戦争が終わった
戦争が終わった時に、人は何に喜んでいるのでしょうか。本当に、人は戦争が終わった事だけに喜んでいるのでしょうか。
衣服費だけでお金が無くなってしまいそうな爆破痕が残る家に、ひとつだけテレビがあった。
僕の家では電子はテレビのみであった。
テレビを久しぶりにつけた、するとこんなニュースが入ってきた。
戦争が終わる、そう僕の目には見えた。母さんや父さん、お婆ちゃんやお爺ちゃん、亡くなった三毛猫でさえ喜んだだろうに、僕の誕生日はその戦争が終わった次の日であった。僕の誕生日ケーキをまずは用意しようと父さんは隣のうちのおじさんに何かを頼んでいた。ただ、戦争終わりだとまだ砂糖やクリーム、イチゴの様な高級品は無いとの事、だから母さんが昔買ったちょぴっとだけ高価なワインと交換してクリームを貰ってきたのだ。僕は内心嬉しかった。
そして戦争が終わったその日、僕の家は崩れかけていたけれど、みんなが笑顔で僕の誕生日を迎えてくれていたから元気が出た。
さて、今日は僕の誕生日だ。誕生日ケーキが前に置かれた。僕はみんなが歌い終わる前に食べてしまった。そのケーキはクリームとイチゴの種、スポンジでは無くただのパンだったから、ちっとも美味しくなかった。だけど嬉しい、そんな事を思ってばくばくと口にケーキを入れていると、ある疑問が急に浮かび上がった。
母さん達は、何に喜んでいるんだろう、そう思った。もちろん僕の誕生日の事も祝ってくれているんだろうけど、戦争が終わった事も同時に喜んでいるかもしれないし、ケーキを作れた事に対したかもしれない。でも、僕はそれを質問はできない。もし質問をしてしまったら、きっと溜息かめんどくさがれるに決まってるから。とても気になったんだ。だから、それを追求して答えを出すことにした。
僕には幼馴染がいて、その子は2年前に戦場で亡くなってしまったけれど、その子は毎日笑顔で明日戦争が終わる、などの現実逃避をしていた。僕はその子に呆れてどこかに行ってしまったけれど、今思えばあの子の父は軍隊だったから、父が帰ってくるという自分への励ましだったのかもしれない。
戦争中に夫を亡くしたパン屋のおばさんが泣いていて、僕は何に対して泣いているのかを聞いた。おばさんは夫を亡くした事に対して泣いていたのではなく、この戦争で自分の周囲の人が全員亡くなったから泣いていたのである。夫に対してではなく、全員に対してだ。僕はなんて聖人なんだろうと思った。もしかしたら、母さん達は自分の身内が全員生きてたから笑顔だったのかもしれないと思った。
ビー玉を盗んだ7歳の男の子を僕は追いかけた。ビー玉はもしかしたら高価な物かもと強く握りしめていたから。でも、高価な物ではなかった。
幸せを追求しようとして、国外へ行こうと深夜に準備をしていた。戦争が終わったのだから、もう自由だと勘違いしていたみたいだった。父さんはたまたま起きていて、僕を止めた。その時に足を踏まれてしまったけれど、父さんはその事に対して謝らなかった。そういえば父さんは僕の誕生日の時にきちんと笑っていなかった。もしかしたら父さんは僕が嫌いなのかもしれない。
未来はきっと明るいとアナウンサーの人が言った。その時にお婆ちゃんが嘘ばっかり、と口に出して言ったのだ。お婆ちゃんは僕の誕生日の時に今までで一番幸せだったから笑っていたのかなと僕は思った。
お爺ちゃんが散歩に出掛けた。朝の8時に出掛けて夜の8時に帰ってきたから、僕はどこにいってたの、と聞いてみた。その時に、お爺ちゃんは笑みを浮かべて、忘れてしまったと言った。お爺ちゃんは誕生日の時に本心で笑っていたと思う。
僕は母さんが好きではなかった、いつも僕のご飯を少なく盛るから。でもその後、母さんが餓死しないように配慮していたということを知った。僕は母さんについてはそれしか分からない。でも、母さんは僕の母さんだから、それしか知らなくていいのかもしれない。
結果的に、僕の誕生日の日に笑っていた理由は分からなかった。僕はまだまだ未熟者だ。でも、きっと、わかる日が来るだろう。
戦争は、愚かである。




