変わらないと思っていたもの
木々の枝葉の隙間から光が降り注いでいる。人の気配がほとんどしないこの森には多くの動物たちがいた。鬱蒼とまではいかず、天気の良い昼間などは森の中といってもかなり明るい。
そんな森の中をナテアは歩いていた。とても天気がいいからか、太陽の光が森の中でも地面まで届き、遠くまで見渡せる。
聞こえるのは風の音と鳥たちの鳴き声、そして動物の動く音。
ナテアがいる場所からほんの少し離れたところで「ガサッ」と小さく草が揺れる音がした。
森には小動物から大型の肉食動物、様々な種類の鳥に虫やヘビなどが住んでいる。そして今日の目的はそんな動物たちだ。ナテアはできれば持ちかえりやすい小動物がいいな、と考えつつ肩にかけている弓を手に持った。
息を潜め、獲物が出てくるのを待つ。弓を引き絞ったままの体勢で気配を探りながら待った。
「―――来た」
飛びだしてきたのはカニンだった。子供でも抱き上げられるほどの大きさで、大人しい性格の小動物。また、国内のどの森でも見ることができる。
肉も柔らかく食べやすいため、食用として人気だがカニンは動きが素早いのだ。また体も小さいので捕まえるのは簡単ではない。だがナテアにとってはどんなに俊敏な動物でも容易に捕らえることができた。
ナテアはその動きが早いカニンを見ると、逃げられる前に捕まえるために狙いを定め弓を放った。
「……お、ナテア捕まえたのか?」
「うん。カニン1匹だけどね。今日の夕食はカニンの肉でシチューでも作ろうかな」
ナテアが捕まえた獲物を持ってきた麻袋に入れていると幼馴染のクラウスが来た。小動物1匹捕まえたナテアとは違って中型動物のルシュを捕まえたらしい。クラウスはルシュの前足を片手で持ち、左肩に乗せている。
まだ若い雄だろう、小さな角が生えている。しかし大人になりきっていないルシュとはいっても結構な大きさだ。クラウスはナテアには重くて到底持てないものを軽々と担いでいる。
「久しぶりだなー、ナテアのシチュー。頑張ったかいがあったな!」
「そう? クラウスが普段食べている食事のほうがおいしいんじゃない?」
「あれはあれで美味いけど、ナテアのは懐かしい味がするんだよな」
持つよ、とクラウスはナテアに手を差し出した。ナテアは持っていたカニンを渡しながら言葉を返す。
「それじゃあ今日はクラウスの為にも、ナテア特製シチューにするね!」
並んで歩くナテアとクラウスは今日の獲物を持って2人の家に戻っていった―――丘の上にある孤児院へと
「おかえりー! ナテアおねーちゃん!」
「ただいま、アベル」
ナテアとクラウスが孤児院の裏にある森から帰ってくると、2人を出迎えるように数人の子供たちが走ってきた。その全員にただいま、と言いながらナテアは子供たちを連れ、館へと歩く。
「おいこら! 引っ張るな……って乗るな!」
森で捕まえてきた獲物を担いでいるクラウスに子供たちが集まっている。「クラウスー抱っこ!」「今日はお肉ー?」など言われながらクラウスの周りに子供たちが群がっていた。言葉では怒っているように言っているが、クラウスの表情を見る限りではそうでもないようだ。
しかしさすがに重かったのだろう、しばらくすると「お前ら降りないと肉食わせないからな!」と叫んでいた。
その言葉に子供たちは反応したようで「やだー」と言いながら次々に降りていった。
「みんなちゃんとお仕事したの? 終わってない子にはご飯はないからね」
「えー!」
「あと少しのこってた!」
「わたしもー!」
ナテアがそう言うと、クラウスの周りに集まっていた子供たちは走って戻っていった。森の入り口と孤児院までは遠くはないが近くもなく、元気に走り回る子供たちを見るとナテアは微笑ましく感じた。
残ったナテアとクラウスは歩きながら孤児院へと向かう。
「あー、あいつらのせいで体が痛ぇ」
「それだけクラウスのことが好きなんだよ。久しぶりに帰ってきたし、構ってほしいんじゃない?」
「そうかぁ? それにしてもいつの間に大きくなってんだ……」
子供たちがクラウスの体に乗ったりしたせいか、体が痛いと言うクラウス。ナテアは「持つよ」とくすくす笑いながら麻袋に入ったカニンを受け取った。
「2人とも、お帰り」
孤児院の中へ入ると、ここの持ち主である院長が2人を迎えた。髪のほとんどを白髪が覆っているが、その立ち振る舞いからは年を感じさせない。
その院長の後ろからナテアやクラウスの祖母と言っていいくらいの女性が現れた。院長と同じくらいの年齢だと思うが、夫婦ではない。この孤児院をやっていくにあたって、食事の用意や掃除、洗濯などを受け持っている人だ。この女性の他にも何人かおり、外には家畜や畑の世話をするものもいる。
できるだけのことはナテアをはじめとして、孤児院の子供たちも手伝ってはいるのだが、子供の手では間に合わないので世話をする人間がいるのだ。
