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孤児院のナテア  作者: 亜矢
第2章
24/27

視線

 ナテアを含めた使用人たちの朝は早い。

 空も朝というには薄暗く、弱くではあるが星もまだ瞬いている時間から仕事は始まる。

 もちろん主たち家族は未だ夢の中。だからといって休めるはずもないのだが。ナテアたち大勢の使用人をまとめる家令やハウスキーパーが目を光らせているし、与えられた仕事をこなさなければ叱られるのは結局のところ自分だ。

 

 晩餐室に図書室、客間に回廊……同じハウスメイドたちと共に移動しながら掃除をしていく。これが朝一番の仕事だ。

 夜の間、だれにも使われていなかった部屋はいくら春の季節といっても空気が冷えている。外は太陽がようやく昇り始めるというのに肌寒さは変わらない。周りを見れば同僚たちも腕を擦っているから寒いと思っているのはナテアだけではないのだろう。

 ナテアは肩を震わせながら各部屋に設置されている暖炉の灰を掻きとって、焚き付け用の小枝と小ぶりの炎の魔石を放り込む。それからキッチンから持ってきた炭を入れれば、炭に残っている火の気配に魔石が反応してあっという間に炎を上げるのだ。

 周りでは床のチリを掃いて磨いたり、窓を拭いたりと各々に分担された作業をこなしている。

 火をおこしたナテアも同僚たちに交じり、暖炉と周囲の飾り物を磨いて――時折漏れる欠伸を殺しながら――それら決められた部屋の掃除を終えるとようやく朝食にありつけた。


 キッチンへ向かいながら、ナテアは軽く背伸びをした。

 朝食の時間になるころにはすっかりと陽は昇り、目もぱっちりと覚めていた。 一仕事終えた他のハウスメイドたちも一緒のようだ。つい先ほどまで、仕事中は朝のあいさつ以外はまるで静かだったのが「お腹すいた」「疲れたー」と口々に言い合う声が飛び交っている。

 朝の仕事の厄介な所は、いかに睡魔を振り払うかということだった。前日までの疲労や空腹……もあるにはあるが。――うん、でもやっぱりその中でも睡魔が一番だ。少なくともナテアにとっては朝食までの二時間ほどをいかに乗り切るべきか、非常に重要な悩み事のひとつであったりする。

 

 アゼル様たちはまだ眠っているんだろうか――ふとそんなことを思って、ナテアは周りの目も気にすることなく思いっきり頭を左右に振った。

 真白でやわらかなシーツ。暖かなそこに埋もれるように眠って、朝日のやさしい光が室内を満たすころに目覚める――自分の姿を思い浮かべてしまっていた。すぐにありえない、と繰り返し反芻させる。前を進む同僚たちの背中に向けていた視線を下げて。

 過去が違っていたならば思い浮かべた光景も幻想ではなかっただろう。が、なんど頭に描いても夢に見てもそれはただの空想でしかなく。今という現実は変わるはずもない。

 

「ナテア」

 背後から掛けられた声で、ようやく顔をあげた。周りを見渡せば先を歩いていたはずの同僚たちがいつのまにか見当たらなくなっていた。歩くのが遅かったからかもしれない。

 ナテアを後ろから声をかけたのは今日から侍女として働き始めたセアラだった。

「何一人で俯いて。ナテアもこれから朝食でしょ?」 

「セアラ……うんと、そう。セアラも?」

 侍女とハウスメイド、同じ使用人であるが仕事内容はもちろん服装や給料……と、総じて違うものであった。仕事のほとんどが陰に隠れたようなハウスメイドとは異なり、侍女は直に女主人やその家のお嬢様に使えている。広い屋敷の中、仕事中は用でもなければ顔を合わすことは少ないだろう。それが短い休憩時間帯となるならなおさらだ。

「そうよ。今朝はまだ始めたばかりだからって先に朝食の休憩をいただいたの」

「偶然ね、それなら一緒に食べようよ」

「もちろん! ……で、その後なんだけど」

 少しばかり低い位置にあるセアラの瞳が左右に揺れる。不思議に思って、促すようにナテアが聞いた。

「うん? 仕事だけど?」

「夕方まで半休だから。ナテアと私」

 だから実をいうとちょうどナテアを探していたところなの、と声は続くがそれらはもうナテアの耳に入ってはいなかった。

「え……?」

 セアラの返事に戸惑ってしまって、ナテアは口をぽかんとあけている。

 その様子にセアラは笑ってしまいそうな顔をこらえながら、きっぱりとナテアに言った。

「だから今日は朝食を食べたら街へ行くのよ」

 

