take13:今日は愛情です
本当に今更な話だと思って長女は嘆息した。何でも、デンデンには血統書がついていたから元の飼い主が返して欲しいと言う。
「ってそんなアホな話あるかいなアミ!? まさかアンタそれOKしたんちゃうやろなぁ!?」
前の席の友人が大きな声を出すと、アミは妖しく目を細める。
「落ち着きなさいトウカ。そろそろ関西弁キャラが出てくる頃合だと思ってはいたけれど、まさか異世界からのゲスト出演だなんて予想だにしていなかったからわたしが驚いてるぐらいなのに」
「メタ発言はええって!」
「まさかこのタイミングでわたしの通う学園が明らかになるなんて夢にも思わなかったわ」
「だからエエって! それより……ホンマにアミはどうすんの?」
日焼けした関西娘に半ばまくし立てられたアミは、しっとりとした溜息を吐いた。
「そうね。こんなことアザカにもミミにも、ネコ(白1)にもネコ(白2)にもネコ(黒)にもネコ(灰)にもネコ(茶)にも、そしてスピノザ、あまつさえデンデンにも相談できないものね」
ならば何故自分にこんな相談を持って来たのか? 等と問う程、アミとトウカの仲は他人行儀ではない。
「返答はもちろん、否やろ?」
「ええ。わたしは返すつもりはないと伝えてあるわ」
トウカは腕を組んだ。
「……それで相手方はなんて言うてきてるん? ハイソウデスカで引き下がるわけあらへんやろし?」
「そうね。その人、お仕事はブリーダーさんらしくて、物は相談、どうしてもって言うならお金で解決だそうよ」
「吹っかけてきたんか?」
アミは赤い髪をサラサラと腕で流した。
「デンデンの適正価格は700万って」
「な、な、700万!? それいくらなんでもボッタクリ過ぎちゃう!?!?」
思わず立ち上がった関西娘をとりあえず着席させるアミ。
「わたしも気になって調べて見たら、あながちそうでもなさそうだったわ。デンデンのお父さんはドッグショーでチャンピオンを取ったことがあるらしいの。そしてその時の値付けが1000万だったそうよ」
「ちょい待ってなアミ」
ずい、と掌を差し出すトウカ。
「そもそもそれやったら、なんでそのブリーダーはデンデンを手放したんや? こんな言いかたウチ嫌いやけど、金になる事ぐらい分ってたんやろ?」
「デンデンとカップリング予定だったメスのグレートデンが亡くなったからだそうよ。だからもう用済みって」
ブリーダーとお金というキーワード。そこから類推するなら予想内の答えだったとは言え、改めて口にされるとトウカはギリっと拳を作っていた。
「……そんなんで……捨てられるもんなん? 親犬を飼ってたっていうことはさ、そのデンデンをこんまい頃から見てたわけやろ? 愛着ゼロなんて信じられへん」
「時間は愛情の理由にならないわ」
窓の外を眺めるアミの目が、今日は妖しいと言うより微かに儚げだった。
「過ごした時間によって愛情が育まれるというのは否定しない。けれどもいくら時間をかけたところでそこに何もなければ、そんなもの育みようがないもの。……種がない土には待てと暮らせど花は咲かない。どれだけその愛を受け入れる為に土が肥えてて、水が豊かであっても、種がなければ咲かないし実らない」
アミは普段のデンデンの振る舞いを思い返す。優しくおおらかで、そして朝から晩まで静かにミミに侍る姿は、愛と忠に満ちた騎士と言っても良いものだった。
「……きっとデンデンのことだからずっと待っていたはずなのにね、その人の」
愛情を、と。アミはそう言った。
トウカには分ることがある。
相手の痛みを理解出来るのは、その痛みを経験した事があるものだけなのだ。だからここで彼女がグレートデンの事に心を痛めれば痛めるほど、それはつまり、アミ自身が過去に受けた心の痛み、その深さを露わしている事になる。
「アザカのときもそう」
アミはさらに言葉を繋ぐ。
