異常
第9話です。
それが見つかったのは第二区画の走査を半分ほど終了した時だった。
「あれ、なんだこれ。」
ソナー担当の黒岩が素頓狂な声を上げた。リアルタイムで解析をした結果を表示しているスクリーンの一部が真っ白に空白になっていた。ソナー観測室の隅でコーヒーを入れていた、もう一人のソナー担当、山崎が「なんだ、お化けでも出たのか」と混ぜっ返したが、黒岩は真剣だった。
「画像の一部が解析不能らしいです。空白になってます。どうしたんだろ。」
「なんだって?コンピューターがおかしくなったんじゃないか?」
「いえ、他の部分は正常なんです。おおよそ800m四方の区域だけがぽっかり空白になっちゃってます。」
「そりゃ変だ。主任を呼んだ方が良いな。」
自室に居た吉村はインターカムで呼び出された。インターカムでの簡単な説明を聴いて、システム担当の長野にも呼び出しを掛け、自分はソナー観測室へ急いだ。
「なんだ、何があったんだ。黒岩君。」
「これを見てください。800m四方が空白で出力されてます。」
「ふーん。変だねぇ。解析前のソナー信号映像は見たのかね。」
「今、スクリーンに出します。」と山崎がソナーを操作しながら答えた。
「なんだ、こりゃ?穴が開いてる?まさか?おい、長野君ここだけエラーって事は無いのね。」
「コンピューターってのはこういう形ではエラーしないんですよ、普通。なんかのコマンドが入ってここだけ空白にせよ、って命令したなら別ですがね。とにかく、データーをダンプしてみます。」
「それじゃ俺は船長に頼んでちょっと船を戻してもらおう。位置は判ってるんだろ、真上に船を持っていってもらう。」
吉村はブリッジに連絡して、異常を伝えると共に船を戻す位置を知らせた。
「あー、なるほど。それで空白なんだ。」データーを見ていた長野が声を上げた。
「なんだ、何か判ったのか?」
「これ見てください。入力データーが閾値を超えてるんです。だから空白が表示される。要するにあり得ないデーターなんですよ。だからコンピューターはエラーとして切り捨ててしまうわけです。こりゃコンピューター側じゃ無くてソナー側の出力信号の問題ですね。」
「で、山崎君、ソナーはどうなんだ?」
「吉村さん、これ見てください。これ空白のエリア部分の録画像ですけど、その空白部分、穴が開いてるように見える部分じゃなくて、その周辺部分なんですけれど、海底地形が乱れて見えるでしょう。これ海底地形じゃなくて、相互干渉か何かで反射波の到達時間が変わってるんです。辺縁部の乱れが全周で同じ周期になってるのが判りますか。」
「うん、言われて見ればその通りに見えるな。」
「吉村さんブリッジからです。」長野がブリッジからの呼び出しを取り次いだ。
「お、すまん。はい、吉村です。ただ今直上ですね。すみません、お手数かけます。できる限りで結構です、この位置をキープして頂けると有り難いです。はぁ、わかりました。いえ、それで結構です。ダイナミックポジショニングに移行する必要は無いと思いますので。はい。それでは観測終了次第連絡します。山崎君ただ今直上だ。ソナースキャン頼む。」
「了解。スキャン開始します。」
「お、やっぱりひどく乱れてるな。長野君、なんとか解析できないか?」
「ちょっと無理ですね。海中の音響特性がひどく変化しているから、閾値を変えてもだめでしょう。シミュレーションを停止して、歪み修正だけにしてみますが、そう変わらないと思います。ただし辺縁部の正確な形は判ると思います。」
シミュレーションを停止した結果、音響異常の区域が不定形のドーム状に広がっている事が判ったのは収穫だった。穴ではなく海底から盛り上がる形になっていた。
「一応、海底を三千mと仮定して、回折などで信号遅れが生じていると想定した解析結果です。多分、現実の状況に最も近いかも知れません。それと400m付近にいくつか乱れがあります。何かが浮遊しているようです。ソナーでは見えませんか。」
「だめですね。こちらの表示部はそんなに頭良くないですから。」