 朝食を取り終えた二人は普段よりも足早に自室へ戻った。着ていた服を脱ぎ棄てて、外出用のドレスにそでを通す。ベッドの上には服やリボン、ハンカチなどが並べられて、床には互いのトランクが大きく開いたまま置かれている。

 片付けは後回しだ。なにせ時間が限られているし、貴重な休みはできるだけ長く使いたい。

 そういう訳で散らかった部屋はそのままに、着替え終わったナテアとセアラは財布とハンカチ、帽子をもって部屋をあとにした。

 

 使用人棟のある一室。最終的な外出許可を得るため、自室を出た二人はその許可を出す人物の元へ向かう。

 ノックしてからナテアとセアラは中へ入った。

 左右には壁一面を覆うように本棚が並んでいる。中央にはテーブルとソファー、机……大きく目につくものはそれだけの簡素な――それでも使用人棟の中では一番広くて陽当りのいい――部屋であるここは使用人を束ねるハウスキーパーの部屋だ。室内には彼女一人しかおらず、静まったそこに入るのは少しだけ緊張した。


「帰りは六時までに帰り着くこと。それ以降については、もちろん知っているとは思いますが出入り口の門は施錠されますし、罰則もあります。それから、二人とも七時から仕事が入っているのでそれまでに準備は終えて、決して遅れないように」

 髪に幾筋かうかがえる白い筋と口元や目尻にあらわれた皺は彼女が年長の使用人であることを示していた。シルクのドレスは彼女が上級使用人であることを、腰にある鍵束は彼女がハウスキーパーであることを示している。

「はい、分かりました」

 きびきびとした彼女の言葉にナテアとセアラは揃って頷いた。

 それからそろそろと一歩、前へ出てナテアが彼女に声をかけた。

「あ、あの、ミス・カーティス」

「何ですか。ナテア」

「なぜ今日お休みを頂けたのでしょうか」

 使用人には定期的な休日が設けられている。ナテアが知りたかったのは、なぜその休日以外に休みがもらえたのか、その理由だった。

 答えられた理由はあまりにもあっさりとしたものであったが。

「今回の休みは特別にセシリア様から許可をいただいています。セアラは侍女になったばかりで、ナテアもですが何かと物入りでしょうから、とのことです」

「そうなのですか……。あの、奥様にありがとうございますとお伝えください」

「ええ、伝えておきましょう。――それではくれぐれも問題など起こすことのないように。ローウェル家の使用人であることも忘れることなく」




「それじゃあナテア、今日はどこ行こうっか」

「どこって、今日は買い物するんでしょ?」

 街と屋敷を行き来する馬車に乗せてもらい、たどり着いた街の入り門で二人は相談した。

「そうだけど、買い物は最後。荷物を持ったまま歩くのは大変だし」

「言われればそれもそうね」

「でしょう?」

「んーでもそうはいっても……。私まだこの街のことよく知らないから何を見たいかもよく分からないの」

 言いながら、ナテアは目の前にそびえる門から向こうを見渡した。街全体を囲む防壁と、まるで石橋を連想させるほどの門には入口を守る兵がおり、開け放たれた門からは活気あふれた街並みがうかがえた。

 孤児院のあったヴィルデの町とは広さも人の多さもまったく異なる街。国でも一、二を争う大きな街だ。にぎわう様子にそれだけでナテアは気分がワクワクと高揚していくのがわかった。

 そんなキョロキョロとせわしなく視線を移ろわせるナテアに、セアラは隣でにっこりと笑みを作る。

「それじゃあひとまず、大通りを歩いてみる? それから……しばらくしたらお昼でも食べよう」

 セアラの提案にナテアが「うん」と頷くのは当然だった。

 

「改めて見ると本当……おっきい」

 まっすぐと伸びる大通りにはたくさんの人が行きかっていた。道の中央では馬車が通り、通り沿いには小奇麗な店が並ぶ。見上げれば、どの建物も高く立派だ。

 これまでヴィルデの町からほとんど出たのことなかったナテアは顔を上げたまま感嘆するように息を吐いた。

「そうね、私も初めて来たときは驚いたわ。もうずっと前のことだけど」

「ウィンコットは王都と並ぶほどだと、そういうことは聞いたことがある」

 ゆっくりと歩くナテアに歩調を合わせながらセアラが頷く。

「すぐ隣が王都だからと、だから人もお金も流れてくるし、こんなに豊かなんだという人もいるわね」

「それもあるかもしれない。……でもだからといって街全体がそうとは限らないんじゃない?」

 一つ一つの品物の価格が高い。まだ街へ足を踏み入れてどれほども経っていないが、それでも通りに並ぶ店を外から眺めただけでそう思った。ナテアのような少女にはハンカチ一枚買うのにもものすごく勇気のいる事だろう。今日の買い物には手持ちの分で足りるのだろうか……先ほどのワクワクした気持ちはどこかへいってしまって、不安がナテアを襲う。

