邂逅
生物
その生き物はこれまで見た事もない大きさだった。ほとんど透明に近いその体長はゆうに五〇mを超えていた。体側の繊毛(このサイズでもそう呼んで良ければだが・・)をせわしく動かしながら、ゆったりという表現しかできない動きで海中を漂っていた。
「こいつですか、昨日の幽霊の正体は。しかし、なんでこんな大きなもの、これまで発見されなかったんです?」聞いたのは装備担当の津田だった。
「生息域が深い、生息分布、いろいろ理由はあるでしょうが、やはりまだ海は人間にとって『広い』ということなんでしょうね。」と海洋学研究員の望月が答えた。しかし、当の望月とて正しい答えを知っているわけでは無かった。
「艇を少し振るぞ。このままでは視野が狭いし、ちょっと近付き過ぎだ。」艇長の野瀬はそう言うと、艇を生物の側面方向に移すべく、マニューバーを開始した。
彼等が搭乗しているのは、高機動潜水調査艇「みずなぎ」一号艇だった。この艇は主に大陸棚付近の水深で、機動性の高い、言い換えれば海洋生物を追跡調査可能な潜水調査艇として、特別行政法人「海洋調査機構」が独自に開発したものであった。その主な要目は、
全長 9m
全幅 4m
全高 1.8m
船質 カーボンファイバー/ケブラー/ボロン複合積層強化樹脂
動力装置 低損失コアレス水中電動機 二基 合計 15kW
発電装置 リチウム触媒燃料改質型燃料電池集積体 33kW/時
推進装置 キャビテーション・ダクト型ウォータージェット 全周回転方式
安全潜入深度 900m
最大潜入深度 1350m
最大水中速度 12.5ノット
航続距離 70海里
搭乗人員 3名
というものであった。これ以外に、その都度の観測、調査内容に応じて、パッケージ化された観測装置を収容するベイを耐圧殻外部に備えていた。これにより、小型の艇にも関わらず、非常に汎用性の高い艇となっていた。しかし、この艇の特徴は別のところにあった。それは両舷にそれぞれ2枚づつ配置された水中翼の存在だった。浮上、沈降のエネルギーをこの翼により前進、後退のエネルギーに変換することで、ほとんど無動力で進む事ができる装置、1990年代に米国ウッズホール海洋研究所で実験された装置をよりリファインした形で搭載していた。船体サイズから言えば「長大」と評しても良い、70海里もの航続距離は、この装置によって達成されていた。
「おい、長野君、まだ『みずなぎ』とはリンク繋がらないの?実験では巧くいったはずでしょう。」と調査主任の吉村は電子装置担当の長野を急かした。
多目的海洋調査観測船「みこもと」の遠隔観測機器室で、吉村はすでに2時間近く、「みずなぎ」からの海中データリンクが繋がるのを待っていた。
多目的海洋調査観測船「みこもと」は「みずなぎ」と同じく、特殊行政法人「海洋調査機構」が文部科学省の予算で建造した船だった。深海調査母船機能と広範囲な海洋観測機能を高いレベルで統合した結果、波浪貫通型双胴船形という特殊な船形と、船体の大型化を招き、予算の確保には多大な労力が費やされたが、その労力は無駄ではなかった。
全長 148m
全幅 34m
基準排水量 8750総トン
喫水(軽荷)5.4m
動力機関 低損失直流コアレス水中電動機 4基 軸出力合計8420kW
推進装置 全周回転型2重反転コルトノズル推進装置 2基
発電装置 高効率定回転ディーゼル発電機 4基 合計8800kW/h
同 リチウム触媒型燃料電池集合体 2基 合計2400kW/h
航海速力 18ノット
最大速力 27ノット
航続能力 18ノットで最大9600海里
搭載観測装置
一万m級深海潜水調査艇「かいえん」 1基
高機動多用途潜水調査艇「みずなぎ」 2基
自律行動型深海調査ロボット「ドリイ(DORII)」 1基
曳航式可変深度音響通信/観測集合体「金魚」2基
ODON社高精度サイドスキャンソナー 2基
統合型ネットワーク制御装置 1式
などが主な要目であったが、それ以外にも双胴船形を利用した船尾ベイの採用と、それにより門型揚収装置に代わって採用された、ガントリー式揚収装置など、多くの進んだ補助装置が採用されたことにより、この船の稼働可能範囲は非常に幅の広いものになっていた。
「あ、吉村さん。何か途中に海水の不連続があって、すごいマルチパスが起きてるんです。今、可変深度用の『金魚』をだしてもらってますから、もうすぐ繋がると思います。ちょっと辛抱願います。」と長野はキーボードからのコマンド入力の手を休めずに答えた。
「んーー、金魚以前に繋がりそうです。あー、吉村さん、それいじってもだめですよ、やたらにいじらんで下さい。その左舷側の小さいモニターに字が出ます。キーボードはその下です。」
「お、オンラインになった。長野君これ、向こうはログインしてるの?」
「いえ、向こうの信号は歪みが大きくて、こちらから、ポーリングで強制的に向こうを制御してます。文字だけならなんとかいけます。そのまま打ち込んでもらえば向こうのモニターに現われますから。」
「うー、了解。それじゃ『モチヅキ、コタエロ』っと・・・」
艇首部分のほとんど全てを占める半球型の透明な観測/操縦キャビンは、潜水中の常で照明が落とされていたが、今は観測のための強力な外部フラッドライトからの散乱光でほの明るくなっていた。それでも、最前部、一段下がった観測員席のモニターに浮かび上がった文字は明るすぎるほどだった。
「艇長、リンクが繋がったみたいですね。吉村さんからの呼び出しです。『コチラ モチヅキ』っと。」
『ナニカ ミツカッタカ?』
『ミツケタ。』
『ナニヲ?』
『オオキナ イキモノ』
『ナンダソレハ?クジラカ?』
『コレデハセツメイフノウ。ベツノホウホウヲカンガエル。タイキネガウ』
『リョウカイ』