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追放された飯炊き係の【万能調理】が神スキルだったので、荒野で極上グルメ帝国を築きます  作者: らいお


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第9話:早朝の訪問者は、お腹を空かせた王女様

「おねがい……もう走れない……」


 深夜の荒野に、少女の声が響いた。


 月明かりに照らされた不毛の大地を、一人のエルフが走っていた。

 銀色の長い髪が夜風に乱れている。碧色の瞳は恐怖に見開かれ、白い肌は泥と擦り傷で汚れていた。年齢は――エルフの外見では読めないが、十代後半の少女に見える。


 その後ろから、三人の男が追ってくる。


「逃しませんよ、お嬢さん! ハイエルフなんて滅多に捕まらない上玉だ!」


「王都の奴隷市場に出せば金貨百枚は下らねえ!」


「おとなしく縄につけ! 面倒くさくなる前にな!」


 奴隷商人たちだ。鉄鎖と魔封じの首輪を持ち、獲物を追い立てている。三人とも中年の男で、こうした人狩りに慣れた動きだった。


 少女の名はセレナ。

 ハイエルフ。エルフ王国の第三王女にして、元宮廷味覚鑑定士。

 宮廷の権力闘争に巻き込まれ、国を追われて人間の領域をさまよっていた。身分を隠し、一人で旅をしていたところを奴隷商人に見つかった。


 体力はもう限界だった。三日間、ほとんど食べ物を口にしていない。精霊魔法を使う魔力も枯渇している。耳を隠すためのフードは走る途中で落ちてしまい、とがった長い耳がむき出しになっている。


「た、助けて……誰か……」


 足が絡んだ。つまずく。膝が砂利に打ちつけられ、鋭い痛みが走った。両手をついて必死に起き上がろうとするが、もう足が動かない。


 奴隷商人たちが追いついた。影が覆いかぶさる。


「はい、捕まえた。逃げるだけ無駄だったでしょう?」


 鉄鎖がじゃらりと鳴った。


 ――その時だった。


 低い唸り声が、闇の中から響いた。


 地面を這うような、内臓に響く重低音。空気そのものが振動するかのような威圧感が、荒野を支配した。


 奴隷商人たちの足が凍りついた。


「な……なんだ……?」


 月明かりの中に、白い巨体が姿を現した。


 ルナ。獣形態。

 体長三メートルのフェンリルの幼体が、蒼い瞳を煌々と光らせ、牙をむき出しにして奴隷商人の前に立っていた。白銀の毛並みが月光で輝き、影が大地に巨大な狼の形を落としている。


「フェ、フェンリル……!? フェンリルだと!?」


「嘘だろ!? なんでこんなところに神獣がっ……!」


 ルナが吼えた。


「ガウウウウゥゥッ!!」


 三人の男が弾き飛ばされた。物理的な衝撃はない。だが、フェンリルの咆哮に含まれた魔力の圧力が、人間の足を動かなくさせた。恐怖で膝が笑い、立っていることすらできない。


「ひ、ひいいいぃぃっ!」


 三人はほうほうの体で逃げ出した。鉄鎖も首輪も投げ捨て、転びながら闇の中に消えていった。


 ルナの尻尾が一振り。

 獣形態から人化形態に切り替わり、白い髪に蒼い瞳の幼い少女が、セレナの前に立った。


「だいじょうぶ?」


「え……あ……」


 セレナはへたり込んだまま、目の前の少女を見上げた。碧色の瞳に、理解が追いついていない混乱が浮かんでいる。


「おなかすいてる? レンのごはん、おいしいよ」


「レン……?」


「レンは、わたしのごはんをつくってくれるひと! いっしょにたべよ!」


 ルナがセレナの手を引いた。小さな手のひらは温かかった。



◇ ◇ ◇



 砦に到着したセレナは、門をくぐった瞬間に足が止まった。


「何ですか、ここは……」


 ミスリルの城壁。整備された菜園。赤いトマトと黄金の小麦が月明かりに揺れている。空気が暖かく、どこかから焼きたてのパンの残り香が漂っていた。荒涼とした荒野のど真ん中に、ぽっかりと別世界が出現したような場所だった。


