝さんでっかいからなぁ。
「分かったって、伝さん。散歩、行くぞ?」
「おん!」
きっちり躾をされている伝さんは、俺を引っ張って歩くような真似はしない。主人の吉井さんや奥さんほどではないにしても、それなりに言うことを聞いてくれる。ま、そうでなければ、他人に散歩を任せることなんか出来ないもんな。
片手にリード、片手にエチケットバッグ。バッグの中には小さな火箸かトングのようなものが入っている。伝さんはいつも快便だから楽勝だ。
夕暮れになっても必死な蝉の声をシャワーのように浴びながら、公園の周囲ぐるぐる三周コースを終える。散歩の時の伝さんは元気そうだ。
「満足したかい、伝さん?」
「おん!」
「明日の朝は、ちょっと足を伸ばして川原コース行くか?」
「おんおん!」
通じているのかいないのか、俺の言葉に合いの手のように吠えて答えてくれる伝さん。楽しいやつだ。頭と背中をわしゃわしゃ撫でてほめてやり、帰ろうか、と促すと、伝さんは俺の顔をじっと見つめて一声吠えた。それから、胸をぴんっと張って歩き出す。凛々しいな、伝さん。
伝さんを連れていて面白いのは、人間の反応だ。よく訓練された大型犬は、自分が飼い主より偉いと勘違いする「アルファ症候群」に陥った小型犬よりよほど安全で扱いやすいのだが、グレートデンくらいデカくなると、傍に寄るのも怖いらしく、ほとんどの人が遠巻きにしていく。
「あー、でんちゃん!」
幼い声に振り返ると、水沢さんちのヨリコちゃんがいた。確かまだ三つだったか。立ち止まって待っていると、危なっかしい足取りでちょこちょこと走ってくる。彼女は伝さんが大好きなのだ。
「でんちゃーん、かわいー!」
伝さんのぶっとい首にがばっと抱きつく。それを見てぎょっとする通行人。伝さんはといえば、大人しく抱きつかれるままになっている。