「判った。ともかく、探査を続行しよう。400付近の幽霊は「みずなぎ」を降ろして調べてみよう。「みずなぎ」なら7ノット程度の速力でジグザグ航行している本船との出会い進路に入るのは簡単だからな。もっと深いドーム部分は区画探査終了後、「ドリイ」にて行う。ソナー班はそのまま続行、長野君は「みずなぎ」とのデーター回線構築を頼む。「みずなぎ」は一号艇、野瀬さんに行ってもらおう。チームは誰だったかな、津田君か?長野君すまんが、野瀬さんに連絡してもらえるかな。俺はブリッジへ説明してから、後ろへ行く。」
吉村は当座の行動をそう指示すると、ブリッジへ上る階段へ向かった。
「お、吉村さん、いったい何が持ち上がったんですか?」
吉村がブリッジに上がると、そこには船長の山下が待っていた。
「船長、こちらでしたか。いえ、ソナーがおかしな反応を捕まえまして。」
「ほう。今回の探し物に関係がありそうなんですか。」
「いえ、まだその辺は判りません。ただ、これまで本船が遭遇した事が無い現象である事は確実ですね。この直下の海底の相当広い範囲に渡ってソナー反射が異常になる部分が存在しています。解析した結果どうも海底からドーム状に盛り上がる形でそういう部分があるようです。それと水深400m付近にも幽霊のようにつかみ所のない反応が現れてます。少なくとも魚やクジラの類いじゃありませんね。」
「なるほど。それで、どうするおつもりですか。」
「一応、探査はこれまで通りこの区画が終了するまで行い、海底の異常部分へは、区画探査終了後、「ドリイ」を送るつもりです。水深400m付近の異常には、ここで「みずなぎ」を降ろして、調査後本船との出会い進路に入れ、会同点で回収を考えてます。」
「大丈夫ですか、まったくバックアップ無しで。」
「ええ。「みずなぎ」はもともとがそういう用途で作ってありますんで。もっとも状況が許せば、ゾディアックを一杯残しておきたいんですがね。」
「なるほど。ゾディアックはこちらでやりましょう。「みずなぎ」と一緒に降ろせば時間が節約できる。」
「助かります。船長。それじゃ私は後部へ行きますので。」
「はい。ご苦労様です。「みずなぎ」は野瀬さん?」
「ええ。一号艇です。経験じゃ彼の上に出る人はいませんので。」
「そういうことでしょうね。それでは気をつけて。」
「みずなぎ」の発進準備作業が行われている、後部甲板に降りた吉村は、艇長の野瀬を探した。
「野瀬さん、すいませんね、大変な仕事お願いしちゃって。」
「まぁ、あんたと仕事する限り毎度の事とあきらめてるから、気にもならんよ。」と野瀬は笑い飛ばした。
「ところで、吉村さん、その調べる対象の予測すらできんのかね。長野君から聴いた限りでは、随分とおかしなものみたいだが。」
「ええ。どうにも判らないんですよ。まぁ、それで野瀬御大に白羽の矢ということなんですがね。」
「おい、その御大は勘弁してくれよな。まるで年寄りみたいじゃないか。ところで、具体的にはどういう調査するんだね。」
「早い話、上じゃ何も判らんから、野瀬さんに丸投げするつもりなんですがね。海洋学の方から多分、望月君が一緒に行く事になると思いますんで、話し合ってうまくお願いしますよ。結果に文句は付けさせませんから。」
「なんとまぁ・・・それじゃ、搭載ポッドの選定もこっちでやるって事かいな。」
「早い話、そういうことになります。」
「みずなぎ」はその外部、艇底部と上部に計4カ所の外部観測装置集合体搭載ポイントが設けられていた。そこへは各種観測機器を搭載できる4種類のコンフォーマル整形された搭載コンテナ、別名「ポッド」が用意されていた。各観測班は、その目的に必要な機器を「ポッド」に搭載し、搭載ポイントへ接続することで、艇内の観測員コンソールへリアルタイムで観測データーが送られ、記録、転送などを「みずなぎ」搭載のメインコンピューターにより処理する事が可能だった。データー転送は「ポッド」自体に用意されたマルチ入力光データー変換装置、アナログ/デジタルで取り込んだ信号を高速光伝送信号に変換する装置を介した後、無接触光ファイバーコネクターを経由して艇内に送られるため、「ポッド」に内蔵できる電源を使用する限り、水圧による制限は「みずなぎ」の潜入深度限界と同じであった。もっとも、観測機器によっては、水中に露出させる必要があるため、そのような装置では、それ自体の水圧限界に束縛されることになったが、観測と言う作業を考えれば許容できる制限だった。
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