第3話:わんこ拾いました
ログハウスでの生活が三日目を迎えた頃、レンはある問題に直面していた。
「……食材が、減ってきたな」
『無尽蔵』の中には、まだ大量の素材が残っている。だが、それだけに頼っていてはいつか底をつく。
自給自足の手段を確保する必要がある。
「まずは周辺の食材を探すか」
レンはエプロンを外し、ログハウスの扉を開けた。
荒野は相変わらず枯れた風景だが、ログハウスの周囲だけは事情が違う。【万能調理】で整地した大地は柔らかく、下処理した香草が小さな花を咲かせている。まるで結界のように、レンの手が入った場所だけが生きていた。
ログハウスから南に歩くこと三十分。
荒野の端に、小さな森がある。枯れてはいるが、木々が密集していて、動物の気配がわずかにあった。
「ここなら何か採れるかもな」
足元の落ち葉を踏みしめながら森の中を進む。
『味覚解析』を常時発動させていると、使えそうな素材が次々とハイライトされる。
《野生セリ(品質C級)》
《ヨモギの葉(品質D級、下処理で薬効あり)》
《鉄クルミ(品質B級、殻が非常に硬いが中身は良質な油脂)》
「お、結構あるじゃないか。鉄クルミは面白いな。殻を精錬すれば金具にもなりそうだ」
食材を採集しながら、森の奥へと進んでいく。
そのとき、足が止まった。
「…………血の匂い」
鉄錆のような匂いが、風に乗って流れてきた。
人間のものではない。もっと野性的な、獣の血。
レンは慎重に茂みをかき分けた。
――そこにいたのは、白い狼だった。
「っ……」
真っ白な毛並み。体長は一メートルほど。まだ子供だろう。
だが、その白い毛は赤黒い血で汚れていた。後ろ足に深い裂傷があり、周囲の土が血で染まっている。
呼吸は浅い。目は閉じている。
かろうじて生きている、という状態だった。
「おいおい……こりゃひどいな」
レンは膝をつき、そっと狼の体に手を触れた。
『味覚解析』が自動発動する。
《対象:幼体(種族不明・大型獣)》
《状態:重傷。出血多量、体力枯渇、衰弱》
《備考:治療しなければ数時間以内に死亡と推定》
「種族不明……? まあ、今はそんなことどうでもいい。まずは手当てだ」
レンは『無尽蔵』からマンドラゴラの根を取り出した。
昨日のシチューで使い方はわかっている。毒抜きすれば万能薬になる最高級の素材だ。
「でも、こいつに固形物は食わせられないな……スープにするか」
森の中に簡易キッチンを展開する。
と言っても、やることは簡単だ。石を二つ並べて即席のコンロを作り、『無尽蔵』から鍋を取り出す。水筒の水を注いで火をつけた。
「【万能調理】――『下処理』」
マンドラゴラの根から紫色の毒素が抜ける。残った根を薄くスライスし、鍋に投入。
さらに『無尽蔵』から乾燥していた薬草を数種類追加する。
『味覚解析』が最適なレシピを表示した。
《推奨調理:薬膳スープ》
《マンドラゴラの根+賢者草+月光ミント》
《効果予測:HP回復(特大)、毒耐性付与、体力回復促進》
「よし、こいつでいこう」
鍋がコトコトと煮え始める。
澄んだ琥珀色のスープが、静かな森の中に温かい湯気を立ち上らせた。
甘い薬草の匂い。スパイシーで、でもどこか優しい。病人の体に沁み込んでいくような、柔らかい香りだ。
レンはスープが適温になるのを見計らい、木のスプーンですくった。
白い狼の口元にそっと近づける。
「ほら、飲めるか?」
最初は反応がなかった。
だが、スープの香りが鼻に届いたのだろう。狼の鼻がヒクヒクと動いた。
薄く目が開く。
澄んだ蒼い瞳が、レンを見つめた。
「……大丈夫だ。毒は入ってねえよ。俺は料理人だ」
意味が通じたのかどうかはわからない。
だが、狼はぺろりとスプーンのスープを舐めた。
一口。二口。三口。
舐めるスピードが、どんどん速くなっていく。
そして――狼の傷口が、光を帯びた。
「おお……」
裂けていた後ろ足の傷が、見る見るうちに塞がっていく。赤黒い血が止まり、新しい皮膚が傷口を覆い、白い毛が生え始める。
薬膳スープの回復効果だった。
鍋のスープを全部飲み干す頃には、狼は完全に回復していた。
白い毛並みが艶やかに輝き、蒼い瞳がキラキラと光っている。
そして。
ブンブンブンブンブン。
しっぽが、ものすごい勢いで振れていた。
