take8:今日はスピノザです
休日の御昼時である。
玄関にて、買い物から帰って来たアミを出迎えたアザカとミミが固まっていた。
二人のみならずネコ五匹も、全部が全部アザカのふくらはぎに隠れつつも尾を立たせ、脅えからくる威嚇をアミに示している。
グレートデンもまた、震えてはいるものの怖気ずかず、ミミの前でドッシリと腰を落とし、彼女のボディーガードとして務めを果たしていた。
そんなこうちゃくが続いて早1分。未だ長女に対して一言も発せないアザカとミミ。
そんな二人に対し、アミは妖しく目を細めていつも通りなのだが、しかし次女と三女のこの反応に首はかしげず、むしろさもありなんと不敵に笑んでいた。何の事は無い。
彼女にキウイ色の大蛇が艶めかしく巻きついているのだから。
「「「…………」」」
その胴はたぶんアザカの腕よりも太いし、伸ばせば体長は2mを超すだろう。そんなモンスター染みた緑の大蛇が、長女にグルグルグルとまきつき、彼女の肩辺りから首をもたげて舌をチロチロやっているのだ。
「名前はスピノザ。種別はグリーンパイソンよ」
アミはしっとりと溜息を吐いた。
「今日気紛れで寄って見たホームセンターの爬虫類コーナーでたまたまこの子を見つけたの。女の子だそうよ。グリーンパイソンは普通、気性が荒くて神経質で凶暴で残忍みたいだけれど、どうもこの子は特別で温厚でノンビリ屋さんみたい」
そのギョロっとした琥珀色の瞳と目があったとき、ゴクっと、ミミが喉をならした。
「エサはマウスとか子ウサギみたいな小型の哺乳類を生餌として与えるのが普通らしいけれど、どういうわけかこの子はベジタリアンらしくて野菜しか食べないらしいわ」
そうしてアミは不敵な笑みを浮かべた。
「あ、あ、あ、あ、姉上」
「なにかしらアザカ?」
「も、も、も、もしかして」
「もしかして?」
「そ、そ、そ、そ、そ、それ」
プルプルプルと震える人差し指を向ける次女に、長女はしっとりと溜息を吐いた。
「可愛がってあげてねアザカ。お名前はスピノザよ? はい」
おもむろに、アミは身体からクリクリクリとグリーンパイソンを解き、そのままアザカの肩にヨイと乗せた。
「――――!!!!!!!!!!!!!!!!」
今確かに、アザカはモノクロ写真の様に全身が灰色になり、そして静止した。石化とも言う。アミは赤毛をサラサラサラと流してからようやく靴を脱ぎ、
「さて、オヤツの下拵えでもしようかしら」
そうしてキッチンの方へ向かって行った。ミミは「ミミはババロアがすごい!!」とヘビそっちのけでリクエストしつつ彼女に続き、グレートデンもまた三女に続いた。
五匹のネコは内2匹が長女と三女に続き、残り三匹が去りゆく二匹に『うらぎりもの!』とばかりにニーニー鳴いた。
そんな感じで三匹のネコと次女とグリーンパイソンのスピノザは、玄関に残された。
やはりここの姉妹は特殊なのであろうか。
スピノザが一家の仲間入りを果たしてからまだ数時間と経っていない夕食後のこと、何と言うべきかこのヘビはっすかりとここに馴染んでいた。
例えば次女と三女はダイニングで並んで座り、週末に返却予定になっている映画のブルーレイなどを見ているのだが、その二人の膝上でスピノザは大人しく身を横たえている。
ネコやグレートデンの方はまだ少し警戒感を抱き、遠巻きに見守っているのだが、慣れるのも時間の問題かと思われた。
好奇心旺盛な茶ネコなどは、既にスピノザの真正面に座り、そのチロチロと出し入れされる舌を前足でちょんちょんと気にしていた。
映画の展開が複雑になってきたせいか、ミミはこっくりこっくりと舟をこき始め、アザカはむしろ前のめりになって食い入るように見ている。一足先に映画を見ていたアミはキッチンで食器を洗っていた。
やがて映画が終わるころには、ミミはアザカにもたれてスヤスヤと寝息を立てており、次女はそんな三女を起こさぬよう、映画のエンドロールが始まっても座ってスピノザの背中を撫でていた。
アミはこのグリンーパイソンのことを『特別で温厚でノンビリ屋さん』と言っていたが、どうやらそれは本当らしいとアザカは思った。なにせこの映画が終わる90分の間、スピノザはほとんど動かなかったのだから。
長女は洗い終えた食器の水気を布巾でとりながら、アザカに撫でられているスピノザの至福そうな表情を見て思った。
「もしかしてあの子……」
スピノザに妖しく目を細めた。
アザカ並に動かないんじゃないかしら?
