第7話:迷い込んだ商人、涙を流す
その日、ルナが異変を知らせた。
「……レン。へんなの、いる」
ルナは人化形態のまま、窓の外を指さした。耳がピンと立ち、鼻がヒクヒクと動いている。
「変なの?」
「おっきくて、まるい。あっちから、にげてる」
レンは窓辺に立ち、荒野を見渡した。
ログハウスから北西に数百メートル。土煙が上がっている。
目を凝らすと、小太りの中年男が荷車を引きながら必死に走っていた。
その後ろを、三体のリザードマンが追いかけている。
「……あれは人間だな。商人っぽいが、なんであんなところに」
「たべる?」
「食わないからな」
レンは扉を開けた。
「ルナ、出番だ」
「ワフッ!」
ルナが獣形態に変わった。白銀の巨体が風のように駆け出す。
数秒後。
ルナの氷のブレスがリザードマンを一掃した。
三体の魔物が一瞬で氷の彫像に変わり、荒野の風景に溶け込んだ。
「ひ、ひいいいぃぃ!!」
助けられたはずの商人が、ルナを見て腰を抜かした。
「ば、化け物がもう一匹! た、食べないでくださぁい!」
ルナが首を傾げた。しっぽを振ってみる。
「ひぃぃぃ!!」
もっと怖がられた。
「大丈夫だ、こいつは噛まない。……たぶん」
レンが近づいて手を差し出すと、商人はおそるおそるその手を掴んだ。
「あ、あなたは……こんなところに人が住んでいるのですか?」
「ああ。少し前からな。あんた、商人だろ? こんな荒野で何をしてたんだ」
「ロランドと申します。行商人でして……近道をしようとしたら道に迷い、気がつけばこの荒野に……」
ロランドと名乗った商人は、涙目で状況を説明した。
荷車にはまだ売り物の雑貨が積まれていて、身ぐるみ剥がされてはいないようだ。
「怪我は?」
「い、いえ、幸い無事です。ですがもう足がガクガクで……し、しばらく動けません」
「なら、うちで休んでいけ。飯くらいは出す」
「飯……!」
ロランドの目が輝いた。
行商人は何よりも食事を重視する。長旅での食事は体力と気力の源だ。
「あ、ありがとうございます! 命の恩人です!」
◇ ◇ ◇
ログハウスの食堂。
ロランドはテーブルについた瞬間、目を丸くした。
「こ……これは……!」
飴色の木材で組まれた美しい室内。磨き上げられたミスリルの調理台。壁一面の食器棚。暖炉からは薪の爆ぜる温かい音。
窓の外には色鮮やかな菜園が広がっている。
「荒野の真ん中に、こんな立派な食堂が……!?」
「大袈裟だな。ただのログハウスだ」
レンはエプロンを締めて、キッチンに立った。
「何がいい?」
「い、いえ、お気遣いなく。パンと水だけで十分――」
「遠慮はいらない。来客は久しぶりだからな。腕が鳴る」
レンの目が変わった。
料理人の目だ。
「フルコースを出す」
◇ ◇ ◇
ロランドの前に、料理が次々と運ばれてきた。
まず、黄金のパン。
焼きたてだ。割ると中からふわっと湯気が立ち、小麦の甘い香りがテーブルに広がる。表面はカリカリ、中はもちもち。
「こ、このパン……! 王都のどのパン屋よりも……!」
「パンは前菜だ。本番はこれからだ」
次に運ばれてきたのは、魔力トマトのスープ。
深い赤色のスープが、白い器の中で湯気を立てている。トマトの酸味と甘みが凝縮された、濃厚なポタージュ。表面に浮かべたバジルオイルが、緑のアクセントを添えている。
ロランドが一口すすった。
「な……!?」
目が見開かれた。
トマトの甘みが舌の上で爆発する。酸味は控えめで、代わりに深い旨味が口の中を満たす。バジルの香りが鼻に抜け、後味がすっきりと締まる。
「こ、このスープ……信じられない……王宮の料理長でも、この味は出せません……!」
「大袈裟だな。トマトが良いだけだ」
メインが運ばれてきた。
コカトリスの照り焼き。
