翌年の<俺>の七夕 6
「みんな、願い事は書いたかな?」
俺は子供たちに声をかけた。
「書いたよ。このヒモで結びつければいいの?」
洋一くんが訊ねてくる。俺が答える前に、健太くんが説明してくれた。
「そうだよ。先に輪っかをつくって、枝に引っかけるのでもいいよ。葉っぱがすとっぱーになるから、落っこちたりしないんだ」
「そっかぁ。笹の葉をくぐらせれば大丈夫なんだね」
洋一くんは感心している。浴衣の男の子もにこにこしている。七夕祭常連らしい健太くんはちょっと得意そうだ。
うーん、いいねぇ、子供の笑顔。
ののかも連れてきてやりたかったな。でも、今日は仕事だし、今月の面会日は来週だし。今頃は元妻の実家で笹飾りをつけたりしてるんだろうか。いいんだ、ののかが楽しんでいるのであれば。
「よし。じゃあ、みんな、そこの飾りの中から好きなのを取って。短冊と一緒に笹につけよう」
俺はびょーんと伸びる紙細工やら、折り紙で作った月や星や船、花やロボットや小さなくす玉なんかの入った箱を差し出した。
笹竹の飾りつけは、短冊をつけた人がひとつだけ好きなのを選んでつけられるようになっているのだ。材質は、全て紙。祭の後で笹竹を燃やしても有毒ガスが出ないように。ここの七夕祭はそこまでのことを考えている。
ほとんどの飾りはすでに町内会側によって用意されていた。洋一くんや他の子たちが手伝ってくれていたのはあと少し足りない分と、あと、子供ながら行事に参加しているという自覚を持たせたいという、町内会側の考えがあってのことのようだ。
洋一くんは、自分がつくっていた紙細工を持った。どこに付けようか迷っているらしい。笹竹には未だ何の飾りもなしだ。そりゃ迷いもするだろうなぁ。よし。
「おんぶしてあげるから、上のほうに付けてみる? せっかくの一番乗りだし」
俺の申し出に、洋一くんはうれしそうに笑った。
次に健太くんを抱き上げてやり、浴衣の男の子も抱き上げて、その子が花の飾りをつけるのを手伝ってやった。
それから三々五々人が集まり始め、境内も賑わいはじめる。人の願いごとを託される笹竹も、いつの間にか満艦飾だ。何か用事を頼まれればまたそちらに行くが、今のところ俺の仕事は一段落。
次に忙しくなるのは片付けの時だ。少し休憩しがてら、遊ぶ子供たちを見守ろうか。
俺はたこ焼きをもらって大木の根元に座り、花火に興じる子供たちをぼんやりと眺めていた。ロケット花火のような派手なものは禁じられているが、手に持つ小型花火でも、みんなそれなりに楽しそうだ。
それにしても、最近の花火は小さいのでも凝ってるなぁ。次の面会日は、屋上に作ったささやかな菜園のそばで、ののかと花火でもするか。締めは当然線香花火だ。何でだろうな、あれって一番地味なのに。花火の終わりは、必ず線香花火、という人は多い。
「ねえねえ、おじさん!」
洋一くんが走ってきた。少し遅れて健太くんもやってくる。
「どうしたんだい? 肝試し、行ってきたんだろう?」
この子たちも、さっきまで走り回っていたな。子供は元気だ。
「うん。ぜんぜん怖くなかったよ」
洋一くんが答える。
「それよりさ、なあ、健太」
「うん」
ふたり、顔を見合わせる。
何だろう? 実は肝試しのお化けが怖かったとか?
「ぼくたちといっしょにいた、浴衣の男の子、おじさん知らない?」
「え?」
「肝試し、三人でいっしょに行ったのに、いつの間にかいなくなっちゃったんだ」
迷子になったのか? そりゃ大変だ。いなくなったのなら、保護者も心配しているだろう。
「どこでいなくなったの?」
「肝試しに行って、こっちへ帰ってくるまではいっしょだったよ」
洋一くんが答える。そんな迷うようなところじゃないのにね、と心配そうだ。
「あの子、誰とここに来たんだろうね。聞いてない?」
「ひとりで来たっていってたよ」
健太くんが言う。
「ひとりで?」
よほど近所の子なのかな? もしそうなら、保護者はちょっと無用心だぞ。もっと大きな子ならともかく。
「えっと、最後にあの子の姿を見たのはどこ?」
俺の問いに、洋一くんが本殿の縁側を指さした。昼間彼が紙細工をつくっていた場所だ。俺はふたりの子供を引き連れて、その辺りを探しにいった。もしかしたら、床下にもぐりこんだりしてるのかもしれないし。
「いないなぁ」
「帰っちゃったのかなぁ?」
子供ふたり、落胆したように肩を落としている。と、俺は薄暗い縁側の隅に不思議なものを見つけた。
それは、笹竹の笹でつくったらしい二葉の笹舟だった。そっと拾ってみると、中に何か入っている。遠くの明かりにかざしてみると、それは砂だった。石英でも混じっているのか、きらきらして見える。
俺はそれをそっと洋一くんと健太くんの手に乗せてやった。
「おじさん、これって・・・」
何か思い当たったように、洋一くんは笹舟の中の砂を見つめている。健太くんも真剣に掌の上の小さな舟を眺めていた。
「金銀砂子、だよ」
気がついたら、俺はそんなふうに呟いていた。ああ、あの子はきっと──
「あの子から、君たちへのプレゼントなんだろう。きっと先に帰らなくちゃならなくなって、それだけ置いていったんだろうね」
「きれいな砂だな」
ぽつん、と洋一くんが言った。
本物の金と銀みたい。溜息のように、彼は呟いた。
あの子のことを町内会長に報告すると、彼は微笑んだ。
「そうですか。今年も来てくれたんですね」
「あの・・・ 会長はご存じなんですか?」
俺に冷たい生姜湯をすすめてくれながら、彼は語ってくれた。
「この祭に携わる者ならみんな知っているよ、あの子のことは。どこの誰なのかは分からない。ただこの七夕の夜にだけ現れて、子供たちと遊んでくれる。誰にでも見えるわけではないんだがね」
それって、幽霊ってことか? だけど──
「何だか、座敷童子みたいな子ですね」
「そうだなぁ」
町内会長は頷く。
「どうもね、心のどこかに寂しさを持っている子にはよく見えるらしいんだよ。今回は、黒田さんちの隣の洋一くんのために姿を現してくれたのかもしれないねぇ」
洋一くんの七夕カルチャーショック(?)については既に彼に説明してあった。感慨深そうに語る彼の言葉に、俺も深く頷いた。
「まあ、祭には不思議なことがつきものだ。われわれとしては、あるがままを受け止めるだけだよ」
そう言って笑う町内会長の顔は、お寺の本尊の仏像にとても似てみえた。
ああ、そうだな。
俺は思った。
こういうことには、説明はいらないんだ。
今年の七夕祭り。洋一くんがいて、健太くんがいて。あのやさしい男の子のプレゼントしてくれた笹舟を、彼らはきっと大人になっても忘れはしないだろう。金銀砂子を積んだ、小さな笹舟を。
不思議は、ふしぎのままで。
この七夕の夜の闇が、とてもやさしいものに見える。きっと今もあの子はここにいて、祭に集う人々を見守ってくれているのだろう。
来年はののかを連れてきたいな。俺は思った。
あの男の子の守るこのやさしい七夕の夜を、彼女にも感じさせてやりたい。
しみじみとそんなふうに考えた、今年の七月七日。