圧懐
まだインターネット環境がありますので更新。
来週は本当に判りません。運が良ければ衛星経由のインターネット環境があるかも・・・
それでは第20話です。
交信の結果によれば、やはり米軍側もヘリのディッピング聴音とA-3対潜機からのソノブイにより、潜水艦推進音の消失に気づいており、その為対潜艦からアクティブ発信を行ったのだった。すでに最初のアクティブ・ピンから数えて3回発信されており、それによれば、潜水艦は動力を失って、かなり急速に沈降している、ということであった。米海軍の予測では、このまま沈降が止まらなければ、30分程度で圧懐深度に達するようだった。潜水艦は音紋照合により、中国の「漢」級潜水艦と判明しており、このままであれば、「みこもと」から約4海里ほど離れた水深3200mの海底に着底すると思われた。
米海軍は状況をかなり深刻に受け止めており、艦隊のデフコンを一段階引き上げていた。
「ジョーブ中佐、これはうちの「みずなぎ」や、そちらの潜水艦がやられたのと同じ感じがしますが・・・」
「吉村サン、同感デス。しかし、このままこの潜水艦が失われたなら、事実何もデキマセンが、軍事的緊張状態になるかも知れまセン。」
「それはまずいですねぇ・・・特に”みこもと”の存在が明らかになると、特殊法人とは言え、半官半民の政府外郭団体ですから、日本に対しても何か言ってきそうですね。」
「こちらも困ってマス。この状況で潜水艦が沈んだ原因がこちらからの攻撃では無いと証明デキマセン。」
ブリッジの電話が鳴った。観測室からであった。
「吉村だ、どうした。」
「あ、吉村さん、どうも圧懐音らしきものが聞こえるんですが・・・」
「すぐ行く。中佐、同行願えますか?」
「OK、ユキマショウ。」
観測室に降りた吉村達を待っていたのは、音響モニターから聞こえる形状しがたき音だった。
「音響方位235度、距離約4.5海里、深度900m」
黒岩が「金魚」で観測したデーターを読み上げる。
「これはホントウに圧懐音デス。私は古いスキップジャック級を処分した時に聞いてマス。」
「ということは、この潜水艦はもう助からない?」
「ソウデス。中の乗組員もネ。」
「吉村さん、圧懐音に隠れていましたが、もう1隻の潜水艦の推進器音も止まってます。ただし、循環ポンプの音らしきものは聞こえますから、単に停止しているだけと思います。ひどく静かですから、あまりはっきりとは言えませんが。距離約7.5海里、水深は320m。方位は325度です。」
「多分、圧懐音に気づいたな。それで停止して無音状態になっているのかも知れん。黒岩君、これまでの聴音記録は取ってあるのか?」
「はい。固定聴音開始から、”金魚”を下ろして現在までの聴音結果は全てデジタル化してメモリーに残してあります。」
「ジョーブ中佐、うちの聴音結果のコピーを提供します。沈没原因が攻撃によるモノで無い事の証明の一助になるかも知れません。」
「Oh、Thanks. それはかなり強力な証拠になると思いマス。感謝しマス。」
「どうしますか?ハードコピーで司令部に持ち帰りますか?ならばすぐにでもハードコピーしますが。長野君、出来るよな。」
「はい。すでにSDメモリーカードに落としてあります。一応、3枚複製を作ってありますから、いつでもどうぞ。」
「おお、なんかいつもの長野と違うな。今回のミッションはいやに手際が良いな。」
吉村はそう言って、長野から受け取った3枚のSDカードの一枚をジョーブ中佐に渡した。
「アリガトウ。スミマセン、船内放送でスカンロン大尉を呼んで貰えマスカ?彼に旗艦に届けさせマス。」
