「過去の亡霊―3」
かつての職場の先輩・沢木をたずねた勇介。
果たして、献金は有ったのか、無かったのか。
勇介と沢木は、病院の裏にある喫茶店に入った。勇介が父親といつも会っていたその店は、外壁にツタが絡まり這いまわっていて、中の様子が見えず薄暗い雰囲気を醸し出しているが、入ってみれば不思議と落ち着く店だ。最後に父とここで会ったのは、一年くらい前になるのかと、勇介は考える。
コーヒーの香りが立ち込める店内の、奥まった席に向き合って座った。
「こんな店、初めて入る。ボロいな」
沢木が無遠慮に見まわし、眉をひそめる。レンガ調の壁紙。そこに70年代を思わせる洋楽のレコードジャケットがたくさん貼ってある。テーブルは鈍いつやの中に木目が目立つ。古びてはいるが、それなりに手入れはされている。せめて「レトロ」とか「昭和」くらいにしておいたらよいのに、と心の中で思いながら、勇介は言った。
「コーヒーは美味いよ」
「あっそ」
興味なさげに返事をし、椅子にふんぞり返った沢木は、唐突にたずねる。
「そういえば、どうだった?」
「え?」
一瞬、勇介は何をきかれたのかわからなかったが、先ほどのオペのことかと思い当たった。
「さすがに香川チームの公開オペですよね。ずいぶん大勢見に来ていて、僕なんか、モニターにも近づけませんでしたよ」
詳細に見ていたわけでもないので、勇介はやんわりと話を断ち切る。沢木は面白くなさそうな表情になった。
「あ、そう。それで、今日は、なに?」
じっと正面から見つめられ、どのように切り出せばいいのかわからなくなった。沢木がじれたように言う。
「お互い忙しい身だからね。それとも、市民病院は案外ヒマなのか?」
完全なる厭味にムカッとするが、沢木のしゃべり方全体がこんな感じだったなと思い出し、勇介は一呼吸置いてから言った。――沢木好みの低姿勢で。
「わざわざ手間を取らせてすみません、……実は」
「込み入った話ってわけか」
ふふんと鼻を鳴らし、沢木は胸の前で腕を組む。どうしてこの男は人の話の腰を折りたがるのだろうかと思っていると、女性の店員が水とお絞りを持ってきた。沢木はキザったらしい仕草で指を鳴らし(いまどき指パッチンはないだろ~、と勇介は思う)勝手に「ブレンド二つ」と注文した。
久しぶりにこの店のブルーマウンテンを飲もうと思っていた勇介は、がっくりと肩を落とす。沢木が、ことのほかマイペースな人物だったことも思い出した。
しらけきった風の勇介に対し、相変わらずマイペースな沢木が言う。
「こんなところに呼び出して、込み入った話だというが……」
(いや、まだ何も言ってないし)
勇介はすかさず胸の内で突っ込む。
「あのなあ北詰、そもそもお前と俺は、そんな込み入った話をするような仲だったか?」
ようやくソコに気づいたのかと、勇介は再び肩を落とす。だが、コレに関しては自分が悪いのだ。過去の自分は、周囲の人間とコミュニケーションをとろうなどという気持ちはさらさら無かったのだから。むしろ、人との交流は時間の無駄だとさえ思っていた。そのツケが今になって回ってきたのだ。およそ6年間も勤務していたというのに、気軽に頼みごとのできる友人が皆無だとは、情けないのを通り越して異常事態だと、ようやく己の欠点にたどり着いた。
「確かにおっしゃるとおりです、沢木さん。でも、この問題を誰に相談しようかなと考えたとき、僕の頭にはあなたしか浮かんでこなかった」
ほう、と言った沢木の目が、のどを鳴らすネコのように細められる。今の言葉は、彼の自尊心をおおいに満足させたようだ。
「聞こう」