光合成も出来るんじゃないかしら?
アザカとはソウルメイトなのかしら?
と。
爬虫類コーナーで、水槽に入っていたスピノザを見つけた時、その愛らしさと美しさと艶めかしさと優雅さに一目惚れし、これまで妹にしか向けた事のない慈愛の笑み――傍から見たら妖しく目を細めて不敵な笑み――を向け、じっと見ていたのだが。
あの時も2時間ぐらい動かなかった。
そして今も、ここ1時間半ぐらいスピノザは動いていない。
そんなのまるでアザカみたいじゃない。
アミは思った。
スピノザもスピノザで、自分と似た雰囲気を次女に感じ取っているのか、その琥珀色の瞳は半分ほどトロンと閉じられ、身体は弛緩しているように見えた。
寝惚けた三女が尾先を口に含んでモゴモゴやっているが、あまり気にする様子はなかった。
就寝時間になり、三姉妹が銘々の部屋に向かう。
明りがダイニングから消えると、五匹のネコはいつも通りカーペットで団子を作った。
グレートデンのデンデンは、ソファの前で丸くなった。
さて新入りのスピノザはと言えば、夜行性なのか夜更かし嗜好なのか知らないが、その大きな身体をうねらせて探検開始――しようとしたところを、団子から離れた茶ネコが『差し押さえ』とばかりに尾を前足で踏み、気の弱い事にスピノザは断念した。
スピノザは闇の中で目を光らせて、舌をチロチロと出して辺りの様子を伺っていたが、やがてネコ団子の傍までうねり、団子を包むように丸まった。
五匹は新入りを気にする様子もなく、眠った。
グレートデンも、アクビを一つして眠った。
スピノザだけが、朝まで目を光らせて起きていた。
まるでダイニングの六匹を見守る様に。
朝になって、朝食を作りにダイニングに来たアザカは戦慄した。
なんとローテーブルの上で、スピノザが胴体を倍以上に膨れさせて寝ていたのである。
「…………」
何かを丸のみしたのは一目瞭然だった。
周囲を見渡す。
ネコ団子はきちんと五匹で構成されていた。白ネコが灰ネコに抱かれてちょっと苦しそうだったけどいつものことだ。
グレートデンもすこやかに寝息を立てている。ミミもさっきベッドにいた。大丈夫、喰われてない。
次女は腕を組んだ。
いったいスピノザは何を食べたのだろうかと。
――――。
その腫れあがったボディを見ていたら、考えれば考えるほど、何か嫌な汗が流れてきた。
そうして次女が固まりつつ考え込んでいたら、珍しい事にアミが起きて来た。
長女は口に手を当ててしっとりと溜息を吐いてから、その目を妖しくアザカに流した。
次女が自分に気付かす、なにやら黙考しているようだ。
「……」
もしかしたら、今日こそトーストにマーガリンを塗ろうと決心しているのかも知れない。
アミは不敵に微笑んだ。
そして長女は、朝食に変化を取り入れようとしている次女の事を慮り、自分が昨深夜、スピノザに大根一本のませた話などは後にしようと決心し、そのまま静かに寝室へ戻って行った。
しばらくしてアザカは頭を振り、ビシっとグリーンパイソンに指を差した。
「私はお前の事を信じているからな、スピノザ」
そうして腕をまくって朝食作りを開始した。
冷蔵庫を開けた時、チョコレートバターが切れている事に気付いた。
アザカは溜息を吐いてやれやれ、と零した。
「今日はジャムで我慢しよう」
END
アザカ「どうも。評価ありがとうございました(あらかしこ」