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リアルファミリー3  作者: 冴木 昴
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「夏の宵夢―2」

 新緑の梢から降り注ぐ陽射しが、アスファルトにまだらの影を描いて揺れる。周囲からは、人々のざわめきにまじって動物たちの鳴き声が聞こえてくる。

 少年は歩く。父親と右手をつなぎ、軽やかな足取りで歩く。

「勇介、ほら、ハシビロコウだよ。この動物園でしか見られない珍しい鳥だぞ」

 父に言われて目をやれば、金網の向こうになにやら恐ろしげな顔つきの巨鳥がいる。グレーの羽毛、大きな嘴はペリカンに似ていなくもない。黄色い目がやけに怖いが、それ以上に、その鳥がまったく動かないのが不気味だ。まるで彫像のよう。

 周囲には、カンガルーやヤギの仲間の檻があるというのに、「見てごらん」の先がこの不気味な鳥とは、いったいどんな趣味をしているのかと、少年は訝りつつ父親を見上げた。

 日焼けした肌、がっちりした体つきの長身。ひょろりとした勇介少年とはあまり似ていない。少年は驚くほどに母親似なのだ。


「ちょっと大介くん、あの鳥に興味持つ子どもは少ないわよ」


 女性の声がそう言って、少年の、もう一方の手を引く。ほっそりとした指先が自身の左手に絡みついているのを、少年は眩しげに見やる。

「あ、あそこにゾウさんがいるわ。行ってみましょう」

 女性は勇介少年の左手を引いて駆けだす。木漏れ陽の中、手を引かれたまま、小柄な女性の背中を追う。彼女の左腕には、幼い子どもが抱かれている。赤い服の、たぶん女の子だ。その子の、栗色のくせっ毛が、陽射しを受けてきらきらふわふわしている。

「見て、ゾウさん、大きいでしょう? ね、勇介くん」

 優しい声で言って、女の子を抱いた女性が振り向く。逆光の中でシルエットになった彼女は、


 ――かあさん?


 

 懐かしい香りがする。たぶん、トマトソースだろう。幼い頃に母がよく作ってくれた料理を思い出す。

そのせいだろうか、妙な夢を見たのは。


 勇介は、見慣れた自室の天井から視線を窓へと移す。レースのカーテンから、西日が差し込んでいる。

(台風、行ったのか……)

 ぼんやりとした思考が、ゆるゆると巻き戻ってくると、病院で倒れたことを思い出した。浅川に無理矢理注射をうたれた後、宮下ら看護師たちに抱えられてタクシーに乗せられたのだが、帰宅してタクシー代を払ったのかどうか、そのあたりからの記憶が飛んでいた。

 ゆっくり身を起こすと、ちゃんとパジャマを着ていた。


 自分で着たのか?


 そう思って、首を巡らせると……

 ドアが細く開いており、その隙間から歩の声が聞こえた。

「勇さん起きたの? 大丈夫?」

 歩はそっと部屋に入って来た。その腕に、渚が抱かれている。

「そっか……。今日、休校になったって言ってたよね?」

「うん。勇さん帰って来た時ふらふらだったから。……俺、休みでちょうどよかった」

 またもや歩に迷惑をかけてしまったようだ。

「やっぱ、具合悪かったんでしょう? 仕事も大事だけど、無理したらダメじゃん?」

「……面目ない」

 返す言葉もない勇介は、仕方なく苦笑いを返す。

「熱、どうかな?」

 心配そうに眉根を寄せながら、歩が枕元にやってきた。西日が当たり、歩と渚、二人の良く似た柔らかい茶色のくせ毛を、金色に見せている。

 思わず、「あ……」と声を上げていた。

「え? 勇さん、どうしたの?」

「あ、いや……」


 きらきら、ふわふわ、揺れるくせっ毛。


 夢は、ただの夢でなく、たぶん忘れていた記憶。母親のマキ子は動物が苦手だったから、家族で動物園に行ったことはない。

 ――じゃあ、あの女性は……?