運ばれてきたブレンドコーヒーのカップに手を伸ばしつつ、沢木は身を乗り出す。勇介はSK製薬からS大病院第一外科の助教授らへの献金疑惑の噂を話した。
沢木は驚いたような顔をしたが、やがてその表情は険しくなった。
「SK製薬ということは、つまりは北詰、それは、父親がおまえのための便宜を図った……ということか」
真相はわからない。聞く相手も無い。いまさら父親を悪く言うなど、親不孝なことだとわかっている。だが、やっぱりハッキリさせたいとも思う。勇介は慎重に言葉を選んだ。
「あくまで『噂』ということです。何か知りませんか?」
何かを考えるような目つきで、沢木は黙りこむ。ゆったりとした静けさの店内に、ごく小さな音で流れてくる音楽が、ジャズのビートを刻んでいることに、勇介は初めて気がついた。
「香川教授には?」
沈黙をやぶる沢木の質問に対して、勇介はかぶりを振った。
「だよな」と、沢木も勝手に納得してひとりごちる。
(どうやら沢木さんも知らないようだな。だが、火の無いところに煙は立たないはず……)
他を当たってみるかと考えて、そのアテもないのだと思い、しゅんとした気持ちになる。
(万事休す……か)
だが、自分に関わることを、あの一ツ木が知っているというのが気に入らない。
「……仕方がないな」
黙ってコーヒーをすすっていた沢木が言葉を発した。
「え?」
「いや、俺は知らないが、知ってそうなヤツにそれとなく当たってやってもいいぞ」
「本当ですか?」
「ああ。別に、たいした手間でもないしな」
まさか、沢木の口からこんな親切な言葉が出るとは。勇介の顔を見た沢木が顔をしかめた。
「おいおい、そういう顔は女にでも見せてやれよ。喜ばれるぞ」
ハッとして、自身の顔に手をやる。口元が緩んでおり、慌てて引き締める。沢木がにやりと笑った。
「もし仮に、その話が事実だったとすれば、俺も胸がすくってもんだ」
「どういう意味ですか?」
「どうもこうも……。事実なら、お前の持つ『香川教授の右腕』って二つ名、金で買えるってことだろう?」
ムッとする勇介に沢木は「ジョークだよ」と、言葉とは裏腹な真顔を向ける。彼は一気にコーヒーを飲み干すと言った。
「あ、そうそう、さっきの怪談。あれ、後日談があるんだぜ」
「え?」
怪異を見た若い研修医が悲鳴を上げたことによって、老婆がかき消えたという。患者の容体を見ると、呼吸困難で顔が青紫になっていたが、若い研修医の必死の蘇生によってなんとか持ち直した。翌日、女性患者は別の病室へ移された。そのとき彼女が寝ていた病室の片隅から古いアルマイトの洗面器が見つかった。
「その洗面器、かつて介護中に嫁に虐待されて死んだ老婆の持ち物だったんだってさ」
「う……」
勇介は、なんだか背筋がうすら寒くなってきた。しかし、あの話に後日談があったとは知らなかった。すると、沢木がふふんと鼻を鳴らした。
「なんせ、その若い研修医とはこの俺のことだからな。俺、けっこう霊感あるんだぜ」
「知らなかった……」
沢木が『見える人』だったなんて。六年間一緒にいたのに、まったく知らなかった。
(なんか、今日は落ち込むことばかりだな)
本当に、自分はこの病院でいったい何をやっていたのだろうか。
「なんなら、もっとたくさん話してやってもいいぜ。実話の怪談」
黙ってしまった勇介に、何を勘違いしたか沢木が満足げな笑いを浮かべる。沢木は興が乗るととても饒舌になる。久しぶりにそのことも思い出した勇介は、全力で左右にかぶりを振った。
なんか、ぜんぜん本題に触れてませんね。
沢木のキャラ立てるのに夢中になってしまいました^^;
真剣に悩む勇介がちょっとかわいそうなことになっていました。