再調査
第27話です。
ファイルの問題は少しづつ判って来ました。多分、もう起きないと思います。
飼育棟を出た吉村はレストランで妻子と落ち合い、内村を待った。内村はレストランの責任者に、閉館時間過ぎても待たしてもらえるよう交渉し、吉村達には一旦自宅で着替えるからここでビールでも飲んで待っていてくれ、と言い残し、車で1分ほどの社宅へ帰って行った。確かに魚臭い作業服に黄色いゴム長姿ではどこへも出かけられなかった。レストランでは吉村と恵美子にはビール、子供達にはミカンジュースが出され、当座のつまみにとキビナゴの丸揚げにレモンを搾り、醤油をたらしたものや、タタミイワシと呼ぶ、シラスを型に入れて薄く干したものを軽く炙ったものなどが出された。子供達は地元産のテングサで作られたあんみつに大喜びしていた。
ほどなく内山が着替えて、妻子と共に戻ってきた。内山の家族は妻の有紀と小学5年の一人娘由里の3人家族だった。内山は車を水族館の駐車場に置き、タクシーを呼んだ。吉村と飲むなら車では行けない。二人の妻達はすぐに打ち解け、井戸端会議を始めていた。子供達も、親の親密さが安心させたのか、お互いのDSで何かやっていた。タクシーが’着いたのは水族館から10分ほど走った小料理屋だった。ここの座敷を占領して飲み明かそうと言うのだ。小料理屋の主は内村の知り合いで、住まいが2階であるため、店を閉めてからでも飲んでいられた。幸い季節的に子供達が寝てしまっても、座敷なら問題は無かったし、小さなTVも座敷には置いてあった。料理は最高レベルだった。にもかかわらず、子供達にはハンバーグ定食が出てくるというフレキシブルさも同居している。特に魚の見立てが逸品だった。キンメダイなどという下須な魚には目もくれず、白身は旬のイサキ、青物は地産のイナダ、赤身は遠洋の本マグロという刺身の取り合わせは十分に満足の行くものだった。魚だけでは無い。4日ほど前に駆除で撃たれた鹿のもも肉の叩き、春先に採って水煮し、冷凍してあった山菜と小アジのマリネなど、地場の産品をほどよく組み合わせた料理は、よくぞこの田舎町で、とうならせるものがあった。酒もコレクションと見まごうばかりの各地の地酒を取りそろえ、この時期の燗酒は料理の味を落としますから、という主の勧めで、よく冷えた冷酒を良くできた料理と合わせるのは一時の至福だった。春夏秋冬時々の産品を時期に合わせて調理するのは食の真髄であろう。
一同が満足して席を立った頃には、すでに日付が変わろうとしていた。結局、吉村が払うことになった料金もびっくりするような値段だった。子供も含むとはいえ、7人が飲んで食べて1万5千円でお釣りがくるのだ。それで儲かるのか?と聞いた吉村に、主は、別に特別に高い食材を使っているわけではありませんから、手間賃だけ戴くようなもので、丸儲けです。と笑顔で答えた。
吉村と内山はそれぞれタクシーを呼んで貰い、ここで別れる事になった。子供達はすっかり寝入っていた。
至福の一夜の後吉村一家はホテルの周辺を散策するだけで温泉三昧の二日間を過ごし、横浜、金沢八景の自宅に戻った。翌日出社した吉村は、予期せぬ喧噪に巻き込まれた。内村のサンプルが「みこもと」の採取したものとほぼ合致したからだった。「みこもと」がこのサンプルを採取した日から、およそ5週間で小笠原東海域から伊豆半島まで拡散したのだろうか。これまで知られている海流に照らすなら、それはあり得なかった。中層、深層にこれまで知られていない海流があり、それに乗った、あるいはこのプリオン類似タンパクの集合体が移動能力を獲得した、と結論づけるしか無かったのである。さらに、海自の滝川から、中国とロシアが日本のEEZ付近で大規模な捜索活動を行っている、という情報がもたらされた。それも1カ所だけでなく、数カ所に亘って同時に捜索活動を行っているらしかった。また米軍偵察衛星の情報ではムルマンスクのロシア北洋艦隊のうち、半数程度が姿を消し、この時期なら通行可能な北極海航路に出ている可能性が指摘されていた。なぜなら、これだけの艦艇が動いているにも関わらず、大西洋方面には何らの動きが無いからだった。海洋調査機構上層部はこの中国、ロシアの動きを警戒して、「なつしま」と「みこもと」の出港を見合わせよう、という意見が多数を占めたが、核汚染の調査は一刻を争うと言う意見に押し切られる形で予定通りの出港を決定した。しかし、非武装の調査船のみではリスクが大きすぎるのは事実で、防衛省と非公式に折衝した結果、海上自衛隊も核災害訓練の一環として所要艦艇を同一海域に派遣する、という形で、「みこもと」の調査海域に同行する段取りが出来ていた。
乗り組み員の休暇から1週間後、準備万端整った「みこもと」と「なつしま」は横須賀の調査機構岸壁を離れた。すでに海自の護衛艦、「あさぎり」と「ゆうぎり」、「ひゅうが」、「あたご」、「みょうこう」それに海上保安庁の遠洋航海可能な巡視船2隻が同じ海域へ向かっていた。
さらに確認は出来ないが、「そうりゅう」級潜水艦が2隻、現場海域に向かっていると思われた。
