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リアルファミリー3  作者: 冴木 昴
29/41

「疑惑―8」

 明け方目が醒めた勇介は、ひどい頭痛に顔をしかめた。ベッドサイドの時計は午前五時少し手前で、帰宅後眠りに就いてからさほど時間は経っていない。

(まさかの二日酔い?)

 ベッドに身を起こした途端吐き気に見舞われ、慌ててトイレに駆け込んだ。ドアを閉める余裕も無く便器を抱えてえずいていると、そっと背中をさすられた。

「勇さん、大丈夫?」

 返事をすることが出来ずに、ただカクカクと頷けば、後ずさるようにして歩が離れ、トイレのドアが閉まった。昨夜に続き、またしても情けない姿を見せてしまっていることに気づく。

 トイレから出ると、すぐ外の廊下で歩が心配そうに待っていた。

「もう大丈夫だから」

 そう言ったものの頭痛がひどく、笑みを浮かべることすら出来ない。勇介はごまかすように歩に背を向ける。すると、その背中に歩がしがみついてきた。

「え、なに?」

 思わず肩ごしに振り向くと、眉根を寄せる歩と目が合った。


「勇さん、熱あるよね?」


 ――え?


「顔色悪いし。ほら、体だってこんなに熱い」

 腹のあたりに回された歩の手のひらが、ぎゅうと勇介のパジャマをつかむ。

「いや、これは、たぶん二日酔いで……」

「違う! ぜったいに、違うから! 早くベッドに戻って」

「でも、もうそろそろ起きないと時間が。渚に朝ごはんを……」

「問答無用!」

 力の入らない勇介を、歩は背後から追い立てるようにして寝室に連れて行く。ろくに抵抗できないのを良いことに、そのまま二人してなだれ込むようにベッドに倒れ込んだ。

「ちょ、ちょっと待って、あーちゃん」

「黙れ! とにかく、寝ろ!」

 気がつけば、マウントポジションを取られており、勇介の胸の上で歩の顔が近い。承知してはいるものの、彼の顔は本当に杏子に良く似ている。勇介の心拍数が一気に跳ね上がる。


(てか、なんで俺、押し倒されてんの?)


 ひとりパニくっていると、歩が「ちょっといいかな」と断りを入れ、いきなり勇介のパジャマのボタンを外し始める。

「え? え?」

 淡々と事を進める歩の首筋にあらぬものを発見し、勇介はますます慌てた。

(あーちゃん、首に所有印(キスマーク)がついてるんですけどっ!)

 ほっそりとした首筋についた紅い痕が、ぼんやり霞んだ目に、妙になまめかしく映る。

 意識すれば、甘ったるいミルクの香りが鼻腔に届き、勇介はベッドの上でもがいた。歩は馬乗りになったまま勇介の胸元をくつろげている。なんだか、ひじょうに恥ずかしい。

「あの、やめようよ、まずいって。てか、そういうのは、またの機会に……」

 言った途端、歩が生温かい目で見おろしてきた。だが、彼はあえて何も言わない。それがまた、何とも言い難い空気を醸し出す。

 自分でもよくわからないが、痛む頭では腐った考えしか出てこないと判断し、勇介は口を引き結んで大人しくなった。

 すると、「はい、ちゃんと挟んで」

 そう言って、歩は勇介の脇の下に体温計を突っ込んだ。


 ――なんだ、そういうことかよ。


 ぐったりする勇介の耳に、ピピッという音が、検温終了を知らせた。

 検温結果に、そばで目を光らせていた歩が思わず呻く。

「38・7度って、明らかに風邪だろ。二日酔いとか、違くね?」

 自分を誤診とは、まったく返す言葉が見当たらない。しかも、医者のくせに自己管理もできないとは。情けなさ過ぎて、もはや取り繕うことすらできなかった。


 いったん姿を消した歩は、氷枕を手に戻って来た。

 不思議なもので、熱を計った途端に体調が悪化するということが、ままある。それは医者だからと言って例外ではないようだ。


(さ、最悪だ……)


 目に見えて荒い息をする勇介に、歩は無言で布団をかけ、氷枕をセットし、額にかかる漆黒の前髪をそっとかき上げた。ぼんやりする勇介の視界に、心配そうにのぞき込む歩の茶色がかった瞳が映る。


 ――心配しないで。


 そう言った言葉は、音になっていなかったかもしれない。

 歩は露わになった勇介の額に冷却シートを貼り付けると、そっとベッドから離れて行く。

(あ、そうだ! 出勤しないと)

