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リアルファミリー3  作者: 冴木 昴
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「夏の宵夢―6」

 渚のことを見てくれる人とは、いったい誰なのだろう? と、それほど思案する間もなく、勇介はその人物を見つけてしまった。


 夏祭り開始の放送が入って間もなく、中庭をぶらついていた勇介の目に、浴衣姿の子どもが映る。

 ――渚?

 白地に水色の波紋柄、生意気に青いしぼりの帯を締めている。カラコロと下駄を鳴らして、行き交う高校生たちの足元をぬうように彼が目指すのは、金魚が泳ぐ平たい水槽。

 あの様子では、金魚に手を伸ばして水の中に突っ込むのが目に見えている。そうなる前になんとかしてやろうと一歩進み出た勇介の足が、縫いつけられたように固まった。

 勇介の注意は逸れて、渚よりも、その背後からやってきた人物へ注がれた。


 ――なんで?


 足取りもふらふらと、額に汗して渚を追いかけているのは、まぎれもなく母・北詰マキ子だった。爽やかな水色の半そでワンピース(おそらくブランドものだろう)は、汗で所々色が変わり、髪は恐ろしく乱れている。

 物心ついて以来、こんな無様な母の姿はほとんど見たことがなかった。


(あ……父さんとケンカしている時は、あんなだったかも)


 ただ、過去の記憶は勇介自身が目をそむけ、封印してしまったからか、やはり、あまり思い出せない。とにかく、目の前のマキ子は勇介を硬直させるほどにインパクトがあった。


「お待ちなさい、迷子になったらどうするの! まったく、落ち着きの無い子ね!」

 はっしとばかりに渚をつかまえたマキ子は、その言葉とは裏腹に、仔猫でも見るような眼差しを向けている。

 ――その子を渡しなさい。

 そう言って、勇介から取り上げようとしたときとは、まったく別人のようだ。

 マキ子は渚を抱き上げると、頬ずりするようにして何かをささやいている。すぐに渚が声を上げて笑った。


(なんなんだ? これは?)


 先日、歩からマキ子が突然たずねてきたときの話を聞いた。酔っぱらった状態で現れて、やりたい放題だったが、渚のことは可愛がってくれたと、そう歩は言った。

 だが、正直言って勇介は話半分な感じで、きっと、歩が気を使って、適当に脚色して話してくれたのだろうと、そう思っていた。自分の親のことだから、自分が一番わかっているつもりだった。

 だが、目の前の光景を見て、歩は真実だけを話していたのだと知った。

(なんか、時限式の地雷を踏んだみたいな気分だ……って、実際、踏んだこと、ないけど)

 ホッと脱力したところに襲ってくる大打撃。

「……って、あーちゃんが連絡とったってことだよな?」

 ようやく動きを取り戻した勇介は、生徒たちの間をぬってマキ子と渚のほうへ歩いて行った。



 校舎内に入ると、いよいよ生徒たちの活気で満ちていた。天井を這うコードには、豆電球がチカチカまたたき、お化け屋敷のコーナーへと誘う。どこからか、生バンドの演奏が聞こえてくるかと思えば、メイド姿の女子高生とすれ違う。

 そんな賑やかさの中、勇介たち三人は、連れだって歩いているものの、微妙な距離感を保ちながら、ほとんど会話も無いままに一年A組の教室についた。

 浴衣カフェと看板の出された一年A組の教室は、グラスなどを利用して作った風鈴が飾られ、窓にはカーテン代わりに涼しげなよしずがかけられている。

 渚を抱いた勇介が踏み込むと、浴衣姿にたすき掛けの女子高生たちが一斉に色めきたった。

「誰? 顔チョーヤバイ」

「マジで、GACKTじゃね?」

「でも、子連れじゃん?」

 女子高生のひそひそ話は筒抜けの丸聞こえで、勇介はそのパワー自体に帰りたくなってきた。ぐずぐずしている勇介を押しのけ、マキ子が前に出ると、ちょうど実行委員長の腕章をつけた歩がバックヤードがわりの衝立から姿を見せた。

「勇さん、マキ子さん、こっちこっち!」

 歩は満面の笑顔で手招きする。

 勇介はチラリと母に視線を向けた。

「いま、マキ子さんって呼んだよね?」

「そうよ」

 マキ子は淡泊な口調で答える。

「なんで?」

 さらにつっこむがガン無視され、勇介はマキ子の背を見ながら歩の待つ席に向かった。



 席についた勇介に、歩は自分がマキ子に電話をして、無理に来てもらったのだと、頭を下げた。勇介としても、時間どおりに戻れなかった負い目があるので、そのことについては特に異論はない。だが、飲み物が運ばれてくるなり、歩は渚を抱えあげると、

「俺、実行委員の仕事で、これから見回りがあってさ。ついでに中庭の縁日で渚を遊ばせてくるから」

 じゃ、ごゆっくり! そう言って、すぐに居なくなってしまった。勇介とマキ子は学校の机を二つくっつけた狭いテーブルに、向い合せで取り残されたのだった。


(あーちゃん、もしかして、これが目的だったのか?)


