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非常事態

第43話です。

お楽しみ下さい。

この村木の報告は「みこもと」から地上へ送られ、さすがに一般広報はされなかったが、各研究所へは送られ、「みこもと」の持ち帰るサンプルを用いた再検証の準備を各研究所は開始した。また、二番目に報告された酵素を持つ藻類プランクトンを培養する実験も開始された。

翌日、横須賀母港へ帰還した「みこもと」の専用岸壁には、すでに理化学研究所の研究者が今回の調査行のサンプルを研究所へ運ぶために待機していた。しかし、今回の帰港は前2回と比べると、少しのんびりしていた。「かいえん」の状態が判明するまで次の出港は無いからだった。厳重に放射線遮蔽されたサンプル容器を核燃料輸送並みの厳重さで理化学研究所まで輸送するためのキャラバンは、交通量が少なくなる深夜になってから「みこもと」係留岸壁を離れた。それ以前に「かいえん」の陸揚げも行われたが、調査機構の陸上格納庫は放射線防護設備を持たないため、係留岸壁の一部にコンクリートと仮設シートで保管場所を作り、そこに収容された。ここで「かいえん」の詳細な調査が行われる予定だった。

理化学研究所へ運び込まれたサンプルは、厳重な放射線防護が施された研究室で開封と減圧が行われ、その後海水槽へ入れられた。ここでこの灰黒のゼリー状物体から放出される放射線測定が行われた。その結果、この物質が取り込んでいる放射性物質が特定され、95%の放射性セシウムと5%の放射性ストロンチウムが同定された。また、明らかに核分裂反応で発生する中性子とは固有エネルギーの異なる中性子が検出され、D-D核融合反応で放出される中性子と厳密に同じエネルギーを持つ事が判り、常温核融合が発生していることが確認された。さらに別の研究班はこの核分裂、核融合で発生するエネルギーが、特定のアミノ酸に含まれるリンなどの電子軌道準位を変化させ、それによりタンパクが電位を持つ事を確認した。電位を持ったタンパクは、特定の刺激を受けた場合、結合を変化させそれにより導電性を獲得、タンパク一つ一つの電位は小さいものの、凝集時の数がものを言い、巨大な電圧、電流を発生させる機序を解明した。核物質を取り込まない透明なタンパク凝集体も同様な機序だが、電子軌道準位を変化させるエネルギーは外部からの可視光線などの刺激で、非常にゆっくりした反応であることも判明した。放電の機序はどちらも同じである。

さらに、透明な原種の場合、一定以上の可視光線、紫外線などを受けると、凝集時に電荷のやり取りで発生する電流が増大し、自身が分解されることも判った。この電荷のやり取りが巨大生物の発光の原因であった。個々のアミノ酸にまで分解されたタンパクは、即座に周囲の他のタンパクの増殖受容体に取り込まれ、新たなタンパクの形成が始まる。この増殖速度と分解速度が均衡する水深はおよそ50m、それより浅い海域では最終的にはアミノ酸に分解される。

ただし、変異種の核となっている変異タンパクはこの限りでない。可視光や紫外線では分解が発生しない。そして増殖機能は原種と同様に機能するため、大気中に出ても水分が在る限り増殖出来る事から、一定のサイズの凝集を保つ事が可能であった。


分子生物学の方も多大な成果を上げていた。このタンパクは、相当に古くから存在していた可能性が、いまだ汚染を受けて居ないと考えられるインド洋の深海部から発見されていた。セイシェル諸島西側に延びる提督海盆底で採取された海水から、ほぼ同一の組成を持つタンパク分子が発見された。おそらくこの海盆底の海水は循環に千年単位の時間が必要と思われ、このタンパク分子はその組成を千年単位で保っていたと考えられていた。また、牛海綿状脳症の原因である病原性プリオンとの関連も研究され、その増殖過程がほとんど同一であること、同様な酵素で分解が起きること、などから、かなり高い確率で関連性が指摘された。