 たぶん……いや、まちがいなく、母じゃなかった。



 勇介の熱が下がっているのを確認すると、歩は満足げに部屋を出て行った。まだ寝ているように、と言い置いて。

 今回ばかりは、歩が居てくれて本当によかったとつくづく思う。黒崎の言うとおり、自己の体調管理が甘かったわけだが、今までどんなに忙しくても続けて二度も倒れるなんてことは無かった。やはり、献金のこと、つまりは母親のことが、思った以上に負担になっているのかもしれない。


(やはり、もう一度母に会わなければ……)


 

 しばらくすると、ノックの音がして、歩が入ってきた。

「勇さん、食欲あるかな? 晩御飯なんだけど。おかゆのほうがいい?」 

 うなずこうとして、かすかにトマトソースの香りが鼻をかすめた。

「あ、おかゆじゃなくて、普通ので大丈夫だけど……何かな?」

 すると、なぜか歩は若干目を泳がせたのち、

「えっと、昨日の残り。チキンと夏野菜のトマトソース煮込み、かな?」

 と、可愛らしい仕草で首をかしげた。

「へえ、うまそうだな、それ」

「うん、うまいよ! だってあれは……」

 何か言いかけたが、歩は「じゃあ、支度するね」と言って部屋を出ていった。


 

 歩の言うとおり、トマトソースの煮込みはとてもおいしかった。

 風呂から上がった歩に、勇介は声をかけた。

「あーちゃんのトマト煮込み、すごくおいしかったよ。俺、あの味、好きなんだ」

よく料理の感想を求められるので、率先して言ったのだが、いつもなら満面の笑みを返す歩が、何故かうつむいて目を伏せた。

 その後も、軽い雑談のつもりで昨日の台風のことや渚と何して過ごしていたかなどを話題にしたが、どれも歩の返答は歯切れが悪かった。

(あーちゃん、疲れてるのかな?)

 渚の世話だけじゃなく、勇介の世話までしてくれたのだ。疲れるのも道理だろう。

「じゃあ、風邪がうつるといけないし、部屋にひっこむことにするよ」

 疲れている歩に気を使わせてもいけないし、ならば、せめて静かにしていようと思い、勇介はリビングをあとにした。

 読まなければならない医学書があったのを思い出し、書斎に足を踏み入れた瞬間、香水の匂いが鼻についた。


「――え?」


 照明をつけてみれば、明らかに部屋の中が片付けられている。

 マンションに住み始めてすぐ、この部屋は掃除しなくてよいと歩に伝えた。彼はそれをちゃんと守ってくれていて、入る時は必ず断りを入れてくれる。勇介に断りなく勝手をする者など、この世にただひとりしかいない。


 ――留守の間に来たのだ、母が。


 勇介は、リビングにとって返すと、そのドアを勢いよく開け放った。ソファで渚を膝に寝かせて歯磨きをしていた歩が、何事かと顔を上げる。

「……だから、そんな顔してたのか?」

 初めはきょとんとしていた歩の顔が、何かを察した途端、こわばった。

「な、なに? 勇さん、いきなり」

 勇介は歩のそばへ歩いてゆくと、その正面にひざまずいた。

「ひどいこと、言われたんじゃないのか? いつかのように、あーちゃんを傷つけるようなこと、言われたんじゃないのか?」

「なにそれ。なんの話か、わかんないし」

 歩は顔をそむけるようにして、膝の上に仰向けで寝ている渚に話しかけた。

「渚、もっと、あーんして」

「あーちゃん!」

 勇介が詰め寄るも、歩は顔を上げようとしない。

「そうそう、大きいお口だね。じょうずだね」

 ゆるゆると歯ブラシを動かす歩から、勇介は渚を取り上げた。洗面所に連れて行き、口をすすがせ、嫌がる渚の首根っこをつかまえるようにして、ドライヤーで髪を乾かした。渚のトイレを済ませたころ、廊下に歩の足音がした。

 歯ブラシを握ったまま、廊下で所在無げにつっ立っている歩に向かって、勇介は言う。

「あーちゃんは、すぐ、渚に逃げる。だから、逃げ道をふさいだよ」

 勇介の腕に抱かれて、胸のあたりに小さな顔をこすりつけている渚を、歩は黙ったまま、上目づかいで見ている。

「ねえ、話して? 何があったの?」

 歩は、観念したようにうなずくと言った。

「話すよ。たいしたことじゃないし。でも、渚を寝かしつけた後でいいよね?」


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