世話をする人は全員ここにいる理事長と同じくらいの年、若くはない者達ばかりだ。だからか分からないが、皆孫を見るような目で優しく、時には叱ったりしながら生活していた。
ここでの生活は自給自足が中心。野菜は畑からとれるし、外にいる家畜からミルクもとれる。今日のように肉が食べたければ狩りにもでかけるのだ。
この丘から下ったところにある町の人間からすれば、面白味に欠け、貧しい暮らしかもしれない。それでも屋根があり、ベッドがあり、暖かな光の下で暮らせることは幸運なのだ。
この孤児院にいるのは何らかの理由で家族を失った子供たち。
初めてナテアがここへ来た時にはまだ初老だった院長とまだ今よりも若かったこの館の人達しかいなかった。そしてナテアが来た後にクラウスが来て、そのあとに次の子が来て、とどんどんと人が増えていった。
まるで新しい家族が増えるように、館の空いていた部屋は今ではどこも子供たちの声で埋め尽くされている。ナテアが来た当初、ここにはナテア以外の子供はおらず、ナテアが来た後からこの館はいつの間にか孤児院と呼ばれるようになっていた。
「ただいま戻りました」
「お久しぶりです院長」
ナテアとクラウスは荷物を持ったまま、院長に軽く頭を下げ挨拶をする。
―――ナテアが初めてこの館に来た日の夜、ベッドに1人で震えて泣いていたのが聞こえたのか、院長が優しく肩を叩いてくれた。院長は何も聞かず、何も言わなかった。ナテアが泣かずに1人で眠ることができるようになるまで夜はいつも、寝付くまで一緒にいてくれたのだ。
その優しさはナテア以外の子にも注がれ、院長は本当のおじいちゃんのように慕われている。
まだ幼かったナテアがここまで育ったのも院長やその他の人達のおかげだ。
もちろんナテア自身は父や母、兄や他のみんなを忘れた日など1日もない。また時折、自分の過去は夢ではなかったのか、想像ではないのかと考えることもあった。それはナテアが両親の死を理解するのには幼すぎたせいもあるだろう。知識として知ってはいても、心では理解、納得などできるはずはなかった。
薄れゆく記憶を時々思い出しながら、ナテアは院長が何か知っているのではないかと、問いただしたことも何度もあった。だが知らない、分からない、そしてすまないな、という言葉しか聞くことしかできなかったのだが……。
それでもナテアはここで生きていれば何か掴めるのではないかと、他力本願だと分かってはいるがここで10年生きてきた。
それに過去の真実を探すために行動したら何が起こるか分からないという恐怖。もう大切な人を失いたくはないという思いが、何も行動を起こさず、今の生活を守るという行為になっているのかもしれない―――
「今日は大物を捕まえたようだな。ナテアの料理を楽しみにしているよ」
「へへ、頑張って作るね」
ナテアはそういうと院長と別れ、獲物を担いだままのクライスと年配の女性と共に料理場へと向かった。
子供の時からナテア達の世話をしてきた年配の女性はまるで本当の家族のように接してくれる。外では子供たちが畑を管理している男性、老人と言っていいほどのおじいちゃんと草むしりをしているだろう。
この孤児院に来た時、ナテアは7才だった。それから10年の月日が過ぎた。
「クラウスはいつまでここに居るんだい?」
両腕を腰の後ろにやり、若干前屈みになって歩きながら女性が聞いた。その女性は腰が曲がってはいるがその他はしゃんとしており、話す速さも滑らかで声も大きい。
「今のところは3,4日を考えてる。けど2日後、下の町に王族の誰かが視察に来るみたいで人が多くなるなら出発する日にちを変えることになるかもな」
「王族? ダールベルクの?」
ナテアはクラウスの言葉に聞き返した。ナテアの横を歩いている女性は「そういえばそんな話を旦那さまから聞いたかね……」と呟いていた。
「そりゃ、ダールベルクの王族に決まってるだろ? この国の王族なんだからな」
「それはそうだけど、でも何で今の時期?」
年に一度は王族や貴族の人間が町へ視察に来たり、その他はときどきではあるが避暑で訪れることもある。避暑、と言うのはこの辺りの地域が豊かな自然に囲まれているのが理由に挙げられるだろう。
「何でって、俺が分かるわけないだろ」
「だってクラウスは一応王国の騎士じゃん。……ま、分からないってことはそれだけ下っ端てことか」
「なんだよ『一応』って! 下っ端で悪かったな!」
ナテアの言葉にクラウスがわざと怒ったような口ぶりをする。わざとそんな口調をしているのが分かっているナテアはくすくす笑いながら「ごめんごめん」と謝った。
「ほらほら、もう料理場についたよ」
ふざけ合っているナテアとクラウスを見て、あきれた声で女性が言った。