承前
第7話です。
「吉村主任、電話ですよ。海自の滝川さんから。」
「ほい、ありがとさん。みっちゃんいつも可愛いねぇ。」
「吉村さん、それって典型的セクハラですけど。お世辞はいいですから、早く出てください。ったく。」
海洋学研修生の八木みどりは毎度の事にうんざりした口調で文句を言いながら、吉村に受話器を渡した。
「まぁまぁ、そうとんがらずに。へい、毎度、提督。今日は何でござんしょう。」
『おはようございます。滝川です。今日、ちょっとそちらへ伺いたいんですが、体空けて貰えませんか?』
「滝川提督のご要望なら、と言いたいんですが、今日はちと都合がよろしく無いんですが・・・これからドリイのバグ取りがあるんで、試験水槽に詰めなきゃならんのですよ。明日にできませんか?」
『それが、天の声でして・・・』
「っつーと、幕の辺りから・・・」
『いえ、もっと上でしてねぇ。』
「そりゃまた・・・判りました。いつでも結構です。体空けます。」
『すみません。無理言って。それじゃすぐにお伺いしますから。』
「判りました。お待ちしてます。」
「おーい、みっちゃん、ドリイの班に今日のバグ取りに参加できないから、勝手にやって、後で報告と改訂分のソースリストこっちにくれるように連絡してくれるかな?使っちゃって悪いけど。」
「はいはい、判りました。どーせ研修生なんて、こき使われるもんだって諦めてますから、見え透いたお世辞は言わなくても結構ですからね。」
「まぁまぁ、今日の昼飯おごるから、機嫌直して。」
「モノで釣ろうとしてもダメです。それに、職員食堂のラーメンで二度も釣られるもんですか。銀座辺りでフルコースってなら釣られても良いけど。」
「お、ぉぃ・・・・・・・・・・・」
一時間半ほどで海上自衛隊幕僚監部所属の滝川一佐は吉村の前に現れた。
「滝川さん、何ですか、かなり深刻な話のようですが・・・」
普段の吉村からは想像もできない真剣な口調で、挨拶も抜きに切り出した。
「ええ、ま、深刻と言えば深刻なんですがねぇ・・・」
「ひょっとすると米軍絡み・・・そういう話ですか?」
言いにくそうな滝川の先を吉村が読んだ。
「ええ、そういう事なんですが、今回は単純じゃなくてですね・・・」
「私のスタンスは判っていらっしゃる滝川さんだから、今更ごちゃごちゃ言っても仕方が無い。ともかく話を聞きましょうか。」
「そう言ってもらうと気が楽になります。それじゃ・・・・・」
滝川の話をかいつまんでしまうと、米海軍の最新型原子力潜水艦が小笠原東方の海中で消息を絶った、というのが話の骨子であった。問題はその潜水艦が米海軍が次期攻撃型原潜のプロトタイプとして建造し、評価試験中の艦だった事だった。この艦の持つコンセプトは、これまで軍事的には利用された事が無い、新たな空間、つまり、千mを超える水深の海中における自由な行動であった。最大潜入深度三千m、安全深度二千mという深海潜水艇なみの耐圧船殻と、そのような大深度からも攻撃可能な武器体系を持つ、この新型潜水艦は事実上一般的軍事手段では探知不可能であり、さらにこれを攻撃する手段も現時点では、どの国の海軍も持ち合わせていなかった。従って、現時点でこの艦は無敵と言っても過言ではなく、それゆえ、米海軍内部ですらこの艦の存在自体極秘の扱いとなっていた。
その艦が消息を絶った。米海軍が所有するDSRVの持つ能力を遥かに超える水深の海域で消息を絶ったこの艦の捜索が有為な時間で可能なのは、一万m級の潜航作業が可能な「かいえん」を持つ海洋調査機構しか無かった。
「なるほど。確かに太平洋の西側ではうちだけですからねぇ、そういう能力があるのは・・・しかし、極秘の艦でしょう、いいんですかね?半官とはいえ、民間であるうちに情報を渡しても?」
「背に腹は代えられないって事でしょう。それと、これは噂ですが米政府のかなり高い地位の人間の関係者が乗り組んでいるとか、いないとか・・・」
「まぁ、そういうこともあるんでしょうね。で、具体的にはどうするおつもりですか?」「今、「みこもと」は出てるんでしたよね?」
「ええ、都合の良い事に小笠原近傍での海底調査に向けて航行中です。今は相模湾を出る辺りですかね。」
「そりゃ都合がいい。どこか、八丈辺りで便乗者乗せられれば・・・」
「事情が事情だから私が直接出向きますよ。「ドリイ」も運ばなきゃならんので、どうせ一旦どこかに入港する予定でしたから。ただ、アメちゃんの指揮下に入るのだけは勘弁してもらいますよ。これだけは譲れない。情報はリアルタイムで流しますが。それと、上との話はお願いします。「ドリイ」を持って私が飛ぶまでは、予定のうちですが、そこからの目的変更は私の一存じゃ無理なんで。」
「ああ、そっちは任せて下さい。もともと一番上から幕へ降りてきた話ですから、問題ないでしょう。指揮権の方は赤坂(大使館)の方がごちゃごちゃ言いそうですが、なにせ吉村御大自らご出馬じゃ譲るわけにも行かない。ごり押しますよ。」
「よろしく願います。で、ブリーフィングとかは?」
「連中(米軍)はやりたいみたいですが、連中だってそう多くの情報を持ってるわけじゃない。時間を考えれば、乗船してからで間に合うでしょう。遭難した艦のデーターは直接「みこもと」のデーターベースへ送れば済む事ですし。」
「そういうことなら、すぐにでも動きましょう。おーい、みっちゃん、ちょっと来てくれる。」
「はーい。なんでしょう、主任。」
「えっと、インマルかインターネット経由で「みこもと」に八丈へ入るよう連絡してくれますか?多分、インマルの方が早いな。Cならブリッジで打ち出されるから、長野がオンラインゲームで占拠してるネットより早いだろ。」
「了解しました。それではインマルサットCへEメールで送ります。バックアップにネット経由でも同一文を送信しておきます。」
「はい。それで良いでしょう。それじゃお願いね。あ、それと「ドリイ」班の村上君に後で来るように伝言しておいてもらえると有り難いなぁ。」
「はい。「みこもと」へメール打った後ですぐに。」
「すみませんね、八木さん。突然忙しくしちゃったみたいで。」
「あ、い、いえ、滝川さんのせいじゃありませんから・・・」
「お、おい、滝川さんと俺とじゃ随分応対が違うじゃないか・・・・」
「主任、中年のいじけはモテない原因の第一位ですからね。」
「ぉ・・・・・・・・」
時間を遡っていますので、混乱の無いように。