花売りの少女
天気の良い日にヴィルフリートのフード姿は少し目立っていたかもしれない。すれ違う人の中にはちらりとナテア達を横眼で見る者がいた。だが先日の王族訪問のため、普段よりもかなり多くの人間が町へ訪れていたので見方によれば旅人のように見える姿に、それほど不審には思われていなかった。加え、町の人々の関心は違う方向へと向けられていたため、ナテア達は注目を浴びずに進むことができた。
「おはなー、お花はどうですかー?」
昼の町では小さな子供からお年寄りまで、色々な人間が働いている。自分の店を構える者もいれば露店を開く者、それぞれだ。
そんな中、人々が歩く道の真ん中で声をあげる少女がいた。年は10にならない位の少女は手に花の入った大きなかごを持ち、道行く人々に声を掛けている。見向きもしない人、にこやかに花を買う人、様々な人が少女の横を通っていく。
「そこの逞しそうなお兄さん達、お花はどうですか?」
ナテア達が花売りの少女の脇を通ろうとした時、その少女はクラウスとヴィルフリートに話しかけた。
一瞬自分たちのことだと思わなかった2人だが、周りには少女の言う「お兄さん」らしき人間はいなかった。日中、若い男性達は町の周囲にある畑で働いている者が多いからだ。にぎわう町中にはもちろん男性もいるが女性の方が目立っていた。
「きれいな花だな。まぁ、でも俺らみたいな男には合わないから遠慮しとくよ」
クラウスが申し訳なさそうに断りの言葉を告げる。孤児院で子供たちに接する時のように腰を曲げ、少女の目線に合わせた。
「悪いな」
フードを深くかぶったままのヴィルフリートもクラウスの言葉に同意するように頷いた。
「ふふっ」
花売りの少女はクラウスとヴィルフリートの返事を聞くと落胆するどころか、おかしそうに笑いだした。
2人に比べれば背丈が腰の辺りまでしかない少女は花の入ったかごを両腕で抱きかかえる。突然笑い出した少女に2人は首を傾げた。
「違いますよ」
少女はクラウスたちの反応を見るとさらに肩を揺らす。
「確かにお花はどうですか、って聞いたんですけどそれは『お兄さん』達に向かってじゃないですよ」
少女の言葉に2人はますます傾げる。
「だが君は私たちに声を掛けただろう?」
深く被ったフードのため、表情は確認できないが声色から少女を訝しげに感じていることが分かる。ヴィルフリートとクラウスの後ろにいたナテアはフードの下から顔を覗こうと前に回り込んだ。
「はい。きっと似合いますよ、お花。『お姉さん』に!」
「えっ、わ、私?」
突然、話を振られたナテアはびくり、と体を動かす。
「あー、なるほどな。そういうことか」
納得したように頷くクラウスに少女は「そういうことです」と花かごを持ち上げた。
「じゃあ俺はこれ」
「それでは、私はこれだ」
それぞれ1本ずつ花をとると少女に手渡した。ナテアは話について行けず、ただ3人のやり取りを見やる。
「へへっ、まいどありです!」
花の代わりに代金を手にした少女はそのお金を大事そうに服の中へと仕舞い込んだ。すぐに背を向けて次の客を探しに行くかと思われたが、少女は「そうだ」と何か思い出したように声をあげ、花を買った2人を見上げる。
「忘れるところだった。お兄さん、ちょっとお花いいですか?」
少女はそういうとヴィルフリートとクラウスの返事も聞かず、花かごを持っていない方の手を今買われたばかりの花へとかざした。
少女の指には深い緑の小さな指輪。日に焼け、所々切り傷のある手に少し不格好な形をした石の指輪があった。その手を花に近づけると石が光り出した。まるで石の中から溢れだすように見えた光を2本の花に当てると少女は満足げに笑った。
「これで何日かは大丈夫です。もともと、まだ咲き出したばかりだし、きちんとお水とかあげれば長い間咲いてくれるはずですよ」
「わざわざ魔術をかけてくれたのか。ありがとうな」
クラウスの言葉に「いいえ」と首を振り、軽くお辞儀をした少女はナテア達に背を向けた。
「―――ん」
クラウスが手に持っていた花をナテアの前につき出す。言葉はなく、突然のクラウスの行動にナテアは大きく瞬きをした。ヴィルフリートはぶっきら棒なクラウスをあきれたように見ながら同じように花を出す。
「まだ咲き始めの花だが香りは良いし、何よりきっとナテアに似合う」
2人がナテアに差し出したのは小さな桃色の花弁を持つ花。どこかで栽培しているのか、このあたりでは見かけない花は真っ直ぐに伸びていた。
「……2人とも、私に? ……かわいい」
