交信
第54話です。
まだ、仕事の忙しさから脱出できません。まぁ、仕事があるだけましですから、文句は言いませんが・・・
先週は車がまた壊れて、一日フイにしました。FF車のドライブシャフトを連結しているフランジネジが8本全部折れる、という凄まじい故障。それを渋滞でぎんぎらぎんの大型バスターミナルの前でやらかしまして、クラクションの一斉攻撃を食らいました。惰性だけで道路端へ付けられたので最悪の事態だけは回避できましたが・・・
日本製の車がなぜ外国で人気があるのか、よく判ると思います。ちなみに車はVWブラジル製。
長野は再起動コマンドを「ドリイ」に送ると同時に、切り離しスクリプトを実行形式で送信、それまでエラーが多発していたメモリーバンクを起動ルーチンレベル、つまりハード的に切り離していた。これでエラー訂正のCPUへの負荷が減る。しかしI/Oバスでのエラーについては、切り離し処置を執っていない。「ドリイ」AI起動後、I/Oバスのエラーを「ドリイ」AI自身に解析させるためだった。
「ドリイ」の起動は成功した。いくつかの外部装置は壊れたのか応答が無かったが、「ドリイ」自身のAIは正常だった。
「『ドリイ』、長野だ。認識できるか?」
「こちら『ドリイ』。長野さんの声紋と一致。認識しました。」
「『ドリイ』、自己診断実施、状況を報告せよ。音声による報告は不要。」
「『ドリイ』了解。ただ今転送中。転送終了。」
プリンターから吐き出された「ドリイ」の現在状況は田中が直ちに解析を行う。
「長野さん、外部カメラがダメですね。マニピュレーターは大丈夫ですが、左側が何かに拘束されてます。その他は通常状態。」
「了解。『ドリイ』、I/Oバス2000H番地から20FFH番地まで、順次バッファー内容を送信せよ。」
「『ドリイ』了解。現在送信中。」
「『ドリイ』、送信中のデーターを解析。結果を音声で送れ。」
「解析中。データーは素数列。外部アナログ入力から、A/D経由。A/Dのサンプリングは正常。素数列に変換可能な電圧信号と思われます。」
「了解。『ドリイ』、同じ素数列をD/A変換、その電圧を電動機フィールドコイルに送れるか?」
「可能です。A/Dの変換レートは既知ですから、電圧は作れます。補助舵操作用電動機になら、電圧信号として送出可能。」
「良し、実行してくれ。実行後、再度2000Hから20FFHのバッファー内容を読み取り、送信せよ。」
「『ドリイ』了解。電圧信号を補助舵操作用電動機へ送出します。その後バッファー内容を送信します。」
「了解。実行せよ。」
「ドリイ」は素数列を電動機回転数センサーA/D変換器と同じレートでD/A変換し、それを補助舵電動機に送った。補助舵は信号に従って動いたが、問題は無かった。
「長野さん、指令を実行しました。I/Oバッファーの値を送信しました。バッファーの値は電圧信号送出後、変化しました。」
「了解。引き続きバッファーの監視を続けてくれ。またデーターが変化したら、報告してくれ。」
「『ドリイ』了解。」
「ドリイ」から送られたバッファーデーターはやはり素数列だったが、先のものとは異なる素数列だった。
「吉村さん、予想通りですね。このタンパク塊は知性を持っていると思います。」
「素数の概念があるのなら、立派に知性と呼べるだろうな。」
「ええ。しかし、思考の形態が我々人類と違いますから、コミュニケーションが出来るかどうかは未知数ですね。」
「ああ、そうかも知れん。しかし・・・・なんだ、このアラームは!」
「こちら『ドリイ』。ただ今、システムに侵入を受けて居ます。全外部I/Oからの同時侵入。通信を除く全I/Oをブロックしました。」
「了解。通信には侵入は無いのか?」
「侵入を受けて居ますが、データーを特化することでブロックしています。」
「了解。何が目的の侵入か判るか。」
「現時点のデーターからは、アクセス権の取得のようです。」
