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リアルファミリー3  作者: 冴木 昴
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「夏の宵夢―1」

ふたたび、勇介視点の本編に戻ります。

また、おつきあいのほど、よろしくお願いいたします。

 時刻は午前四時を回っていた。

 北詰勇介医師は、医局に戻るなり自席で突っ伏した。同室内の片隅にある応接セットのソファでは、浅川医師が抜け殻のようにひっくり返っているし、医局長の佐竹もごま塩頭を腕枕に乗せて机上でうとうとしている。

 医局のテレビではニュース番組が流れ、東京湾内での大型客船座礁炎上を伝えていた。乗客乗員が救助されたのちも現場の混乱は続いているようで、自衛隊のヘリや海上保安庁の船が画面に映し出されている。テレビの音声以外に音の無い医局。その静寂を破るように、自身の坊主頭をピタピタと叩きながら、院長の桂が入って来た。

「いやあ、救命のみなさん、お疲れさまでしたねえ。他科の先生たちも出勤してきたからね、修羅場は終わりですよ。あー、よかったよかった」

 はっはっは、と無遠慮に笑う桂院長に、応える者はいない。かろうじて顔を上げた勇介と目を合わせた桂が、ようやく空気を読んだように姿勢低く寄って来た。

「ははは、なんか申し訳ないね。いやあ、こんなときに出張していたのが悔やまれるよ。重なるもんだよねえ?」

 予定の出張だから仕方がないといえばそうなのだが、もっと早く帰ってくることもできたのでは? などと、ちょっと恨めしく思う。


 たぶん、桂院長が居なかったせいだろう。


 大事故などの際には、普通、外科や内科などから応援が来るのだが、今回はやけにその対応が遅かった。おかげで昨日の夕刻以降、救命は大混乱状態で現在に至る、だった。

 院長からの待機命令が出ていない以上、仕事の無い者は早く帰りたいに決まっている。昨日は台風のせいで交通機関が乱れているからと、誰もが帰宅を急いでいたし、救命にコールが入り始めたのも、終業時刻を過ぎてからのことだった。

「私がいれば、緊急時の応援態勢を敷いて、スタッフを待機させたんだけどね。そのへんの引継ぎがうまくやれてなくて……。ホント、面目ない」

 真摯な態度で禿げ頭を下げられては、何も言い返せない。

(たぶん、浅川先生ならずけずけ言うだろうけどね……)

 勇介はちらりとソファに目を向けてから、桂に向かってぎこちなく笑って見せた。


「なんか、へんな顔」


 突然横合いから聞こえた声に、勇介は振り向く。見ると、腰に手を当て、自慢の胸を突き出すような格好で黒崎が立っている。彼女は、一旦帰宅したにもかかわらず、数時間前応援に来てくれたのだ。

(それにしても、ひとの顔を見ていきなり「へんな顔」って……)

 かなり失礼な物言いに対し、勇介が言い返そうかどうしようか思案していると、黒崎の白い掌がすっと目の前をかすめ、ぴたりと首筋に当てられた。

「やっぱね。熱があるじゃない」

「え?」

 言われた途端、急に上半身がぐらりとかしいだ。

「あ……」

 とっさに目の前の黒崎にすがりつくような体勢になってしまう。豊かな胸元に顔が埋まり、一瞬息が詰まる――と……


「きゃーーーーーーー!」


 一斉に、周囲から黄色い声が上がった。


「北詰先生が、黒崎先生に抱きついてる!」

「黒崎先生が、北詰先生に手を出してる!」

「北詰先生と黒崎先生が抱き合ってる!」


 その場にいた看護師たちそれぞれが、それぞれの主観で一斉に目の前の状況を口走る。

 勇介は朦朧とする頭を振りながら、どうにか苦労して体勢を立て直すも、周囲の騒ぎは収まらない。

ソファで眠りこけていた浅川まで起き出して、みなといっしょに騒ぎ始めた。

「うわ、うらやまし! 顔面おっぱいか!」

「浅川センセ、言い方が下品です!」

「浅川先生のエロオヤジ!」

 ぎゃあぎゃあと一気に騒がしくなった医局で、桂院長と佐竹医局長が呆然と立ち尽くす。

「な、なんか、クライマーズハイみたいに、みなさん妙なアドレナリン出てますね」

 医局長が苦笑すれば、

「それにしても、北詰くんはいつまでうちの姪っ子にしがみついているのかなあ」

 桂院長がわざとらしく言って笑う。

「え、いや、これは……」

 勇介はとっさに言葉に詰まった。何もやましいことがないのにうまくしゃべれない。それをよいことに、浅川は面白がってさらに煽る。

「ちょっとちょっと! いくら修羅場で思考が働かないったって、これはセクハラじゃね? てか、やっぱ、北詰ちゃんはムッツリな感じなんじゃないの?」

「きゃー、いやっ!」

「そんなの、ダメぇ!」

「北詰先生は、クールなイケメンキャラなんだからっ!」

 看護師たちが色めき立つ。

 すると、それまで黙っていた黒崎が落ち着いた声で言った。

「医者のくせに自己管理が甘いわね。風邪?」

 今度は額に手を当てられた。黒崎の手はひんやりして気持ちが良い。

「た、たいしたことない」

 言いながら、心地よさに思わず目を閉じる。

「たいしたこと、あるわよ」

 つぶやいた黒崎の声は小さくて、もしかしたら怒っているのかもしれないと感じたが、一度閉じた目を開くのがおっくうなほど、だるさが勇介の身体全体を蝕んでいた。

 

 黒崎の、ひんやりした手のひらが額から離れて行くと、代りにコツンと額に何かが当たった。うっすら目を開けると、驚くほどすぐ目の前に黒崎の顔がある。


(え、なんか、近い……?)


 ぼんやりと、その綺麗に整った眉と、きっちり引かれたアイラインを目で追う。

「もうここは大丈夫みたいだから、帰りなさいな」

 そう言われて、黒崎が額をあわせていたのだと、ようやく状況が飲み込めた。

「黒崎先生……すみません」

 ようやく絞り出した勇介の声は、ちょっとかすれていた。

「あんまり、無理しないことね。てゆうか、あなた、私の顔、見過ぎ」

 そう言って、黒崎は困ったような顔で笑う。勇介はもう一度「すみません」と言って、目を伏せた。

 そのとき、飼い主のもとへ駆けつける忠犬のごとく、宮下看護師がどこからか湧き出して勇介のもとにやってきた。

「北詰先生、具合悪いんですか? 本当だ、身体が熱いですよ。大変だ!」

 ぐいぐい来る宮下を、持てる限りの力で押しのけたときには、黒崎はすでにこちらに背を向けて医局を出てゆくところだった。それと入れ違いに外科の一ツ木が入室してくるのが見えたのを最後に、勇介の視界はブラックアウトした。



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