「絆―7」
歩の拒絶は「迷惑かけたくない」という一言に集約されていた。
自分との同居が嫌になったわけじゃなかったんだと、ホッと胸をなでおろす勇介だが、歩はまだ硬い表情をしたままだ。まだ、何かあるのだろうか?
警察署をあとにして、幹線道路へと車を走らせる。初夏の陽射しが傾き始める時刻、街並みが黄色みを帯びて見える。道路は少しずつ渋滞し始めている。後部座席のチャイルドシートで渚がぐずりだした。眠いのか、それともお腹が空いたのか。バックミラー越しに歩と目が合うと、彼はまるでこちらの心を見透かしたように言った。
「たぶん、疲れてて、眠いんだと思う」
歩の言葉通り、いくらも経たないうちに、渚の頭がぐらぐらと揺れ始めた。瞼が落ちてきている。相変わらず、渚のことにかけては、なんでもお見通しなのだなと恐れ入る。
「まるで、お母さんみたいだね」
冗談のつもりで言ったが、軽くスルーされる。それでも、歩が口をきいてくれるのが嬉しくて、勇介はめげずに声をかけた。
「そうだ、あーちゃん、どこかで晩ご飯でも食べようか」
「あ、え、……うん」
歯切れの悪い返事のあと、歩は座席から身を乗り出した。
「あのさ、さっき、言ったよね? 何でも言って、って」
「え?」
何を言われるのかと身構える勇介に、歩は学校へ行って欲しいと言った。
勇介は、車内のデジタル時計にちらりと目を走らせる。おそらく授業はとっくに終わってる頃だろう。
「なんか、忘れ物でも?」
「いや、そうじゃなくて……」
歩は後部シートに沈み込む。渚のほうに手を伸ばし、そのやわらかい栗色の髪を無意識にまさぐりながら、もごもごと口の中で何か言う。信号が赤になり車が止まったので、勇介は歩を振り返った。すると、歩はポケットから紙切れを取り出し、無言で勇介の鼻先に差し出した。受け取って見ると、そこには三者面談の文字があった。
目だけで問いかける。
歩がうなずく。
手紙に記載された「保護者」の文字が、なんだか照れくさい。信号が青になり、勇介はアクセルを踏んだ。
眠ったままの渚を抱いて、長い廊下を歩く。学校というのはどこも同じような作りのせいか、初めての場所なのに既視感がある。成林高校は県内有数の進学校だが、部活動もそれなりに盛んらしく、生徒たちの元気な声が聞こえてくる。立ち止まり、窓の外を見る。グラウンドで、サッカーボールを蹴る生徒たちの姿があった。
勇介の気配に、前をゆく歩が振り向く。
どうしたの? と言いたげな眼差しに、勇介は肩をすくめる。
「いや……。高校時代なんて、たいした思い出もないのに、こういうの、なんか懐かしいなと思って」
もうずいぶん経つが、勇介にも高校時代があったのだ。ならば、少しは歩と話題を共有できるかなと思ったが、歩は「ふ~ん」と言っただけで、くるりと背を向けた。
(やっぱ、他人の昔話などには興味がないんだろうな)
勇介が心の中で自身の話下手を呪ったとき、歩が振り向いた。
「勇さん、部活とかやってたの?」
「え? ああ、運動系をね」
歩が目を丸くする。完全に、インドアなヤツだと思われていたのだろうか。
「まさか、サッカーとか?」
そう言って、歩はちらりと窓の外に目をやる。
「いや、陸上部。いつもひとりで走ってた。……とにかくチームプレイが苦手でね」
それを聞いた歩が顔を赤くしたかと思うと、プッと噴き出した。慌てて勇介に背を向けるが、その肩先が小刻みに揺れている。
(なぜそんなにウケるんだ?)
納得できないが、それでも歩が笑ってくれたのが嬉しかった。
甘えるのが下手な歩が、自分のことで初めて勇介に「お願い」をしました。
これは二人にとっては、かなりの進歩だと言えるでしょうね。