「ドリイ」はほぼ全てのセンサーから、メインCPUに到達するための侵入を受けて居た。潜水艦内部に潜むタンパク塊によるもの以外、あり得なかった。どこでコンピューターに関する知識を収拾したのか不明であったが、おそらく、沈没潜水艦に搭載されていたものを解析したのだろうと推察された。もちろん、コンピューターは水没しているため、動作はしていないが、ハードウェア、それも自分自身がウィルスより微少なものの集合体であることを利用すれば、使用されているチップのハードアーキテクチャーに樹脂モールドの隙間を使ってアクセスすることは可能と思われた。ハードが解析可能なら、CPUの動作が2進数に基づくものであることは、素数の概念を持つのなら、簡単に気づくだろう。そしてそれに気づけるならば、当然プログラムの概念にも気づくものと考えるほうが合理的だろう。そのような結論に達した長野と吉村は、「ドリイ」への限定的なアクセス権を付与し、それによって受け取るコードを安全と思われるメモリー上に展開、何を求めているのかを探ることにした。
長野と田中は、これを実行するため、新たなスクリプトを組み、「ドリイ」に送る準備を始めた。メモリーバンクの直接操作を含むスクリプトは、かなり長大なものになったが、「ドリイ」メインCPUにとっては、瞬時に終わる程度でしか無かった。
送信されたスクリプトを実行した「ドリイ」のメモリーエリアには、続々とデーターが流れ込んで来た。その最も多かったのは、「ドリイ」記録エリアにあるデーターの読み出し要求であった。
長野は「ドリイ」に対して、要求を無視し、先に使った素数送出手法を用いてコミュニケーションを確立するように指令した。「ドリイ」これに従い、補助舵操作用電動機のコイルを用いて、基礎的な2進演算を送出した。この結果、全ての侵入が一時停止し、最初の電動機回転センサーから2進演算に対する結果が送られて来たのだ。次に「ドリイ」は少し複雑な演算を送出し、同様にその結果を受け取った。数回のこのようなやり取りを繰り返した後、「ドリイ」は8ビットASCIIコードを羅列し、その最後に、「1+1=2」と「How are you」の単語を送出した。「1+1=2」に対しては2進演算での同じものが送り返され、「How are you」に対してはランダムなASCIIコードの羅列が返された。数学的な2進、10進に対しては共通の基盤があることを確認した長野は、「ドリイ」に対して基本ASCIIコードで表現可能な英単語を「How are you」「I'm fine thank you」のような対語として送出させ、最後に「How are you」を付ける事で言語コミュニケーションの基礎的ルールを確立させようとした。数時間のデーター送受の繰り返しの後、ラバースタンプな単語のやり取りが成立した時だった。突如、タンパク知性体から、意味不明なコードの羅列が送出された。「ドリイ」ではこのコードを解読できず、「みこもと」のメインコンピューターで解読を行った所、このコードは中国簡体字コードで有ることが判った。おそらくこのタンパク知性体は沈没潜水艦内部のHDDを磁気的に直接読み取っているのではないか、と想像されるものだった。
簡体字も読めるチャンが呼ばれ、羅列されたコードの内容を検証した結果、其れまでに送られた英単語と対をなすものと判ったとき、長野はこのタンパク知性体とのコミュニケーションが確立できるとという確信を持った。
機能を最小限にまで抑えられた「ドリイ」によるタンパク知性体との交信は、そのバッテリー容量が浮上動作をできる最低限近くまで続けられた。この頃には、すでにそれなりの会話が成立するレベルに到達していた。長野は「ドリイ」の持つ、学習機能ルーチンと音声コミュニケーションルーチンを知性体に送り、また「ドリイ」に替わるコミュニケーション手段の構築に着手していた。それは超音波交信用のトランスデューサーだった。これの発音体を取り外し、その駆動コイルを磁界発生装置として使うアイディアだ。元々、音声とデーターを扱うために、ヒステリシスを小さく抑えた駆動コイルは、それまでの「ドリイ」補助舵用電動機のコイルと比べて、数百倍にも及ぶデーター伝送速度が期待できた。発音体があっても(発音体があった方が伝送速度は速い。発音体自体に磁気ダンピング効果がある。)問題は無かったが、吉村から超音波によるコミュニケーションが可能な事を知らせない方が安全という指示があり、発音体を取り外したのだ。これをケーブルで潜水艦至近へ降下させ、「みこもと」のメインコンピューターと直接繋ごうと画策していた。
実験は成功だった。格段にデーター伝送効率が上がった事で、タンパク知性体は「ドリイ」を解放、拘束からおよそ70時間後、「ドリイ」は無事回収された。