しかし、最も重要な発見は、望月、チャンなどの海洋生態系研究からもたらされた。このタンパクは海洋生物を皆殺しにする非常に危険なタンパクであることが判明したのだ。これまで観測結果として魚類や底生生物などの激減が報告されていたが、その報告を裏付けるタンパクの作用が判明した。作用には二つがあり、まず、小型の魚類や底生生物の場合、高粘度海水に入ると、僅かな生体電流により刺激を受けたタンパクの放電により筋肉運動を阻害され麻痺に陥る。その後引き続く放電作用で海水共々電気分解が起き、生物の体をアミノ酸レベル、あるいは元素レベルまで分解する。この時アミノ酸は即座にタンパクの増殖機能に取り込まれ、最終的には分解された元素も化学反応により海水の成分若しくはアミノ酸構成元素としてタンパクの増殖機能に取り込まれて行く。また、大型魚類などがタンパクを経口摂取した場合、胃や腸から体内に取り込まれ、一定の量以上になった場合、同様の機序で体内で増殖を始める。特に体液循環によって魚体各部に運ばれ、そこで起電能力により組織を分解、それによって生成されるアミノ酸を増殖機能に取り込んで急速に増える。魚体の大きさによって異なるが、ある量を超えて増殖すると魚体は生命維持が不可能になって死んでしまう。日本沿岸で発見されるタンパク凝集物はこのような道筋で形成されたものであることが判った。

そして、この反応は人体でも同じ効果を持ち、タンパク塊を人血内に置いた結果では、血球成分を分解し、増殖を始めた。また、成分分離を行って居ない生鮮血での実験でも、タンパク分子数が少ない場合は白血球による捕食が働くが、一定量を超えた場合、白血球すらも分解することが判った。マウスによる実験では、十分な量を注入すればおよそ30時間程度で、骨や体毛まで分解、透明なゼリー状物質に変えてしまった。

この実験、研究結果は非常に重要と判断され、直ちに政府に報告された。政府は直ちに日本全土で海岸線への立ち入り禁止、漁船の操業禁止、魚介類の流通禁止措置を取ったが、これらの措置を完全に実行するのは困難だった。政府は各地方自治体、警察、保健所などを総動員して、事態の把握に努めた結果、すでに20例を超える被害があったことが報告された。特に東北地方太平洋岸南部に集中していた。この報告に寄れば、急死した被害者が休日を挟んでいたため、荼毘に付されず安置されていたが、火葬場に運んで棺をを開けたところ、中にはゼリー状物体しか無かった、といった報告すら在った。また、被害者のほとんどは経口摂取の結果だったが、中には漁労中に手を切り、そのままゼリー状物体を扱ったため、切り傷から血流内に侵入し、被害者が死亡したという事例もあった。政府は緊急処置として全国の魚介類市場を閉鎖、鮮魚の流通を禁止したが、すでにこのタンパクに汚染された鮮魚は全国規模で流通に乗っており、また冷凍しても解凍した瞬間からタンパクの活動が再開されるため、各家庭の冷凍庫で保存される鮮魚全てを把握することは困難だった。それでも、タンパクであり、摂氏60度以上で5分ほど過熱すれば活動は停止するため、鮮魚の生食を控えればかなり被害を抑えられる事は確かだったが、日本人の食文化に鮮魚の生食は欠かせないものであり、流通末端の状況を正確には把握できない事もあいまって、今後も被害は増えそうな勢いだった。

そして、この状況を悪化させたのは、マスコミであった。政府は実験ビデオ(低速度撮影によるマウスの変化)などまで使って広報し、またかなり判りやすいタンパクの作用機序を説明したが、理解能力のないくせに凝り固まった記者やTVコメンテーターにより、原発事故と関連づけるような報道をされた結果、福島県、宮城県、茨城県周辺以外の太平洋岸で被害が頻発することになった。政府はこれに対して同じ番組や新聞紙面で訂正を行うよう、報道各社に要請し、報道各社もこれに応じたが、おざなりな訂正でお茶を濁した事から、本当の危険が民衆に定着せず、業を煮やした政府が、非常事態宣言を行い、政府命令として報道各社に命令を発出した結果、正確な情報がやっと行き渡り、被害が減少を始めた。