目を引くような大輪の花ではなく、強すぎる香りを持つ花でもなくどこか控えめな花。しかし小さくとも直線に伸びた花はどこか気品があり、またナテアがよく知る孤児院の周囲に咲く野花のように生命力に溢れていた。
小さく開いた蕾から甘い匂いがする。ナテアは手に取った2本の花に顔を近づけるとその香りを堪能した。
「―――ありがと」
顔を上げてクラウスとヴィーに礼を述べる。目線を横にずらしたクラウスとフードの下で口元を緩めるヴィルフリートの姿。3人そろって森の泉へ遊びに来ていた頃、今と似たようなことがあった。ナテアはまだ幼かったころの記憶を思い出し、目を細め顔を綻ばせた。
「―――きゃあっ!」
突然聞こえてきたのは女性の悲鳴。それに続くように何かが壊れる音が響いた。
花売りの少女から花を買ったナテア達は町の道端に立っていた。聞こえてきた喧騒はその道沿いからのようだ。辺りの人間はざわざわと、そして同一のある方向を見ていた。
ナテアが人々の隙間から覗くと、道の真ん中で何かが起こっていた。女性の叫び声が聞こえた後すぐに、3人は女性の元へと向った。
「……ひどい」
人々をかき分けるように進む2人の後ろをついていったナテアは悲鳴の原因を見ると顔をゆがめた。
壊れた屋台に、果物屋だったのか周りには果物が散乱している。つぶれた果物から漂う甘い香りと土、埃が混ざった匂いが周囲を包んでいる。そして1人の女性が崩れた屋台の横で震えながら倒れていた。
「す、すみません……」
倒れたまま言う女性の声は恐怖で震えているのがはっきりと分かる。しかし女性が1人で怯えているというのに周りの人間は誰も助けに行こうとはしなかった。
「腐ったやつを売っておいて、謝るだけで許してもらえると思ってんのか? あ?」
「ほ、本当にすみま、せん……」
女性の周りには身なりは悪いが体格の良い数人の男たちがいた。長い髪の毛は手入れされておらず、汚れた服や体は悪臭を放っている。所々抜けた歯が滑舌を悪くしており、しかしそれがより女性をこわがらせる原因でもあった。町人たちの注目を集めていた彼らはにやにやと下劣な目で女性を見下ろしていた。
ナテアは足元に転がる果物を拾う。土汚れと小さな傷はあるがそれ以外は何の問題もない。ナテアの手の中にある果物は洗えばおいしく食べられるだろう。そのほか、落ちている果物も見ただけでは痛んでなどなかった。
……ただの嫌がらせか。ナテアは2本の花と一緒に果物を握り締めた。
女性を囲む男たちは町の人間ではない。町の外、森にすむ奴らだった。町の人間からは山賊、なんて呼ばれている彼らは時折こうやって町へ来ることがある。町には町民の男性達でなる自警団が存在する。国が直接組織する騎士団よりは劣るが、それでも町人にとっては頼もしい存在だった。
今回は先日の王族訪問が終わり、自警団の気が緩んだ隙に男たちが町中へ入りこんだのだろう。普通ならすでに自警団が到着しているか、まず町中にいれることはないからだ。
「かわいそうに、まだ自警団は来ないのかしら……」
周りにいる人間の声にナテアは周囲に目をやった。やじ馬で人が大勢いたのが、今では少数だ。多くの人は自分に被害が及ばないように家に帰っていた。助けたいとは思っても誰も手を差し伸べない。だがナテアも女性を助けたいとは思っていたが踏み出せず、自分自身に苛立ちを覚えていた。
ナテアは手のひらに爪が食い込むほど堅く握りしめた。強く握ったため、持っていた花の茎が少し曲がり、果物には爪が食い込む。あわてたナテアは力を緩めた。
「くそっ……」
ぎりり、と歯が軋む音がする。ナテアの前にいるクラウスは眉間に皺をよせ、男たちを睨みつけていた。
ヴィルフリートも表情こそ伺えないものの、ナテアと同じように強くこぶしを作っていた。顔を見なくとも、フードの中はクラウスと同様の表情になっていることが伺える。
しかし女性の周りを囲む男たちと、数少なくなってはいるがちらほらいる町人、女性やお年寄り達がいるために身動きが取れなかった。むやみに飛びだせば、何かしらの被害が出る。
「謝って済むとでも思うのか? こっちゃあ被害者なんだぜ?」
下を向き震える女性と、恐れて何も言えない周りに集う町民たちに気を良くし、男たちは下卑た声で「ぎゃはは」と笑う。彼らの中の1人が倒れたままの女性にずい、と近づいた。
「許してほしいなら、体で償うか? ……俺たち全員をよ!」
女性の顔が無理やり上げられる。抜けた歯の隙間から男の唾が掛かり、女性は耐えるように目を閉じて顔をしかめ、掴まれた顎と口から「くぅ」と息の抜ける音がした。男たちの笑い声と共に、ぐちゃりと果物が踏みつぶされた。
その場にいた少ない町人たちは目線だけを辺りに巡らす。―――まだ自警団は到着しない。
