第4話:魔力トマト、はじめました
フェンリルの名前は、ルナにした。
「月夜に出会ったからな。それに、お前の毛の色、月光みたいだし」
「ワフッ!」
尻尾ブンブン。気に入ったらしい。
ログハウスでの生活にルナが加わって三日。
レンは深刻な問題に直面していた。
「…………お前、食いすぎじゃね?」
朝。暖炉の前。
空っぽになった鍋を三つ並べて、レンは頭を抱えていた。
コカトリスのモモ肉ステーキ、三人前。
マンドラゴラの薬膳スープ、大鍋一杯。
黄金のパン、八個。
それが、ルナの朝食だった。
「ワフッ!」
白い狼はお行儀よくお座りして、空の鍋を見つめている。
蒼い瞳がキラキラと期待に満ちている。
「……おかわりはないぞ」
「クゥゥゥン……」
しっぽが力なく垂れた。
世界を滅ぼせる神獣の目が、うるうると潤んでいる。
「いや、泣かれても困る」
とはいえ、このペースでは『無尽蔵』の食材はあっという間になくなる。
フェンリルは成長期の子供だ。基礎代謝が桁違いに高いのだろう。
「……食料の自給自足が急務だな。菜園を作るか」
レンはエプロンを締め直し、外に出た。
◇ ◇ ◇
ログハウスの南側に、十分な広さの空き地がある。
整地済みの土地だが、今は何もない更地だ。
「ここを畑にする」
レンは両手を地面に当てた。
「【万能調理】――『仕込み』」
光が手のひらから大地に染み込んでいく。
土の色が変わった。灰色の乾いた土が、深い茶色のふかふかの土壌に変化していく。地中の鉱石が細かく砕かれて養分に変わり、微生物が活性化する。
『味覚解析』が発動する。
《土壌品質:S級(超肥沃)》
《備考:通常の農地の約10倍の栄養素を含有。成長速度が大幅に向上します》
「よし。次は種だ」
『無尽蔵』を開く。
アレクたちが「ゴミ」と呼んで押し付けてきた素材の中に、いくつかの種が混じっていた。
《魔力トマトの種(品質A級)》
《備考:魔力を含んだトマト。完熟させると甘みと魔力が増幅》
《魔力小麦の種(品質B級)》
《備考:疲労回復効果を持つ小麦。パンにすると効果が最大化》
《魔力メロンの種(品質A級)》
《備考:希少な甘味食材。通常栽培では結実に一年以上かかる》
「全部A級以上……。アレクのやつ、宝を捨ててたのか」
種を超肥沃な土壌に植える。
水は、菜園の隣の岩盤を【万能調理】で穿ち、地下水脈から汲み上げた。冷たく澄んだ水が小さな泉となって湧き出す。
そして――
「【万能調理】――『促成』」
光が菜園全体を包んだ。
種が、芽を出した。
芽が、茎になった。
茎が、葉を広げた。
数分後。
レンの目の前に、鮮やかな赤色のトマトがたわわに実っていた。
「……数時間で収穫、のつもりだったが」
予想以上だった。超肥沃な土壌と促成の相乗効果で、数分で完熟まで到達してしまった。
魔力トマト。宝石のように赤い。
表面がつやつやと光り、持つとずっしりと重い。鼻を近づけると、青々としたトマトの香りの中に、ほんのり甘い魔力の匂いが混じっている。
隣の畝では、魔力小麦が黄金色の穂を揺らしていた。風にそよいでサラサラと音を立てている。
さらに奥では、魔力メロンが網目模様の美しい実をつけていた。
「……すごい光景だな」
荒野の真ん中に、鮮やかな菜園が広がっている。
色彩のない灰色の世界に、赤、黄金、緑の命が溢れていた。
「ワフワフッ!」
ルナが菜園の中を駆け回っている。トマトの匂いに鼻をヒクヒクさせ、尻尾を高速で振っている。
「こら、踏み荒らすなよ。今から料理にするから」
◇ ◇ ◇
キッチンに戻ったレンは、収穫したての魔力トマトを水で洗い、まな板に置いた。
「さて、何を作ろうか」
完熟の魔力トマト。その実力を最大限に引き出す料理。
レンの頭に、一つのレシピが浮かんだ。
「カプレーゼだ」