このタンパクによる被害は、日本にとどまらないのは当然だった。ハワイでは、島に残留した島民から被害者が続出し、米国政府は日本と同様の措置をハワイ州と太平洋沿岸各州に発令することになった。またゼリー状物体はすでに津軽海峡沿岸や対馬海峡沿岸でも確認されており、朝鮮半島、中国沿岸もすでに危険域となっていた。しかし、韓国政府や中国政府は事態を重要視せず、日本の混乱を好機と捉える節すらあったため、双方とも沿岸部住民に壮絶な被害を出すはめになった。


現政権は無能と言われて久しい政党政権であったが、少なくとも非常事態宣言を出す程度には機能していた。しかし、対策となるとお寒い限りだった。非常事態対策会議なるものを立ち上げたが、人選が偏っていたため、「みこもと」観測班と理化学研究所が提示した結果を理解できない人間が多く、すでに死亡者が出ているにもかかわらず、何が問題なのか理解していない者まで含まれているとあっては、対策が進まないのは当然であった。

「議長」

「鳩沢君」

「え〜、今回の非常事態につきましては、よく判りかねるのですが、一体何が問題なのでしょうか。」

関係者として会議に呼びつけられた吉村は議長席の後ろ側で頭を抱えた。

「海洋調査機構、吉村君お答え願います。」

「議長。ただいま議長よりご紹介にあずかりました、海洋調査機構の吉村です。すでにTVや新聞などでも広報されておりますが、現在、北太平洋中部、小笠原諸島の東、約2000Kmほどですが、ここを中心に膨大な量の特異なタンパク質分子が増殖している事が私どもの調査で確認されました。このタンパクは以前話題になりました、狂牛病の病原体であります病原性プリオンというものに類似した構造を持っており、自己増殖を致します。このタンパクを厳重な管理下に本邦に持ち帰りまして、理化学研究所その他のご協力を仰いで研究致しましたところ、全ての生命体に非常に有害な性質を持つ事が判明し、急遽政府関係機関に報告いたしました。その結果、このタンパクの塊が本邦沿岸にも現れている事実もあり、また魚介類がその体内に取り込んだものを人が摂取した場合でも非常に有害であるため、今回のような措置がとられたものと理解しております。」

「議長」

「鳩沢君」

「その有害な性質というのはどういうものですか。O157のようなものなんですか?それとも狂牛病と同じようなものですか?」

「私も人体における作用を実際に見ておるわけでは在りませんが、海棲生物の場合、骨や鱗を含む全てが分解され、ゼリー状の物体となります。詳しくは病理学の方から説明があると思いますが、増殖可能な量が体内に入った場合、おそらく死亡率は100%になると考えます。」

「議長」

「鳩沢君」

「そんな恐ろしいものがどうやって国内に持ち込まれたんですか?あなた方が持ち込んだの?」

「別に誰かが持ち込んだわけではありません。海には海流がありますし、魚は回遊します。日本沿岸に現れたのはそう言う原因と思われます。」

「しかし先ほど本邦に持ち帰って、と言ったじゃないですか?」

「学術サンプルとしてです。厳重な管理下と申し上げましたがご理解いただけなかったでしょうか?現在はP4レベル管理下にあります。これは最も厳重な生物的汚染防止処置が執られた施設で管理されている事を意味します。」

「それが漏れたんじゃないの?」

「お手元の資料に在りますが、サンプルは1兆分の1グラム単位で管理されております。現在までの漏出はゼロです。」

「なんか疑わしいねぇ。何より専門用語が多すぎますよ。誤魔化しているんじゃないの?」

吉村は議長に断り、政府委員の席に出向き、一点確認を取ったあと、答弁席に戻った。

「鳩沢さんがどのようなご資格で参加されているのか私には判りかねますが、あなた程度の頭でも判るように説明しましょう。このタンパク分子は、私ども調査機構のコンピューター・シミュレーションによれば、およそ2年で太平洋全体を覆いつくし、およそ3年で世界の海洋全域に広がります。この意味が理解できますでしょうか?」