前回と違い、今回はだいぶ荒れた海での作業になりそうだった。大陸の低気圧がベーリング海で発達し、台風並みの勢力を持って停滞していた。その影響がこの海域にまで及んでいたからだった。それに、はるか南西ではあるが、台風が発生し、フィリピン東方海上を発達しながら北上していた。しかしまだこの海域へはその影響は及んで居なかった。
前回のGPS記録を頼りに、海域へ到着した「みこもと」と「なつしま」はただちに放射線量計測を開始した。「みこもと」の記録に基づく位置(米潜水艦の着底位置)南西に5海里ほど行ったところで最大線量を記録した。15万2千ベクレル/Cm^3というとんでもない値だった。「なつしま」は、ここから海流の方向に沿って南下、100ベクレル/Cm^3になるまで追跡し、そこから広がりを知るため進行方向と直交する針路でやはり100ベクレル/Cm^3に下がるまで追跡、その航路を戻って同様に測定、汚染源方向に1海里ほど戻って同様の行動を行うため、「みこもと」から離れていった。この作業には巡視船1隻が「なつしま」と同行して協力することになっていた。もちろん、巡視船にも放射線モニターの装置は搭載されていた。
すでに気泡は発生していなかったが、海水温度は周囲より2度近く高く、これから逆算して汚染源の温度は摂氏200度近いと見積もられていた。「みこもと」に乗り込んだ原子炉技術者の相田は、おそらく炉心が環境に暴露されている、と想像していた。一次冷却水配管が破損しただけでは、ここまで温度上昇することは無いと断言していた。また、相田はスクラムが為されなかった恐れがあるとも考えていた。つまり原子炉が核連鎖反応を発生させたまま、環境に炉心を露出させている状態だ。ただ、この辺は上から放射線をモニターしているだけでは判らない事ばかりだった。「なつしま」と別れた「みこもと」はサイドスキャンソナーでの海底走査を開始した。
サイドスキャンソナーでの海底走査の結果、海底は僅か1月に満たない時間で大きく変化していた。音響伝搬の異常はすでにドームではなく、海底全面に広がっていた。また、水深250mより浅い部分にまで幽霊のような反応が現れており、海中はプリオン類似タンパクで埋め尽くされているようだった。前回の走査で音響異常域の屈折率が判明していた為、それに基づいて補正をかけた結果、海底に横たわる中国潜水艦の残骸と思われるものを発見できたのは幸運だったが、その周辺に潜水調査が可能であるかは未知数だった。残骸の周辺は海底から2000m以上の厚さで異常域が広がっており、そこからすそ野をを引くように、なだらかな傾斜で海底全面に広がっていた。
「野瀬さん、どうですかね、『みずなぎ』で、浅い部分の『幽霊』は調査可能だと思いますか?」
「そりゃ、吉村さん、可能ですけどね、当座人間を送るのはリスクが高いんじゃないですかね。なにせ前回との様子が違いすぎますからね。」
「そうは言っても、他に何か方法があります?」
「私としては、田中君には悪いが、最初に『ドリイ』を送って見るべきじゃないかと・・・」
「『ドリイ』はもっと深いところで使いたいのです、実は・・・」
「そうは言っても、もっと浅いところでの安全が確認できなければ、深いところへ使いたくても使えないぞ。」
「その通りなんですがねぇ・・・」
「『金魚』に全周カメラ積んで引くのはどうでしょう?」津田が言った。
「対水圧と照明に問題があるんだよ・・・」
「それなら解決出来るかも知れませんよ。まず対水圧の問題は、『みずなぎ』のポッドカメラを流用すれば解決します。確か、『金魚』の観測ユニット固定金具はポッドと共通じゃ無かったでしたっけ?」
「それだと『金魚』を改造することになるけれど?」
「ええ、でも『金魚』にはドンガラの予備が何個かあったはずですよね。」
「ああ、あるな。全部で4個だったかな。」
「その1個を改造すれば良いんじゃないですか?」
「改造は出来るだろうが、対水圧はどうする?『金魚』の空気室はそれほど大きな水圧には耐えられないぞ。」
「ええ、だから空気室は無くします。その代わり、『かいえん』用の予備の浮力体をビニール袋か何かに入れて、ドンガラ内部に貼り付けます。中性浮力か、ちょい浮きくらいなら、浮力体もそう多くは要らないと思いますし。」
「なるほど、それなら何とかなりそうだな。」
「それと照明は全周カメラと同軸に取り付ければ、一つのマウントで済みます。」
「それは良いが、電源はどうする?『金魚』には照明を点灯できるほどの電源容量のケーブルは無いぞ。」
「ケーブルは有りますよ。『ドリイ』のケーブルを使えば良いんです。あれなら十分な電源容量持ってます。『金魚』の曳航索に『ドリイ』のケーブルをクランプするだけで済むはずです。」
「ああ、それは良いアイディアだ。それなら何とかなりそうだ。黒岩、どうだ出来そうか?」
「可能だと思います。工作室を使って構いませんか?」
「ああ、占拠して構わないぞ。加工屋連中も全員使って良い。船の持ってる材料が必要なら、俺の方から機関長に話は通す。」
「それじゃ、早速始めます。」
「頼んだ。」
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