新鮮なトマトを薄くスライスする。
包丁を入れた瞬間、果汁がじわっと溢れた。甘い香りがキッチンに広がる。
次はチーズだ。
『無尽蔵』には、以前手に入れていた山羊の乳が残っていた。
「【万能調理】――『凝固』」
乳が光に包まれ、一瞬でフレッシュチーズに変わる。真っ白で柔らかく、ほんのり酸味のある、出来たてのモッツァレラだ。
スライスしたトマトとチーズを交互に並べる。
赤と白のコントラストが美しい。
仕上げに森で採った香草のバジルを散らし、岩塩とオリーブオイルを軽くかける。
「カプレーゼ、完成」
さらに、魔力小麦でパンを焼く。
小麦を挽いて粉にし、水と塩と天然酵母で生地を練る。暖炉で焼くこと十五分。
――ログハウス中に、パンの焼ける匂いが充満した。
こんがりと黄金色に焼き上がったパン。表面はカリッと硬く、割ると中からふわっと湯気が立つ。小麦の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「黄金のパン、完成。さて、食べるか」
テーブルに料理を並べる。
カプレーゼと黄金のパン。シンプルだが、素材の力が段違いだ。
ルナが暖炉の前からダッシュで駆け寄ってきた。
「ワフワフッ! ワフッ!!」
「はいはい、お前の分もあるから。……ん?」
レンは目を見開いた。
ルナの体が、光に包まれていた。
白い毛並みが輝き、体がゆっくりと縮んでいく。四本の足が二本になり、前足が腕に変わり、あっと思った次の瞬間――
そこに立っていたのは、銀髪に蒼い瞳の幼い少女だった。
十歳くらいの見た目。白い肌に、頭の上にぴょこんと飛び出した狼の耳。背中には、ふわふわの白い尻尾が揺れている。
服は……着ていなかった。
「…………」
「……ごはん」
少女が、小さな声で言った。
「おいしい……もっと」
蒼い瞳がレンをまっすぐに見つめている。
「……お前、人の姿になれたのか」
「ワフッ」
頭の上の耳がピコピコと動いた。
「…………まあいいか。とりあえず服を着ろ。話はそれからだ」
レンは慌てて自分の上着を脱いでルナに着せた。上着はルナの体にはぶかぶかで、膝まで隠れるワンピースのようになった。
「よし。じゃあ、食べよう」
二人でテーブルについた。
レンがカプレーゼを一口食べる。
「…………美味い」
トマトの甘みが、口の中で弾けた。
果汁が舌の上に広がり、魔力を含んだ甘みが染み渡る。カプレーゼのチーズのミルキーな風味がトマトの酸味を優しく受け止め、バジルの爽やかな香りがすべてをまとめ上げる。
黄金のパンを一口ちぎって、カプレーゼと一緒に頬張る。
パンの外側のカリッとした食感と、中のふわふわの柔らかさ。噛むたびに小麦の甘みが溢れ出し、トマトとチーズと混ざり合って、口の中で一つの完璧なハーモニーになる。
「うまっ」
スキルウインドウが光った。
《バフ効果が発動しました》
《『魔力トマトのカプレーゼ』:MP全回復+魔力+20%(3時間)》
《『黄金のパン』:疲労回復(完全)+精神安定》
「MP全回復に疲労回復か。朝食にぴったりだな」
隣を見ると、ルナが皿を抱えて離さなくなっていた。
カプレーゼは跡形もなく消えており、パンも三個目に突入している。
「ごはん……おいしい……もっと……」
頬がパンパンに膨らんでいる。尻尾は最大出力でブンブン振れている。狼耳がぺたりと幸せそうに倒れていた。
「お前の『もっと』は底なしだな……。パン、もう一個焼くか」
「ワフッ!!」
レンは苦笑しながら立ち上がった。
窓の外では、荒野に作った菜園が朝日を浴びて輝いていた。
赤いトマト。黄金の小麦。緑のメロン。
不毛の大地に、色彩が生まれている。
――悪くない、朝だな。
包丁を手に取る。
今日も、誰かのための――いや、自分とこの食いしん坊のための料理が始まる。