「失礼な人ですねぇ。で、それがどうかしましたか?」

「ああ、やはりお判りにならないようですね。議長、この方のご質問にはお答えするだけ無駄と思いますが。以上です。」

「吉村君、ご苦労様でした。」議長役の文部科学省局長もそれは理解していた。

「議長、私の質問は終わっていませんが。打ち切られては困ります。」

「鳩沢君、議長職権でお伺いしますが、あなたのこの会議へのご参加はどのような資格でしょうか?」

「私は内閣官房からの要請を受けて参加しております。資格は環境問題専門家としてであります。現職は報道機関の環境アドバイザーです。」

「幸い、ただ今本会議には内閣官房長官にご臨席いただいております。内閣官房長官、議長職権で鳩沢委員の参加資格に疑義があります。申し訳ありませんが、別室にて鳩沢君とご協議いただけませんでしょうか。先ほどの吉村君の答弁から本会議の共通理解事項をご理解いただけていないようですので。その間本会議は休憩と致します。」

非常事態対策会議という実務レベルの会議でこの有様だった。子供でも可能な「疑い」「誹謗」するだけで飯を食えてしまう日本の環境問題の悪弊だった。70年台の公害問題で教条主義的な大企業悪玉論を振りかざし、成功を収めた過去の亡霊と言えた。

もちろん会議自体はこれまでになかった事象への対策を話し合うものであるから、ともすれば視野狭窄を起こしがちな専門家だけよりも、全く関係のない分野からの人材を迎えることは非常に重要ではあったが、ただ一種のタンパクが海洋全体を覆う事の意味が理解できない頭から建設的アイディアが生まれると考えるのは、猿が偶然にシェィクスピアの戯曲をタイプするのと同じレベルでしかない。

しかし、この日の会議の後、鳩沢に類する委員は自発的に辞退を申し出た。しかしこれは自分たちの能力を悟ったからでは無かった。会議の進行を妨げる事で自分たちの思う方向へ導こうとする思惑は、韓国、中国からの悲鳴のような指令で中止せざるを得なくなったのだ。日本で効果的な対策を早急に考え出してもらわなければ、国の存続すら危ぶまれる事態が中国、韓国、おそらく北朝鮮でも発生していた。中国や韓国の息の掛かった委員には、双方からほとんど悲鳴に近い調子で実務会議を妨げるな、という指令が飛んでいた。これらの連中には会議を混乱、遅延させる事が必要ないなら、居るだけ無駄だった。それゆえ、委員を辞退したのだった。

しかし、おかげで会議はスムーズになった。国民の保護は現在の緊急対処がそれほど的外れではない事から、これを継続、徹底させる方向で決着した。前動続行であることから役人にもウケは良い。タンパクへの対策は、調査機構と理化学研究所から藻類プランクトンの持つ酵素についての説明があり、当面はこのプランクトンの増殖と放流、問題海域でのプランクトン増加手段の模索を緊急事項として実行し、次の段階で酵素そのものの工業的生産とその散布手段開発を行う事になった。次段階とは言っても、時間が掛かるため、これら全ての対策は同時着手することに決定した。そのための予算措置は当面は内閣予備費から、今年度内分は、補正予算を組む事が政府委員から提示され、進む方向と金の目処はついた格好になったが、問題は人だった。国内の大学院、研究所から人員を徴集するのはもちろんだったが、海外の研究施設に勤務する日本人、いや、日本人に限らずこの緊急事態を理解して手を貸してくれるのならば、国籍も性別も関係無く、日本政府が身分と収入は保証する条件で人を募った。この結果、経済状況の厳しい欧州などの施設、研究所から多くの応募があり、理化学研究所のみでなく、筑波や東大などの研究施設もこのために開放される事になった。特に近大の研究室はマグロ養殖用の生け簀を保有しており、この一部を利用して藻類プランクトンの養殖研究に最適と判断され、最も活動の激しい処になった。しかし、一部の部門では日本人以外の研究者を入れるわけに行かない部門もあった。生体核融合である。核物質を取り込んだ変異タンパクが行う生体核融合については、政府と調査機構、理研以外に情報が出されていない。うまく制御できるのなら、画期的エネルギー源として有効利用できるかも知れないのだ。また原種のタンパクにしても、非常に僅かな可視光や紫外線を利用して発電を行って居る。この方法は例えば夜間、月明かりや星明かりでも発電可能なセルの開発に非常に有用であることは間違いが無かった。

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