「ワフッ!」
狼がレンに飛びついた。
体重が予想以上に重い。一メートルの体が勢いよくぶつかり、レンは背中から地面に倒された。
「うおっ!? 待て、ちょっ、重い!」
「ワフワフワフッ!」
ベロベロベロ。
顔中を舐め回される。尻尾はブンブン振り続けている。
「わかった、わかったから! 嬉しいのはわかったから、顔を舐めるな!」
なんとか起き上がると、白い狼はレンの足元にぴったりとくっついて離れなくなった。蒼い瞳でジッと見上げてくる。
見上げてくる。
じーっと。
レンは首を傾げた。
「……なんだ? もう元気みたいだし、森に帰らないのか?」
「ワフッ」
尻尾ブンブン。
「いや、俺について来られても困るんだが……」
「クゥン……」
蒼い瞳がうるうると潤んだ。
上目遣い。しっぽは控えめに揺れている。
「…………」
レンは天を仰いだ。
「……まあ、飯は多めに作るか」
「ワフッ!!」
しっぽ最大出力。
◇ ◇ ◇
ログハウスに戻る途中だった。
レンが白い狼を連れて森を出たとき、空気が変わった。
ザワリ、と草が揺れる。
風向きが変わったのではない。何かが、ゆっくりと近づいている。
「…………来るな」
匂いで気づいた。
血と、泥と、腐った肉の匂い。
茂みの向こうから、のそりと姿を現したのは――オークだった。
身長二メートル超の豚面の魔物。
しかも一体ではない。二体、三体……十体。群れだ。
「……狼の血の匂いに誘われたか」
オークたちは、レンと白い狼を見て、下卑た笑いを浮かべた。
「ブヒヒ……エサ、エサだ……」
白い狼がレンの前に出た。低いうなり声を上げ、牙を剥く。
だが、足がわずかに震えている。傷は治ったが、体力が完全には戻っていないのだ。
「無理すんな。お前はさっきまで死にかけてたんだ」
レンは狼の前に立った。
オークの群れ。十体。
正直、戦闘スキルは持っていない。【料理人】は最底辺の不遇職であり、戦闘向きのスキルは何一つない。
だが。
「……料理中に邪魔すんなよ」
レンは右手を上げた。
その手には、ミスリルの鍋。
今朝、岩から精錬した最高級金属で作った愛用の鍋だ。
「【万能調理】――『成形』」
光が走った。
鍋が、形を変えた。
丸い底が平らに伸び、取っ手が握りに変わり、表面に文様が浮かび上がる。
一秒後、レンの手にあったのは――ミスリルの大盾だった。
「素材は同じだ。形を変えただけ。『調理器具の成形』の応用だな」
先頭のオークが突進してきた。
レンは盾を構えた。
ガァンッ!!
衝撃が腕に来る。だが、ミスリルの盾はびくともしない。
オークの方が弾き飛ばされ、後方の仲間にぶつかって将棋倒しになった。
「硬っ……! さすがミスリルだな」
だが、十体を盾だけで倒すのは厳しい。
レンが次の手を考えた瞬間。
背後の空気が、凍った。
文字通り――凍った。
「ワオオオォォォン!!」
白い狼の咆哮が森を震わせた。
口から放たれたのは、凄まじい冷気の奔流。氷のブレスだ。
白い嵐がオークの群れを飲み込んだ。
十体のオークが、一瞬で氷の彫刻に変わる。
氷漬けのオークたちが、月光を反射してキラキラと光っていた。
「…………」
レンは口を開けたまま固まった。
白い狼は、何事もなかったかのようにレンの足元に戻り、しっぽを振った。
「ワフッ」
「…………お前、ただの犬じゃなくね?」
レンの脳裏に、昔ギルドの図書室で読んだ魔獣図鑑の一ページが蘇った。
――『フェンリル。伝説の神獣。白銀の毛並みと蒼い瞳を持ち、氷属性の魔法を操る。古代から信仰の対象とされ、人前に姿を現すことは極めて稀。戦闘力は単体でSランク魔獣に匹敵する』
白銀の毛。蒼い瞳。氷のブレス。
全部、一致する。
「フェ……フェンリル……? 伝説の、聖獣……?」
レンは目の前の白い狼を見た。
伝説の聖獣フェンリルは、しっぽをブンブン振りながら、レンのエプロンの裾を咥えて引っ張っていた。
「クゥン……」
腹が減った、と言っているようだった。
「…………」
レンは深くため息をついた。
「……わかったよ。帰って飯にしよう。――お前の名前、考えなきゃな」
「ワフッ!」
月明かりに照らされた荒野を、料理人と、伝説の聖獣が並んで歩いていく。
フェンリルのしっぽは、ずっと振れ続けていた。