 歩は、つねにマキ子と勇介の仲を案じていた。だからって、こんな状況でブッキングするように仕向けたのだとしたら、かなりの策士だ。勇介はアイスコーヒーをすすりながら教室内を見渡す。窓際の端にあるこの席からは、カフェ内の様子が良く見える。浴衣カフェは大盛況で、生徒や父兄たちの声で満ちている。どこか懐かしい空気が漂う、そんな雑踏のような中で、マキ子は唐突に過去のことを話し始めた。


「北詰にはね、ずっと好きな人がいたのよ」

「え?」

「幼馴染のような女性でね、彼女のほうは北詰のことを兄と思っていたみたい。だから、その人が北詰の親友と結婚して間もなく、無理矢理のようにして自分も妻を娶ったんだわ」

 マキ子と結婚し、勇介が生まれたあとも、その女性との縁は切れなかったという。

「私が動物アレルギーなのは知ってるわよね。だから、あなたが動物園に行きたいと言っても、私は行けなかった」

 そうだ。父は、動物園にはよく連れて行ってくれた。動物園には動物を見るだけでなく、動物を知るための情報が散りばめられている。そこから始まって、命に関わる仕事へと興味が湧いたのだと思う。

「確かに、よく行ってたな」

 マキ子は複雑な表情をしたのち、言った。

「てっきり父子二人で行ったんだと思っていたけど、違った。ちょうど、幼馴染の女性にも女の子が生まれてね、その母子といつも一緒だったのね」

「あ……」

 おぼろげなヴィジョンが勇介の脳裏をかすめる。新緑の梢から降り注ぐ柔らかな陽射し。動物たちの鳴き声の中、父のごつい手と、誰かの細い手とにつながれ、ゆったりと歩く。

「歩さんは、まだ生まれてなかった」

「え……?」

 マキ子は勇介の顔をまっすぐに見て、切なげな笑みを浮かべた。

「あなたと、杏子さんとそして、歩さんのお母さん。四人で過ごしたくて、いつも動物園に行っていたのかなって……」

 マキ子はバッグの中から古い写真を取り出して机に置いた。それは、マキ子の結婚式の写真で、大勢の友人に囲まれて笑う、幸せそうな父母がいる。その中の一人を、マキ子はパールピンクのマニキュアの指でトンとつついた。

「この人」

 見た瞬間、勇介はほうっと息を吐いた。歩に……いや、杏子に瓜二つの女性が写っていた。


 ――ああ、そういうことなんだ……


 父と母の冷えた関係は、どこまでも根深いのだと、勇介は一瞬で悟る。

 マキ子はふうと息を吐き、勇介に向かって頭を下げた。

「――利益供与。それは、私の嫉妬心からのことよ。北詰が困ればいい、そう思った」

 浅はかね、とマキ子は自嘲気味につぶやく。

 ……でも、なぜ?

 勇介は首をかしげた。マキ子の独断ならば、利益供与の相手とマキ子の接点は?

 たずねると、マキ子はあっさり白状した。

「たまたまあなたの職場の家族会に顔を出す機会があったものだから、そこですぐに婦人たちと仲良くなって渡りをつけたの。簡単だったわ」

 その行動力と社交性に勇介は身震いする。

 ――怖っ!

 しばらく沈黙したあと、マキ子は盛大に溜息をついた。

「鳴沢早智さん……歩さんのお母さんね、そっちは、もうどうしようもないと思ってたわ。でもね、あの人は、よりによって杏子さんに手を出した。さすがに許せなくてね。地獄に落ちればいいって思ったわ」

 母の気持ちが、痛々しいくらいに伝わってくる。

「杏子さんが、別の、何にも関係ない若い娘さんだったなら、私だって、潔く離婚したわ。もちろん、いやがらせだってしなかった」


 ――デモ、ナルサワキョウコハ、アマリニソックリダッタカラ。


 早智さんの身代わりなのかどうか、判断がつかなかったから、だからか。

「もう、帰っていいかしら? 朝五時に電話で起こされて、お願いします、お願いしますって拝み倒されて……さすがに疲れたわ」

 乱れた髪を撫でつけるマキ子を、勇介は真正面から見て言った。


「母さん、ありがとう」


 マキ子が、驚いた顔で目を見開く。その顔がおかしくて、勇介はついクスリと笑ってしまった。

「き、気持ち悪い子ね。なによ、改まって」

「いや、今日のことと、それから、昔のことと、色々話してくれて、ありがとうって」

「そんなの、全部言わなくても、わかってるわよ。何、ホント、気持ち悪い」

 いつもなら、ここで引き下がるのだが、今日はきちんと言おうと勇介は言葉を継ぐ。

「わかってるつもりでも、全部言葉にしろって、あーちゃんが教えてくれたからね」そう前置きして、勇介は言った。

「母さんがよければ、いつでも来て欲しい。それで、俺たちを、助けてくれませんか?」

 マキ子は目を細めて眉根を寄せたかと思うと、勢いよく席を立った。


「都合よく使われそうだけど……か、考えておくわ」



 二人が席を立つと、まるで見計らったように歩が声をかけてきた。

「勇さん、渚、お願いしてもいいかな?」

「あ、うん」

 かき氷のシロップで口の周りを緑に染めた渚を押しつけられ、勇介は慌ててハンカチで小さな口の周りをぬぐってやる。

 急に現実に突き戻されたような忙しなさに眩暈を覚えていると、傍らで歩が元気よくマキ子に飛びつく様子にぎょっとした。

「マキ子さん、ありがとね!」

 歩に真正面から抱きつかれ、マキ子も勇介と同じようにふらついてたたらを踏んでいた。

「ちょっと歩さん、ふざけないでちょうだい」

「いいじゃん、マキ子さん、いい匂い」

 およそ、息子の勇介がしないような子どもっぽい甘え方に目を白黒させる母の顔も悪くないなと、勇介は密かに笑みをこぼした。


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