現在「みこもと」に残っている2名の米海軍士官の一人を呼び出した。最初に乗船した8名の海軍士官(2名は便宜上だが)のうち、技術系の4名は浮上した潜水艦に乗り込み、また例の問題を起こした2名は、潜水艦の浮上と同時に旗艦のブルーリッジに移っていた。残っていたのは艦隊と行動を共にするために必要な連絡士官2名だった。そのうちの1名が聴音記録をデジタル化した情報の入ったSDカードを持ってブルーリッジに飛ぶのだ。
船内放送で呼び出されたスカンロン大尉は、すぐに音響観測室に現れた。ジョーブ中佐が経緯を説明し、ブリッジの軍用端末を使用して「ニミッツ」搭載のUH60を迎えに来させた。波浪貫通型双胴船形で後部甲板は普通の観測船より広いとはいえ、さすがにヘリの着船までは考慮していない「みこもと」からヘリに乗るためには、低空でホバリングしたヘリへスリングラインを使って乗り込むしか無かった。
吉村達はスカンロン大尉がヘリに乗り込んだ後、また音響観測室へ戻り、もう1隻の潜水艦の動向に注意を集中していた。
その頃、中国籍潜水艦の着底点直上に到着した駆逐艦「ステザム」では大騒動が巻き起こっていた。それは二つの事が同時に発生した結果の大騒動だった。一つは、圧懐した潜水艦からのものと思われる救難ブイの浮上と、それからの衛星向け救難信号の発信だった。それは30秒ほどの時間、救難信号を発信し、自沈した。これで中国海軍は自国潜水艦の沈没とその位置、仮に含まれるとすればその原因を知る事になる。
もう一つは、着底点海面に浮上してきた大量の気泡から、大気中に放射性物質が拡散したことを検出した事だった。これの意味は、圧懐で原子炉区画が破損したことを示していた。検出された放射性物質は空気1立方メートル当たり、7万ベクレルに及ぶものだった。検出された核種から、最低限1次冷却水系が海中に解放されている可能性が高いと判断され、周辺海域が深刻な核汚染に陥った事は明白だった。
この情報は即座に周辺全艦艇に通報され、周辺艦艇は即座にABC防護の体勢に入った。「みこもと」にもこの情報は伝達され、ABC防護システムを持たない「みこもと」は深刻な核汚染に陥らないうちに、即座にこの海域を離れるよう、要請された。
要請を受けた「みこもと」では、曳航していた「金魚」を直ちに巻き上げ、着底点海面から風上に当たる方向に、静粛を保てる最大速度で移動を開始した。また、甲板作業に従事していた乗組員のスクリーニングが実施され、その結果幸いにも汚染された乗組員が居なかったのは不幸中の幸いだった。スクリーニングは第7艦隊全艦でも同様に実施され、直上に居た「ステザム」で外部作業に当たっていた5名の乗組員が体表面1平方m当たりで数百ベクレルレベルの汚染を受け、洗浄措置を取った以外、汚染は発生していなかった。
曳航中の新型潜水艦を含む艦隊は可能な最大速度で風上側に待避を行い、現場から16海里以上離れた海域からヘリを発艦させ、着底点海域周辺のモニタリングを行った。
志願により求められた正副操縦士は防護服に身を包み、各部開口部を密閉した上で、後部席に搭載した圧縮空気ボンベにより機内圧を外気圧より高く保ち、半径5海里から、各方向へ通過飛行をしながら空気中の線量をモニターした後、着底点直上でホバリングにより特殊容器に海水サンプルを採取、空母に戻るパターンを4回繰り返したところで、ヘリ外部の汚染が洗浄しても除去できない状態になったため、このヘリは海中に投棄された。
第7艦隊司令部はこのモニタリングを、24時間以上継続し、放射性核種の拡散状況をシミュレートするための基礎情報を収集していた。海域は北西太平洋のど真ん中であり、主権問題は発生しなかったが、今後の拡散状況によっては太平洋両岸に影響を及ぼす恐れがあり、今後の天候の変動、海流などを勘案したかなり精密な拡散状況のシミュレートが必要だった。幸いなことに、この海域を流れる海流は、黒潮や親潮などの沿岸流から離れた、太平洋中央部で収斂する随伴流や反流が主だったものだったのは幸いであった。
ご意見、ご感想をお待ちします。