 レンがキッチンから出てきた。エプロン姿だ。ルナが夜中に外へ飛び出したので後を追おうとしていたのだが、少女まで連れて帰ってきたとは思わなかった。


「ルナ、その子は?」


「たすけた!」


「……また拾ってきたのか」


 セレナを食堂に案内した。暖炉に火が入り、オレンジ色の光が室内を温かく照らしている。ベンチに座ったセレナの膝が震えていた。寒さだけではない。緊張と疲労と安堵が入り混じって、体がうまく動かないのだろう。


「食えるか?」


「え……あ、はい……でも、何もお礼ができなくて……」


「礼は要らない。飯を食え」


 レンはキッチンに戻り、夜食を作り始めた。


 相手は深夜に倒れかけていた少女だ。重いものは駄目だ。消化しやすく、体が温まり、心が落ち着く料理がいい。


 パン粥を作ることにした。


 黄金の小麦で焼いたパンをさいの目に切り、コカトリスの骨で取った出汁に浸す。弱火でコトコト煮込み、パンが出汁を吸ってとろとろに崩れたら、溶き卵を回し入れる。精霊トマトを半分に切って加え、塩と胡椒で整える。

 仕上げに、チーズのひとかけ。


 白い湯気が立ち上った。

 とろりとしたパン粥が、器の中でゆるやかに揺れている。トマトの赤、卵の黄、チーズの白。暖かな色彩が、疲れた目に優しく映った。


「食べてみてくれ」


 セレナの前に器を置いた。


 匙を透明な液体にくぐらせ、ゆっくりと口に運ぶ。

 最初の一口が喉を通った瞬間。


「っ……!」


 碧色の瞳が大きく見開かれた。


 温かい。優しい。出汁の旨味が体に沁み込んでいく。パンの柔らかさが喉に優しく、トマトの甘酸っぱさが舌を目覚めさせる。チーズのコクが全体をまろやかにまとめ、卵のふわふわが胃を包む。


 三日間の空腹と恐怖が、一口のパン粥に溶けていった。


 二口目。三口目。

 匙を運ぶ手が、だんだんと速くなる。こぼさないように、でも止められない。もう一口、もう一口。体が料理を求めている。心が温もりを求めている。


「おいし……い……」


 声が涙で震えた。

 セレナの碧色の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。


「おいしいです……すごく……おいしい……」


 エルフの宮廷で三百年間、一流の料理を食べてきたはずだった。王族の食卓。厳選された食材。最高峰の宮廷シェフの料理。

 だが、このパン粥ほど心に沁みる料理は、一度もなかった。


 それは「味」の問題ではなく「心」の問題だった。

 追われ、怯え、空腹で倒れかけていた少女に、何のためらいもなく温かい料理を差し出してくれた。それが、涙の理由だった。


「もっと食うか?」


「……はい。もう一杯、お願いします」


 二杯目のパン粥を食べ終わった頃には、涙は止まっていた。代わりに、頬がほんのりと赤く染まっていた。


「あの……私、セレナと申します。お礼に、一つだけできることがあります」


「できること?」


 セレナは碧色の瞳を真剣にして、レンを見つめた。


「私は味覚鑑定士です。料理の品質を数値で評価する鑑定スキルを持っています。……このパン粥を、鑑定させていただいてよろしいですか?」


「鑑定して何がわかるんだ?」


「全てがわかります。品質ランク、バフ効果、改善点。……料理人にとって、味覚鑑定士の評価は羅針盤のようなものです」


「……面白いな。やってくれ」


 セレナが【味覚鑑定】を発動した。碧色の瞳が淡く光り、数値が浮かび上がる。


 そして、その数値を見た瞬間。


 セレナの表情が凍った。


「……92点」


「高いのか?」


「異常です。パン粥で92点は……ありえません。宮廷の一流シェフの最高傑作で70点。それが通常の限界です。パン粥のような質素な料理で90点を超える記録は、三百年の鑑定士の歴史に一度もありません。あなたは……一体、何者なんですか」


「ただの料理人だ。追放された飯炊き係」


「飯炊き係が……92点を……」


 セレナは空になった器を見つめた。涙の跡が頬に残っている。


 この夜、美食の砦に二人目の住人が加わった。


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