 呆けた頭に、急に現実が割り込んで来た。

『あーちゃん、頼みがあるんだけど』

 ……というセリフをうめき声で伝えると、寝室を出て行こうとする歩が振り向いた。

「俺の書斎……カバン……」

 勇介が発したたったそれだけの言葉にひとつうなずくと、歩は静かに扉を閉めた。閉まる間際にかすかなつぶやきが聞こえたのを、勇介はなぜかはっきり聞きとった。


 ――書斎じゃなくて、物置だろ。


 なんとか半身を起し、勇介は、歩が持って来てくれた仕事用のカバンからアンプルと注射器を取り出した。消毒綿を上腕に塗り、液体で満たした注射器の針を刺す。自分で自分に注射をするなど、医学生の時以来かもしれない、などと考えていると、ベッドサイドに立て膝で付き添う歩が、勇介の顔を心配そうに見上げて尋ねた。

「勇さん、それ、なに?」

「覚醒剤」

「――っ!」

 絶句する歩にちらと目を向け、勇介は弱々しく微笑んだ。

「ウソだよ、解熱剤だ」

 あからさまにホッとした様子を見せる歩が微笑ましい。

 彼が登校する時間になったら声をかけてくれるように頼み、勇介は布団にもぐって目を閉じた。



 話し声と物音で、勇介は目を覚ました。枕元の時計を見ると、七時半を回ったところだ。横になったまま耳を澄ますと、歩の声が聞こえた。

「ダメだよ渚、ここにいて。勇さん、お熱があるから静かにしないとね」

 おそらく、歩は自分の口に人差し指をあてて、しーっという仕草をしたのだろう。その後、渚の甲高い声で、「しーっ、ね。しーっ!」と連呼しているのが聞こえてきて、勇介は思わずプッとふき出した。真剣そのものの表情で、自分の口に人差し指をあてて、しーっと歩の真似をしている渚の姿がありありと思い浮かぶ。

「そうそう、いい子だね」という声に続いて、 寝室のドアが開けられた。

「もう出る時間?」

 勇介が問えば、歩は驚いた顔をした。

「勇さん、起きてたの? てか、うるさくしてたから、眠れなかった?」

 心配そうな歩に「大丈夫だよ」と告げ、勇介は身を起こした。

 歩が傍に来て、勇介の頬に手を当てる。どうやら解熱剤の効果で、熱が下がったらしく、歩は目に見えてホッとした様子だった。

「心配掛けたね。それから、情けないとこみせちゃったし、……ホント、いろいろごめん」

 素直に謝れば、歩は慌てたようにかぶりを振ると、勇介の目をじっと見つめながら口を開く。

「こんなこと言うのも変だけど、なんか、嬉しかった……かも」

「え?」

「あのさ、俺、初めて勇さんの役に立てたかなって。だから、頼ってもらって、その……すごく、嬉しかったんだ」

 そう言って、歩は例の、眩しいばかりの笑顔を見せる。勇介は戸惑いを感じていた。みっともない自分に対して、歩は引くどころか、最上級の好意を見せてくれたのだ。

「あーちゃん、それって……?」

 言いかけたとき、渚がそーっと寝室に入ってきた。トーマスの絵がついたプラスチックのコップを両手でささげ持っている。

「渚、入ってきちゃダメじゃないか。飲み物は座って飲みなさい」

 歩が叱るのを無視して、渚はヨタヨタとコップを持ったまま勇介のほうに歩いて来た。

「パーパ、どうじょー」

 真珠のような前歯を見せてニコッと笑い、渚は勇介に向かって、コップを差し出した。見れば、中には水が入っている。歩くたびに零れたのだろう、中身は半分以下だったが。


 ――これって、俺のための?


 勇介は目を瞠って、渚のちいさな手からからコップを受け取った。

 水を飲んでコップを置くと、勇介はちょっと得意げな様子でこちらを見上げている渚を抱き上げた。

「ありがとう、渚。心配かけてゴメンね。自分が病気になっちゃうなんて、パパはダメなお医者さんだよね」

 緩んだ涙腺を悟られないように、勇介は、渚のやわらかい頬に目を押し当てる。すると、「パーパ、いい子ね」と言って、渚は勇介の後ろ頭に小さな両手のひらを回し、ポンポンと優しくたたいたのだった。


(これは、まずい。完全に、ノックアウトだ)


 緩みきった涙腺から、とうとう熱いものがあふれ出してしまい、勇介は慌てて手の甲で押さえた。

「ま、まいったな」

 照れ隠しにつぶやけば、

「ちぇっ、渚にいい所持って行かれちゃった。俺だってこんなに心配してるのに」

 傍らで、ぷうっと口をとがらせる歩と目が合った。勇介はふっと笑い、歩の手を引くと、渚と一緒にその華奢な身体を抱きしめた。


 温かな空気が満ちてくる。


 ――これが、家族。

 

「二人とも、ありがとうな」

 腕の中で、歩が小さく頷く気配がした。


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