「ドリイ」からタンパク知性体との交信を引き継いだ「みこもと」メインコンピューターは、二世代ほど前のスーパーコンピューターと呼べる代物だった。膨大な処理能力と、ストレージ容量を持つその本体は、「みこもと」船体の一区画全てを占めるほどだった。疑似知性に特化した「ドリイ」と違って、こちらは処理能力に特化されたコンピューターである。そのメモリーストレージの一画に二重三重の防護を施した通信用セクターが設定され、コミュニケーション・センサーからの入力は全てバッファから直接このメモリー領域に書き込まれる。この領域のメモリーバスはアドレス、データーともに物理的に切り離されていた。接点は領域管理ロジックだけであり、CPUバスへの取り込みは別に設けたバッファー/検疫領域でチェックされた後に為されるようになっていた。タンパク知性体は「ドリイ」による言語教育により、独自に沈没潜水艦内のハードストレージから読み出したデーターを用いた、簡体字/英語の辞書もどきを作成できる処まで進歩していた。この過程で「みこもと」のメインコンピューターは知性体の処理能力とストレージ能力を探り出していたが、驚くべき事にそれは現時点での世界最速スーパーコンピューターの能力を凌ぐものだった。先に述べた防護処置がさらに強化されたのは言うまでも無い。通常手順で接続したならば、処理能力競争を仕掛けられただけで、「みこもと」のメインコンピューターは乗っ取られる恐れがあった。
「みこもと」がこの海域に到着して1週間後、知性体はすでに英語のみならず、日本語も操れるレベルに進化していた。この知性体は非常に知識に飢えており、「みこもと」メインコンピューターは、長野と吉村が設定したガイドラインに沿って、要求された情報を知性体に与え続けていた。しかし、「みこもと」はこの海域にいつまでも止まるわけには行かなかった。食糧や燃料の制限がある。吉村は衛星回線を通じた本部との協議で、この知性体との継続的な連絡体制を確立する必要性を訴え、様々な証拠を提示する事で、これを認めさせた。本部は急遽、市販機器のみで構成できる衛星通信装置とそれを設置できる浮力体の調達を政府に依頼、政府は極秘裏かつ緊急にIT関連の国内企業と接触を持ち、それら企業の全面協力の下、僅か2週間という短時間で浮力体に設置された衛星通信装置を完成させた。これは元々試験運用中のギガビット衛星用装置が存在したことで可能になったものだった。実質、鋼製、一部GFRP製の浮力体を作るだけで良かったのだ。シーステート7レベルの荒天に耐えうる浮力体ではあったが、無人であることが前提であることから、人に対する安全設備を全て省略できたため、相応の大きさにはなったが、突貫工事で1週間ほどで完成した。衛星通信装置、係留装置などの擬装は「みこもと」漂泊点までの移動中に行われ、知性体との通信センサーは「みこもと」が現用しているものをそのまま移設する事になった。この工事が終了し、衛星経由で「みこもと」メインコンピューターとの接続が確認された時点で、「みこもと」は帰港の途についた。
この航海の間に、「みこもと」調査員が挙げた成果により、褐藻類幼体の成体変態条件が確立された事で、タンパク塊も巨大生物もすでに脅威では無くなっていた。問題であった中国が主権を主張する海域も、日本政府からのタンパク塊の脅威に関する情報が逐一世界に発信されることで、世界各国が中国に対し主に通商分野での圧力を強化し、またすでに商船に被害が及んでいる海運業界もこれに同調したため、中南海が強硬な軍区実力者などの排除に動き、また民衆もインターネットなどを通じたタンパク塊の情報に触れるにつれ、その脅威を理解し始め、さらにそれまで情報統制されていた、中国沿岸部での被害の実態が明らかになるにつれ、自然とファナッチックな反日扇動を行う連中に疑問を持ち始めた事から、中南海の排除作戦は成功し、日本政府は琉球海盆に対策船団を送り込んで、増殖を続けていたタンパク塊の排除に成功したのだった。もっとも、米海軍は中国の公式発表を信じようとはせず、2個空母任務群を海域に送り込んで、中国側を牽制していたが、幸いにも不幸な偶然は発生しないで済んでいた。
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