「―――やめて!」
か細く、それでも意思のこもった声が響いたのは男たちが女性に唾をまきちらしながら笑っているときだった。聞こえてきた子供の声に女性が閉じた目を薄く開ける。
「あの子……」
声の主に顔を向けたナテアは小さくつぶやいた。
「なんだぁ? 『やめて』って言ったのか?」
突然の声に一瞬笑うことを止めたが、その声を発した人間が分かると男たちはさらに大声をあげた。
「や、やめてよ! ママに悪いことしないで!」
花かごを持った小さな少女は言いながら男たちと、男たちに囲まれて倒れている女性の元へ歩み寄る。張りあげる声とは裏腹に、少女の細い腕と脚は震えていた。
「駄目よ! あっちへ行っていなさい!」
それまで怯えた声しか発さなかった女性が大声で叫んだ。少女に「ママ」と呼ばれた女性は今も顎を掴まれたままだったが、目は大きく見開いており、少女に強い視線を送っている。
「ほぉら、『ママ』もそう言ってるぜ? ―――餓鬼はすっこんでろ」
「ひ、ひぅ……」
自分よりも数倍大きな男たちにすごまれた少女はへなへなと腰を地面に落とす。震えたままの手は土の上に置かれた。
「おい、そろそろ準備しろ。長居すると面倒なことになる」
男たちの中から誰ともなくそう言う声が聞こえる。そうだな、と言いあう彼らは互いに目配せをしている。そして町中で盗ってきたと思われる品物を各々担ぎ、逃げる準備を始めた。腰が抜けたのか、座り込んだままの少女はナテアや町人たちよりも間近でその様子を見ながらも、男たちに囲まれている母親から目を離さなかった。そんな少女に気がついた男たちの1人がにやりと笑う。
「安心しな、年増の女には用はねぇかんな。……ここにいたのが数年後のお嬢ちゃんだったら相手してやってもよかったんだぜぇ?」
ほらよ、と男が女性を無理やり立たせ、少女に向かって押し出した。恐怖でふらつく体で女性は少女の元へと行く。
「ママ!」
「大丈夫よ、だいじょうぶ」
抱きしめ合う親子を見て、周りにいた町人たちはほっと息を吐く。その間に女性に無礼を働いた男たちは逃げだす準備が終わったようだ。
「何をやっているんだお前ら!」
少し離れた所から男性の声が響く。声は1人ではなく複数で、中には蹄の音も混ざっていた。
「やっとお出ましか。行くぞ! ―――十分に引きつけろ!」
男たちは事前に計画していたかのように数組に分かれ、逃げる。今までに逃げ出す時間は十分にあったが、わざと町の自警団が現れてから動き出したかのようだった。
崩れた屋台の周りにはすでに男たちはおらず、まだ少女と母親が抱き合っていた。
「っくそ、遅いんだよ」
クラウスは自分たちの目の前を通り、さっきまでいた男たちを追いかける自警団を睨みつける。だがクラウスの怒りは自警団だけに向けられたものではなかった。
険しい顔のクラウスの横でナテアがぽつりと呟く。
「……できなかった。なにも、できなかった」
ナテアの言葉にクラウスとヴィルフリートは顔を伏せる。
「俺だって助けに行けなかった。誰かを守るために騎士として訓練してきたのに……!」
そういうクラウスは自分自身への怒りで顔を歪ませ、自責の念を隠さない。
クラウスは数年前に王都の騎士団へ入団してからほぼ毎日、訓練を重ねてきた。平民の、しかも孤児院出身である彼は始め、騎士としての訓練を受けることはできなかった。騎士団での雑用、住み込みの寮の掃除や洗濯、馬の世話、時には先輩騎士や貴族出の同年代の人間からひどい扱いを受けたこともある。
クラウスが今までやってこれたのは「守りたいもの」があったからで、ようやく武術や魔術の基礎を習得することができたのだ。だが、それも騎士団の中の話であり、実際に戦ったことはなかった。
「俺もだ。……俺も見ていることしかできなかった。もしあの時、俺がこのフードを外していたら何か変っていたかもしれない」
「それは! 確かに事が収まるかもしれないけど、ヴィーが危険にさらされるじゃん!」
ヴィルフリートの言葉にナテアが声をあげる。
「だが少なくとも、あの少女は恐怖で震えなくてすんだはずだ」
「そ、れは……」
肯定も否定もできずに口ごもる。3人は町人たちに囲まれる少女と母親を見つめた。先ほどまで怯えていた少女の顔は母親の胸の中で笑顔に輝いていた。
情けない、とナテアは唇を噛んだ。自分よりも年下の少女が震えながらも男たちに向かっていったというのに。―――だがしかし過去は悔みはできても変えることはできない。
「……強く、なりたい……」
それは3人の誰の言葉なのか。ざわめき出した町中で、ナテアたち以外にその言葉を聞く人間はいなかった。