「うん、この大通りにあるお店のものはすっごく高い。宿屋や飲食店はもちろん、帽子屋や本屋、花屋……色々ね。だから私たちはここでは買わないの」

 セアラは大通りの横にある脇道のひとつを指さす。

「少し路地に――路地といっても道はしっかりしてるし馬車も通るんだけど――少し中へ入れば大通りの店で買うよりも半分以下のお金で物がそろえられるのよ」

「半分? そんなに?」

「高くてもそれを買う人もいるの。その大抵が王都へ行く人、王都から来た人ね。王都へ行き来できる身分には貴族やそれなり稼ぎのある商人、懐の豊かな人が多いから。大通りには人よりも馬車が多く走ってるでしょ?」

「つまり、街の人じゃなくって外の人がお金をおとしていってるのね」

「普通の旅人なら街の人と同じように路地に行くと思うけど。豊かな貴族や商人はわざわざ路地に行く必要がないし。もしかしたら貴族の中には路地にいくことを恥じる人もいるかもしれない」

「感覚が違うのねきっと」

 はー、とナテアは息を吐いた。改めて大通りを、大通りを走る馬車や馬車を待たせて店に出入りする人々を見る。言われれば身なりの立派な人が多いようだ。一般的な街の人と思えるような者たちはセアラが指をさしていたような路地に出入りしている。

 ナテアの隣でセアラが肩をすくめた。

「ま! 私たちには関係ないし、路地に行こう」


 セアラの言った通り、路地の店は大通りと比べると驚くほどの差があった。

「これ、知らなかったらきっと、私一日でお財布がすっからかんになってるところだった」

「ね、全然違うでしょ? もちろん質は落ちるけど、探したら掘り出し物もあるんだから」

 路地の店も大通りからすぐ近くと、奥とは違ってくる。奥へ行けばいくほど安価なものが増えるし、他にもヴィルデの町ではよく見かけた露店も多くなった。花や果物を歩いて売りまわる可愛らしい行商の子もちらほらと見かけるようになる。

「なんだか奥は表の通りとは違うね」

「そうだね。でも私はこっちの方がしっくりくるの」

「うん……私も」

 路地には大通りのように店や宿ばかりではなく、家も多くひしめき合っていた。家と家の細い隙間から少し湿っぽい風が吹く。そこを声を立てて子供たちが走り回っている。

 大通りでは見られない、本当の街の人の暮らしがここにはあった。


 ナテアはふと立ち止まった。

「ナテア? どうしたの?」

 数歩、前に進んだところでセアラもナテアが立ち止ったことに気が付いて後ろを振り返った。

「なんか視線を感じたような気がして……」

「視線?」

 突然そう言いだしたナテアに、セアラは小さく傾げた。周りには客と笑いあう露店のおじさんや、しゃがみこんで所々欠けた石畳に絵を描いて遊ぶ子供たち、それから仕事が終わったのか軽装の騎士くらいしか見かけない。

「そう、何だかさっきから見られてるような……セアラは何か気づかない?」

「んー私は全然だけど。……もしかしたら、若い可愛い女の子が二人いるから、じゃない?」

 ナテアは苦笑いした。

「私の勘違いってことね」

「え……ちょ、ちょっとナテア。なにか言ってくれないと私、一人で恥ずかしいんだけど」

「空耳かと思って、つい」

「ひ、ひどい」

 大げさに眉を寄せるセアラに、ナテアはついには声を上げて笑った。

「――ごめんごめん、分かってるってセアラ」

「もー、ナテア……って。あ……」

 セアラが突然口をつぐんだ。ナテアは不思議に思って首を傾げる。

「どうしたの?」

「ナテア……後ろ」

 言われて、ナテアは反射的に振り返った。 

 眉や耳にかからないほどに短く整えられた赤濃い髪。日に焼けた肌ともよく似合って、たくましさも感じさせられる。

 ナテアの視線の先にいたのは幼い時を兄弟のように育った幼馴染だった。

 ヴィルデの町を出てからここでまさか合うとは思わなかったナテアは瞬きを繰り返しながらぽかんと口を開いた。彼の方もナテア同様驚いているのだろう、目を大きく見開いている。

「クラウス……?」


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