復旧
第五話です。
主電源に関わるものを除く、その他の装置の試験と切り離しを終え、艇制御を再起動させた時点での状況は深刻なものと言えた。艇は0.7m/分というゆっくりとした速度ではあったが沈降モーメントを受けており、さらにごく僅かではあるが、浮力はマイナスになっていた。これは今後水深が深くなるにつれ、浮力は減少するため、さらに沈下速度が加速される事を意味した。
「艇長、あまり歓迎できる状況じゃないですねぇ。艇が沈んでます。どうしてもメインを復旧させないと・・・非常浮上装置は極力使いたくないですから。」
確かに艇には非常浮上装置が備わっていた。しかし、それは球形キャビンのみを切り離し浮上するというもので、それは艇を失う事を意味していた。それゆえ、本当の意味での最後の手段だった。
「確かに、まだキャビンの切り離しをする段階じゃないな。推進と浮力、どっちの復旧の可能性が高いんだ?」
「電力的には浮力調整装置ですね。ただ、復旧できるならば、推進装置の方が浮上は早くなります。ともかく、なんとか電源を供給しないと、自己診断もできません。」
「津田さん、燃料電池の端子が見えてるんですけれど、ここへ直接繋ぐわけには行かないんですか?」
「ええ。この艇の電源系は超大型のプリント基板みたいな構造でして、樹脂船殻の中に電源母線を埋め込んである形なんです。ですから、繋ぐためのケーブルというのがほとんど存在しない。母線の回路自体は二重化されていて、安全係数は非常に大きいのですが、まさか海中で電撃を受ける事までは想定されていませんでしたから。」
「そうですねぇ。まさか海中で電撃を受けるなんて普通は考えられませんからねぇ。」
「ブレーカーをバイパスしてしまえば復旧はするのですが、バイパスするものが無い。で、ブレーカーを分解して内部を強制的に接続状態にする方法で復旧する事を考えているんですがね。」
そう言いながら津田は、配電盤からメインのブレーカーを取り外していた。ブレーカー自体はコネクター式になっているため取り外しは容易だった。
「あー、やっぱり。これ組み立て式じゃなくて、樹脂モールドになってます。こりゃ分解は手間だぞ。それよりも強制的に接続状態にできるかな?」
「なんでそんなもの使ってるんだ。サバイバビリティー最悪じゃないか?」
「いえ、それ自体のサバイバビリティーは低くないんです。そのためにコネクター式になってるんですから。ただし、予備を持ってることを前提にしてですが。」
「とにかくなんか考えてくれ。製造メーカーの批判は上に上がれてからにしよう。」
浮上、操縦に支障のない部分を手当たり次第に分解した結果、なにがしかの代用品を入手できた津田は、浮力調整装置の復旧にかかった。しかし、コネクター部分でバイパスするにせよ、故障していないと思われる地絡保護の無いブレーカーを除いても3カ所のバイパスを造らなければならなかった。それでも、かれこれ一時間の津田の奮闘により、電源が浮力調整装置に供給された。
「艇長、電源はこれで繋がってます。そちらのコンソールで試験願えますか?」
「もう立ち上げてる。お、早いな、自動診断に入ったぞ。うん、取りあえず駆動系には異常がないぞ。あー、電源電圧アラームが出た。電圧が低い。診断結果はこの深度だと浮力調整は無理だと・・・」
「ええ、それは予測範囲です。さてと、燃料電池電圧をどう上げるか?なにせ燃料圧送できてませんから。」
津田はまず燃料圧送系の電源復旧を試みたが、これは絶望的だった。燃料タンク内部に設けられた圧送ポンプ系は唯一地絡保護がされていなかったため、ポンプ駆動モーターにダメージが及んでいた。
「予想通り、ポンプはだめですね。アイディアはあるんですが、ちょっと危険なんで・・・」
「そんなこと言ってられんぞ、現在深度410m、0.9m毎分の沈降度になってる。このままだと加速度的に沈降度が上がるし、電源に問題がある状態だから、なるべく早いうちに正浮力にせんと、アウトになるぞ。」
「ええ、それは判ってますけれど、予備の空気ボンベを使わにゃならないんで、躊躇してるんです。」
津田のアイディアは、3本ある予備空気のボンベのうち1本の空気を放出して、そこに燃料を入れ、もう一本のボンベの加圧された空気をそれに入れて、圧のかかった燃料ボンベを作り、それを燃料電池の燃料ラインに繋いで圧送するというものだった。1回に最大10リットルしか送れないが、浮力調整だけならなんとか可能なはずだった。
「しかし、津田さん、どうせ巧く行かなければ緊急浮上しかないんですから、その作業時間分の予備空気があれば十分ですよね。と言うことは、2本使ってしまっても大丈夫だという事だと思いますが。」望月の意見は非常に論理的だった。
「津田、そういうことだ。そのアイディアを実行してみよう。それでだめなら、緊急浮上するだけだ。」
「判りました、やってみましょう。」
作業自体は簡単だった。エアコックを開いて空気を艇内に放出し、空になった空気ボンベの弁を外して燃料ドレインから燃料を入れ、もういちど弁を取り付けて、ホースで別の空気ボンベに繋ぎ、均圧させるだけでよい。しかし、燃料系にエアホースを繋ぐのは簡単では無かった。スクイーズバルブの手前で燃料ラインを切り離し、エアホースにアダプターを付けて、それに繋ぐ作業は狭い点検穴に半身を入れてでなければできなかった。結局、一番近い望月が貧乏くじを引くことになった。
「繋ぎましたよ。もう一度は金をもらっても嫌ですけれどね。」
点検口から体をやっと抜き出した望月がぼやいた。
「いや、その、もう一度入ってもらわんと・・・・すんませんね望月さん。」
「えーー、もう一度。何するの。」
「燃料を送る前にスクイーズバルブを開いて、エア抜きしないといけないんですよ。」
「あ、そりゃ大丈夫。バルブのところから曲げて、体入れなくても手がとどくようにしてあるから。」
「あ、流石・・・それじゃ早速燃料送る準備しましょう。えっと、スクイーズ開いてもらえますか?」
「ちょっと待って・・・・・はい、開きました。」
「それじゃ、ゆっくり送りますから、燃料が出てきたらすかさず締めて下さい。」
「はい。どうぞ。」
「それじゃ送ります。」
「まだ来ないぞ。あー来た来た。はい閉めました。」
「OK、準備完了です。艇長、それじゃ燃料圧送しますから、アラームが消えたら、浮力調整お願いします。」
「コンソールはもう出してある。いつでも良いぞ。」
「それでは送ります。」
津田はボンベのバルブを僅かずつ開き、規定の燃料圧に調整した。
「艇長、どうですか?」
「まだ回復しない。どうしたんだ?」
「まだ反応膜全部に燃料が浸透していないからでしょう。もう少し待って下さい。」
「お、アラームが消えた。それじゃ始める。」
艇体の4カ所にある、機械的に排水することで浮力を調整するチャンバー内部のブランジャーが動き始める音が聞こえた。まもなく、コンソールの浮力指示が正になり、艇は浮上に転じた。
第五話でした。
少し端折り気味ですが勘弁して下さい。詳しく書いてると技術説明書みたいになちゃいます。><
用語の判らないところはどうか感想に書き込んで下さいませ。説明を致します。