分厚いモモ肉に、飴色のタレが絡んでいる。表面は艶やかに光り、甘辛い香りが食欲を直撃する。
ナイフを入れると、繊維がほろりとほどけた。中からは透明な肉汁がじわっと溢れ出す。
ロランドは震える手で一切れを口に運んだ。
「…………」
言葉が出なかった。
肉が、舌の上で溶けた。
噛む必要がない。口に入れた瞬間、凝縮された旨味が波のように押し寄せ、甘辛いタレが肉の風味をさらに引き立てる。脂がくどくない。むしろ上品ですらある。噛めば噛むほど旨味が増す。
涙が、出た。
「……うまい」
ロランドの目から、大粒の涙がこぼれた。
「うまい……! こんな……こんな料理は、生まれて初めてです……!」
「おい、泣くほどか……?」
「泣きます! 泣きますよ! 私は行商人として三十年、各地の料理を食べてきました。王都の高級レストラン、貴族の晩餐会、地方の名物料理……すべて食べてきました。ですが」
ロランドはテーブルを拳で叩いた。
「こんな料理は、一度もなかった! いや、比較することすらおこがましい! これは……これは芸術です!」
「……ただの照り焼きだが」
「ただのっ!? ただのとは何ですか! ああ、ああ、もう一口……」
デザートが運ばれてきた。
魔力メロンのシャーベット。
薄緑色の氷菓が、ガラスの器に盛られている。メロンの甘い香りが、ふわりと漂う。
ロランドがスプーンを口に運んだ瞬間、動きが止まった。
口の中で、メロンの甘みが溶けていく。シャリシャリとした氷の食感の後に、濃厚な果肉の味が広がる。冷たいのに、体の芯が温まるような不思議な感覚。
「…………」
ロランドは完食した。
そして、椅子の上で正座した。
「レン殿」
「レンでいい」
「レン殿! お願いがあります!」
商人の目が、ギラリと光った。
涙は嘘のように乾き、代わりに鋭い商魂の輝きが宿っている。
「この料理を……いえ、この食材を。私に売ってください!」
「食材?」
「このパン。このトマト。この肉。このメロン。すべてです! 王都で売れば……いえ、売れるなんてものじゃない。戦争が起きます! いい意味で!」
「戦争はよくないだろ……」
「レン殿! 私はロランド商会の会頭です。小さな商会ですが、王都に販路があります。この食材を独占的に販売させていただけませんか!?」
「独占販売って……大袈裟な」
「大袈裟ではありません! このミスリルのスプーンの美しさ、このパンの品質、この食材の魔力含有量……すべてが規格外です! 金貨が……金貨の雨が見える……!」
ロランドの目が完全に商人モードだった。
レンは少し考えた。
正直、販路がないのは困っていた。食材は余るほど作れるが、使い切れない。ミスリルのインゴットも、一人では消費しきれない。
信頼できる商人がいれば、収入が安定する。調理器具や生活用品の調達も楽になる。
「……条件がある」
「なんでもおっしゃってください!」
「この拠点の場所は秘密にすること。そして、うちに来るときは必ず良い食材を持ってきてくれ。遠方の珍しい調味料とか、見たことない素材とかな」
「お安い御用です! 世界中の食材を集めてきましょう!」
握手が交わされた。
レンの食材とミスリルインゴット。
ロランド商会の販路と情報網。
その日、荒野の片隅で、小さな商売が始まった。
ロランドが荷車を引いて去っていく時、何度も振り返った。
「レン殿! 来週また来ますから! 今度は南方の香辛料を山ほど持ってきますから!」
「ああ、楽しみにしてる」
ルナが人化形態でレンの隣に立ち、ロランドの背中に手を振った。
「ばいばい、まるいの」
「まるいのじゃない。ロランドさんだ」
「……まるい」
レンは苦笑した。
日が傾き始めた荒野に、小さな笑い声が響いていた。