「ミミのときもそう。……あれだけ愛を育むのに余りある心を持った子達なのに、……彼女達にはその種が蒔かれなかったのは、どうしてなのかしらね。わたしには本当に分らないのだけれど」
まだ二人と出会って、二年と経っていない。
なのに私達は、まるで生まれた時からそうであったように、温かな時間を共有している。だから――
――――時間は愛情の理由にならないわ。
アミの言ったその言葉の意味を、トウカは理解した。
「……うん」
彼女は頷いてから本題に戻す。
「えっと、それでそのさ。なんでまた一度捨てたグレートデンを手元に戻したがってるん?」
「今回、またカップリング出来そうなグレートデンが奇跡的に手に入ったとかでデンデンが必要になったみたいね」
トウカは一縷の望みを抱いた自分がバカだと思った。お金とか血統書とか所詮は言い訳で、実はそのグレートデンが急に寂しくなったとか、恋しくなったとか、実はそんな理由でブリーダーが取り戻そうとしてるとか。そんなぬるい事をこの瞬間に考えてしまった自分が。
「けど! もうデンデンはアミんとこで登録も済ませてワクチンも打って……だからもうアミんところのじゃないん?」
アミは小さく首を左右に振った。
「わたしが甘かったのよ。あの時に譲渡に関する念書なりを一筆もらっておけばこんなことにならなかったのに。……あの時あまりにも居心地が悪かったから、口約束だけで連れて帰ってしまったのよ」
「居心地が、悪かった?」
「ええ。ブリーダーさんね」
アミが切れ長の目を、トウカに流した。
「『捨てたゴミだから拾うのは御自由に』って、ミミ(あの子)の前で笑ったのよ」
夕暮れ時。いつもの公園で、艶やかな大型犬と戯れる少女が一人。
「デンデン! じゃんぷ!」
「バウ!」
「デンデン! すぴん!」
「バウ!」
掛け声に合わせ、グレートデンは跳躍し、身を捻ってクルンと円を描く。
そんな三女とデンデンを、ベンチに座ってボウと見つめているアザカは、先程耳に挟んだ事件を気にしつつも、あれはまさかデンデンに限って有り得ないだろうと思い返し、さっさと忘れることにした。
それにしても
「まるで10年来の友の如きであるなミミもデンデンも。阿吽の呼吸と言うべきか。以心伝心と言うべきか。いや、あるいはここまで来るとフロイト的な集合的無意識に通じる何かがあるやもしれない」
三女とグレートデンの戯れる姿を見つつ、アザカは静かに呟いた。
「まさかの展開だったわね」
「まさかの展開やったな」
アミとトウカは件のブリーダー宅からの帰り道で、そうとしか言いようのない感想を漏らしていた。
「姉上一応聞いて欲しい瑣末な話があるのだが良いだろうか?」
夕食を済ませた三姉妹。ソファでしなやかに横になっているアミに、アザカがシンクで皿を洗いつつそんな風に問いかければ、長女は黙って頷いた。
「実は近所で犬の大量飼育をしていた自営業の男性が新しく飼育を始めたメスのグレートデンに大層気の毒な箇所を噛まれると言う痛々しい事件が発生した。そして彼は内またになりつつ救急車を呼んでタンカで担ぎ込まれたらしいのだが、かけつけた救急隊員があまりに劣悪な動物の飼育環境に驚いて警察に連絡を入れたらしい。すると専門家立会いのもと検証を行った結果、動物愛護法違反と特定外来生物法違反で御用となってしまった。うちのデンデンに限ってそんなことはないと思うが……って、姉上?」
見ると長女はスースーと居眠りをしていた。
傍らには珍しく、デンデンがソファーのすぐ横で丸まっていた。
ミミはローテーブルの下で、これまた珍しくネコ団子に圧迫されてちょっと苦しそうに寝ていた。
「……」
そんな様子をトロンとした眼差しで見送った後、次女はクスリと笑ってから洗いものを再開。
「おっとっと」
と、足元で丸まっているグリーンパイソンを踏まないように彼女は気を使った。ただし一言。
「私の枕を飲むのは勘弁だスピノザ」
「……」
END
トウカって誰なんでしょうね全く(爆




